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ミニ眼鏡橋:諫早に“里帰り”決定  埼玉・所沢で解体始まる 

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ミニ眼鏡橋:諫早に“里帰り”決定  埼玉・所沢で解体始まる

Yahoo! きょうのトピックスに、次のとおり毎日新聞配信記事があった。
この項は、下記のHP「長崎県の石橋を訪ねて〜眼鏡橋の故郷」の記事を参照。当時の諫早市による現地視察写真、長崎新聞記事も同HPから。
http://www.fwd-net.com/hashi/mini.htm
ミニ眼鏡橋の詳しくと寄付金送付先は、市民団体「ミニ眼鏡橋の里帰り委員会」HPを。 
http://www.geocities.jp/mini_meganebasi/

ミニ眼鏡橋:諫早に“里帰り”決定 埼玉・所沢で解体始まる /長崎
毎日新聞 11月29日(火)15時19分配信

諫早市の諫早公園にある国指定重要文化財・眼鏡橋を移築する際に作られた縮小模型の“里帰り”が正式に決まり、搬送するための解体作業が28日、埼玉県所沢市のユネスコ村(06年に営業休止)で始まった。解体は12月上旬に終わり、部材が諫早市へ送られる。移設先が決まるまで市有地に一時保管される。【柳瀬成一郎】
市民団体「ミニ眼鏡橋の里帰り委員会」によると、今年春に始めた募金が約600万円に達し解体運搬費用を賄えるようになったため、権限移譲の交渉を市に依頼。市は今月18日、所有者の西武鉄道と譲渡契約を結んだ。今後、移設先の選定や設置費用など約900万円が必要となるため、同委員会は引き続き募金を続ける。
眼鏡橋は1839年に完成。1957年の諫早大水害後、河川拡幅に伴い近くの諫早公園に移設するため、59年に解体された。その際、再び石を積み上げるためのデータを集めようと、5分の1の模型を製作。文化的価値が認められ、64年にユネスコ村に移設された。〔長崎版〕

諌早眼鏡橋の復元検証模型を呼び返そう
(HP「長崎県の石橋を訪ねて〜眼鏡橋の故郷」から)

埼玉県のユネスコ村に保存されている「復元検証模型」の里帰りについて進展がないものかと、諫早市役所に問い合わせをした際の報告をしてみたい。(09/24/2003)

■里帰り問題の現状について

市当局としては上記の写真のように、諫早眼鏡橋の復元検証模型が移築可能かどうかの判断ができる土木部の幹部職員を現地に派遣して状態を詳しく調査した。
調査の結果は、加工した石材の状況は良く、解体・運搬・復元に耐えうる状態と判断した。しかし模型自体は移築に耐えうるとしても、現在の所有者であるユネスコ村への交渉は全くの白紙状態であるし、市の事業として実施する場合の移転費用の積算や事業計画の立案などはこれからとの事。

執務中に丁寧に対応していただいた土木部の幹部職員の方にも先輩諸氏の素晴らしい仕事の遺産を、何とかしたいという気持ちが現れていた。
しかし税金を投入しての事業であれば、おいそれと安易な話ができないのは当然のことだ。ここで新聞記事でも有ったように、市民の間からの要望がなければ事業計画を進めることはできないだろう。いま私達に何が出来るか?まずはそこから始めなければいけないと思う。

■06/08/2003の掲載内容の要旨

長崎新聞を開いたら「模型古里へ戻そう」の記事が目に入った。当サイトの「諫早眼鏡橋」でも紹介している、埼玉県所沢市ユネスコ村のミニ諌早眼鏡橋の記事だった。(06/08/2003)

新聞記事には簡単にしか触れていないが、この模型は移築復元の唯一の成功例といわれる諌早眼鏡橋移築の技術的な諸問題の解決のために造られたもの。
この橋は模型とはいえ、10mの大きさであるとともに、出来栄えの素晴らしさから文化財に準ずる扱いをする為に、ユネスコ村に移築保存されていた。今ごろになって返して欲しいとは、ちょっと申し訳ない気もするが、諌早に帰ってこれれば、こんなに嬉しいことは無い。なんとか実現に協力できないものだろうか?

人はなぜ山に登るのか?  地域会報から転載  

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人はなぜ山に登るのか?  地域会報から転載

三和地区の長崎友愛病院関係団体、「地域の健康と医療を考える会」の会報”たっしゃかかい”第9号(平成23年10月6日発行)から転載。
「みさき道歩会」所属Mさんインタビュー記事が掲載されていた。

人はなぜ山に登るのか?

今年より新たなレクリエーション行事として『ハイキング&栗ひろい』を行ないました。そこで今回会員の中で、『山登りの達人』のうちのお一人、M副会長に山登りについてお話を伺いました。
◆ ◇ ◆ ◇
Q1 山登りを始めたきっかけは?
もともとジョギング・ウォーキングをしていました。知り合いの方に山登りをする方がいらっしやったので、最初は野母崎の遠見山に登ったんです。感想はとにかくきつかったですが、頂上からの眺めが美しいことに感動しました。

Q2 道具を紹介してもらえますか?
ステッキ、山用のリュック(M副会長がご自分で製作されたとのこと!)、帽子、手袋、その他、首を冷やすもの。水に濡らすとその部分が冷えるので、首に巻いています。

Q3 天候やその他注意することはありますか?
曇りの場合は折り畳みの雨具を持って登ります。朝から雨だと危険なので中止。途中でイノシシや鹿に遭遇することも。蛇(マムシ等)もいますが、踏まなければ大丈夫。

Q4 山登り初心者の方への注意事項は?
歩幅を狭くする。急な坂道では自分の膝を見ながら歩くと、きつさは半減しますし、下りもゆっくり降りましょう。飲食物は、とにかく水分(スポーツドリンク等、塩分を少し含むもの)、塩分を含んだ菓子・飴、チョコレート等。

Q5 山登りの楽しみは?
歩いていると汗はダラダラ、お化粧なんて落ちちゃいます(笑)。でも頂上からの素晴らしい眺め、そして歩きながらの友との会話は最高です。気楽に話しながら歩くと認知症予防になるそうですよ。今回のハイキングは初チャレンジの方が多いと思うので、あまり気負わず気楽に頑張りましょう。
◆ ◇ ◆ ◇
M副会長は現在『みさき道歩会』という会に所属され、コースも健脚コースという。ただの山登りとは違って既成の登山道ではなく鎌を手に道を作りながら進むという山登りをされているそうです。ニュージーランドや韓国等の外国の山にもチャレンジされたことがあるとか…。

他にも通信教育、『さんわフレンズ』でのボランティア活動、童謡、洋裁(以前工場を設立)、料理(ちゃんぽん・皿うどんのお店を経営)等、多趣味というかどれも趣味の域を越えた…まるで”達人”並みでいらっしゃると感じました。
「高齢者の一人暮らしなのよ」と言われておりましたが、一日一日がとても充実しておられ、キラキラ輝いていらっしゃる笑顔が印象的でした。

落矢尾根から八郎岳・小八郎岳・千々峠の縦走  2011年11月

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落矢尾根から八郎岳・小八郎岳・千々峠の縦走  2011年11月

2011年11月27日(日)曇りのち晴。 落矢尾根から八郎岳(標高590m)・小八郎岳・千々峠の縦走。参加9人。みさき道歩会の例会。23日(水 勤労感謝の日)が雨のため延期して実施。
江川運動公園9:30発ー竿浦大山祇神社ー落矢尾根—八郎岳(12:30着 昼食 13:10発)—小八郎岳—千々峠ー平山15:45着(徒歩距離 約10km)

江川運動公園から東に見えるのが、落矢尾根と八郎岳。落矢ダムから登る予定を変更、竿浦から登ることとした。土井首中学校正門右の庭石を確認。「みさき道」鹿尾川渡りの飛び石を移しているが、学校側も当時の記録がなく、どの庭石かわからなくなっている。
サイクリング道路から、土井首中学校と南陽小学校の裏手を行く。地蔵が各所にあるとおり、この道が為石方面からのかつての「長崎往還」。平山回りの「みさき道」である。
刊行されている長崎学などの本は、「みさき道」の調査間違いや誤まった解説が多い。

竿浦町の鳥居から、途中の八郎岳竿浦登山口を通り過ぎ、山手の「大山祇神社」まで入る。神社奥の砂防ダム手前の橋を渡ると、落矢尾根と合流する山道が残る。
急登した尾根上に「八郎岳シカ 捕獲禁止区域 長崎県」の赤標識がある。ここが落矢尾根との合流点だ。あとは通常の落矢尾根コース。最後の植林地を登りきると、八郎岳山頂に12:30着き、昼食とした。

午後は、八郎岳から小八郎岳、千々峠へと縦走、平山町の市民農園に下った。紅葉はまだ早すぎたよう。本日の最後の目的は、千々峠(乙女峠)登山口へ下る約200m手前の沢に、10月13日架けた自然石によるアーチ式石橋「(第2)乙女橋」。
https://misakimichi.com/archives/2912
https://misakimichi.com/archives/2911
みんなに出来ばえを見てもらった。この前の大雨でも何ともない。1月半経っても健在である。誰が、数人渡っても大丈夫だ。

野母半島県立公園・九州100名山「八郎岳」の正式登山口平山町に、登山者用の駐車場と地図・案内板を整備するよう、長崎市に対し8月から再三、提案している。回答がまったく思わしくない。市民農園駐車場は閉鎖的だ。大長崎市としてはずかしい。

長崎県美術館屋上庭園の彫像群  長崎市出島町

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長崎県美術館屋上庭園の彫像群  長崎市出島町

2011年11月26日、出島の内外倶楽部レストランで開催された「ゆうこう」再発見シンポジュウムの帰り、長崎県美術館(出島町)へ寄った。
企画展示室で、近代日本画「夢の競演」展が12月4日(日)まで開催中。観覧料当日1100円。鑑賞はそこそこに、屋上庭園へ上がった。

屋上庭園に屋外常設の彫像群(美術館棟)は、同館資料によると次のとおり。あまり紹介されていないので、長崎港などの風景とともに写した。
北村西望  花 吹 雪   1961年  ブロンズ   H200
富永直樹  新    風   1971年  ブロンズ   H210-W84-D70
富永直樹  荒 海 の 男   1969年  ブロンズ   H210-W72-D57
富永直樹  クスコの少女 1983年  ブロンズ   H146-W50-D43

画像から調べると、ブログ「おばあちゃんのdiary 2011年10月26日水辺の森公園」が同じような記事となっていた。そちらが晴天で、像の写りが良い。

「ゆうこう」再発見シンポジュームの様子

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「ゆうこう」再発見シンポジュームの様子
〜現代の暮らしに「ゆうこう」を生かす〜

日   時 : 2011年11月26日(土)  14:00〜16:00
場   所 : 出島 内外倶楽部レストラン(国指定史跡 旧長崎内外クラブ)
会   費 : 1,000円
共同主催 : 長崎市、NPO法人長崎の食文化を促進する会、スローフード長崎

1 講 演
① 「‘ゆうこう’と隠れキリシタン」   —ゆうこうの分布調査—      
川上 正德 氏(元長崎市役所)
② 「地域の宝物をいかに守り育むか」  —土井首地区の取り組みと課題—   
小中 龍德 氏(鹿尾ゆうこう生産振興会長)
③ 「暮らしの中の‘ゆうこう’」     —原点のゆうこうと信仰—
日宇スギノ 氏(フェルムド外海代表)
2 試食会  —現代の暮らしの中で「ゆうこう」を生かすために−
土井首地区および外海地区における、暮らしの中での「ゆうこう」料理や伝統的な使い方を紹介します。

上記のとおり開催された「ゆうこう」再発見シンポジュームの様子。参加者30人ほど。
講演① 「‘ゆうこう’と隠れキリシタン 温故知新ーそれは御崎道から始まった」 は、川上氏HPの次の記事に、同じような概略があるので参照。その後の更新がまだ。
http://www1.cncm.ne.jp/~jh6kxg/yuukou.htm

写真  1〜  5   シンポジューム会場・ゆうこうの実・講演の方々
写真  6〜 11   主な展示パネル
写真 12〜 17   ゆうこうを使った試食メニュー
(クッキー・パン・サラダ・スープ・ジャム・コンフィチュール・ジュース・ハーブティー)
来年、市内のホテルなどの料理人による「ゆうこう料理の饗宴」を、1月21日(土)、28日(土)開催予定がある。

「ゆうこう」再発見シンポジュームの参加ご案内

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「ゆうこう」再発見シンポジューム
〜現代の暮らしに「ゆうこう」を生かす〜

日   時 : 2011年11月26日(土)  14:00〜16:00
場   所 : 出島 内外倶楽部レストラン(国指定史跡 旧長崎内外クラブ)
会   費 : 1,000円
共同主催 : 長崎市、NPO法人長崎の食文化を促進する会、スローフード長崎

—趣 旨—
長崎市内の土井首地区と外海地区に守り育てられてきた柑橘「ゆうこう」は、長崎県果樹研究所の研究で新種と分かり、長崎県立大学の分析で果実の成分の有効性が認められ、長崎市は地産地消のため「ゆうこう」増産に力を注いできました。
再発見の契機を作った当時の長崎市土井首支所長川上正德氏は、退職後も「ゆうこう」自然木の分布調査を続けました。その結果、土井首と外海の「ゆうこう」の共通性は旧佐賀藩領であったことと、一部に隠れキリシタンの歴史との関連を見つけました。

長崎市内のみと思われた「ゆうこう」の分布が佐賀県馬渡島や上五島の中通島、奈留島と発見されるに伴い隠れキリシタンとの関連性が強められました。また、長崎市の世界遺産推進室も「ゆうこう」の分布に関心を寄せ、復元された旧佐賀藩の地図に「ゆうこう」の分布図を作成し世界遺産指定へ向けての基礎資料の一端としました。
また、「ゆうこう」は世界スローフード協会からアルカに指定されています。

この度、「ゆうこう」再発見から今日までの分布調査を続けた川上正德さんにその最新成果を発表してもらい、また、ゆうこうの原産地である土井首地区を代表して小中龍德さん、外海地区は日宇スギノさんに「ゆうこう」に対する取り組みを発表してもらいます。
3人の方々の発表の後、NPO法人長崎の食文化を促進する会の協力を得て、長崎の伝統果実、「ゆうこう」を味わっていただきたいと思います。

〜プログラム〜
1 講 演
① 「‘ゆうこう’と隠れキリシタン」   —ゆうこうの分布調査—      
川上 正德 氏(元長崎市役所)
② 「地域の宝物をいかに守り育むか」  —土井首地区の取り組みと課題—   
小中 龍德 氏(鹿尾ゆうこう生産振興会長)
③ 「暮らしの中の‘ゆうこう’」     —原点のゆうこうと信仰—
日宇スギノ 氏(フェルムド外海代表)
2 試食会  —現代の暮らしの中で「ゆうこう」を生かすために−
土井首地区および外海地区における、暮らしの中での「ゆうこう」料理や伝統的な使い方を紹介します。
お問合せ:090-3328-0331(担当:黒川)e-mail:at.foody@gmail.com

長崎の西空の夕日  11−10

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長崎の西空の夕日  11−10

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 4  2011年11月 6日の17時32分頃
写真  5〜 6  2011年11月20日の17時16分頃

写真  7〜17  2011年11月24日の 9時42分頃 長崎港外の島の朝

写真  7   高島方面の眺望
写真  8   端島(軍艦島)・中ノ島 
写真  9   端 島(軍艦島)
写真 10   中ノ島 
写真 11   高 島
写真 12   高島の二子島風力発電所
写真 13   高島の飛島磯釣り公園
写真 14   沖ノ島・伊王島大橋・香焼
写真 15   黒 島・天然ハマチ養殖場
写真 16   野 島・タン崎
写真 17   団地の小学校

写真 18   追加 同日夕方17時08分頃の端島(軍艦島)

国東半島の巨樹・名木 (2) そのほかの掲載一覧

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国東半島の巨樹・名木 (2) そのほかの掲載一覧

大分県(農林水産部 森との共生推進室)HP「豊の国の名樹」に、特別保護樹林・特別保護樹木一覧表と個別解説がある。 http://www.pref.oita.jp/soshiki/16210/meiboku.html
ただし、選定基準が不明。国県市町村指定の天然記念物や、そのほか多くの巨樹・名木と言われる木が登載されていない。大分県関係の全体を知るのに、一般人にとってまったく不便なリストと広報となっている。

国東半島の巨樹・名木について、本ブログでは他の資料などから、これらの木も可能な限り調査し、現地を訪ねてピックアップした。掲載一覧(2)は、その分の記事URLである。(1)とともに参照。由布市湯布院町の「大杵社の大杉」は、国指定天然記念物。近くなので特別に載せた。

(2)大分県「豊の国の名樹一覧表」登載外そのほかの掲載一覧

項目は、整理番号 名称 所在 幹囲 樹高 樹齢(推定) 天然記念物指定と年月日の順
1 大杵社の大スギ    由布市湯布院町川南
10.9m  38m  1000年以上  国指定 昭和9年8月9日
https://misakimichi.com/archives/2919
2 日岳神社のムクノキ    宇佐市院内町日岳
5.9m  不 明  100〜199年  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2924
3 日吉神社のイチイガシ    宇佐市安心院町水車
5.0m  30m  不 明  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2940
4 寒水のムクノキ    宇佐市安心院町寒水
6.1m  30m  不 明  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2942
5 東椎屋のイチイガシ    宇佐市安心院町東椎屋(熊野神社内)
右 8.20m  32.80m  左 6.75m 26.80m
400〜500年  市指定 昭和51年12月2日
https://misakimichi.com/archives/2944

6 山蔵のイチイガシ    宇佐市安心院町山蔵
7.4m  24m  不 明  県指定 昭和30年5月27日
https://misakimichi.com/archives/2950
7 松屋寺のソテツ    日出町日出
株元 6.4m  6.1m  600年以上  国指定 大正13年12月9日
https://misakimichi.com/archives/2959
8 日出のサザンカ    日出町日出(日出中学校内)
地上1mで数枝、 7.6m  400年以上  県指定 昭和32年3月26日
https://misakimichi.com/archives/2960
9 城内邸のサクラ(魚見桜)    日出町豊岡
不 明  不 明  400年  町指定 年月日不明
https://misakimichi.com/archives/2957
10 五田八坂神社のクスノキ    杵築市鴨川
7.3m  30m  伝承 700年以上  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2965

11 瑠璃光寺のサルスベリ    国東市安岐町糸永
2.1m  15m  600年  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2967
12 瑠璃光寺のモッコク    国東市安岐町糸永
不 明  不 明  不 明  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2967
13 山神社のムクノキ    国東市国見町岐部
7.5m  25m  300年以上  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2972
14 六所宮のイチイガシ    国東市国見町西方寺
5.5m  15m  300年以上  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2975
15 宇佐神宮のクスノキ    宇佐市南宇佐
5.4m  25m  300年以上  「宇佐神宮社叢」で国指定 昭和52年4月12日
https://misakimichi.com/archives/3013

国東半島の巨樹・名木 (1) 大分県「豊の国の名樹」掲載一覧

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国東半島の巨樹・名木 (1) 大分県「豊の国の名樹」掲載一覧

大分県(農林水産部 森との共生推進室)HP「豊の国の名樹」の説明は、次のとおり。

豊の国の名樹    http://www.pref.oita.jp/soshiki/16210/meiboku.html
私たちのふるさと大分県には、神社・仏閣などの鎮守の森に代表される価値ある樹林や地域住民に親しまれてきた老樹、巨樹が各地に数多く残されています。
これら貴重な樹林・樹木は永い年月にわたり愛され育てられてきた歴史的、民族的な遺産であり、郷土色豊かな風土をはぐくんできた地域のシンボルでもあります。
このような「緑の文化財」を守るため、県では県条例を設け、特別保護樹林(木)として保護してきましたが、これらかけがえのない樹林・樹木を後世に残していくには、私たち県民一人一人が「緑の担い手」としての理解を深め、保護育成に努めていかなければなりません。

上記には、特別保護樹林・特別保護樹木一覧表と個別解説がある。このうちから、本ブログは、国東半島関係分を訪ねて、次のURL記事としている。
大分県「豊の国の名樹一覧表」は、選定基準が不明。国県市町村指定の天然記念物や、そのほか多くの巨樹・名木と言われる木が登載されていない。どの県も「100選」となるのだが…。
文化財等による保護という、所管の違いがあるかも知れない。大分県全体の樹木を知るのに、一般人にとってまったく不便なリストと広報である。

本ブログでは他の資料などから、これらの木も可能な限り調査し、現地を訪ねてピックアップした。掲載一覧(2)は、その分であるので、同時に参照。

(1)大分県「豊の国の名樹一覧表」登載分

(特別保護樹林)
項目は、整理番号 名称 所在 所有 樹林の状況(主樹種) 指定年月日の順。

1 熊野権現の森  豊後高田市大字平野  熊野社
スギ,ウラジロ,カシ,ケヤキ,モチノキ,ムク,ツバキ  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/2989
21 真玉八幡神社の森  豊後高田市西真玉  真玉八幡神社
コジイ・イチイガシ  H17.12.9
https://misakimichi.com/archives/3001

(特別保護樹木)
項目は、整理番号 樹木名 所在 所有 胸高周囲 樹高 樹齢(推定) 指定年月日の順。

1 算所の大クスノキ   豊後高田市新栄  算所区
760cm  23m  500年  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/3003
2 呉崎小学校のフェニックス  豊後高田市呉崎  豊後高田市
200cm  12m   63年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/3002
3 白木神社のイスノキ  杵築市大田白木原  白木神社
400cm  20m  600年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/2966  
4 真玉のおべん柿  豊後高田市真玉  富山寿満
170cm  16m  230年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/2999
5 赤根社のイチイガシ  国東市国見町赤根一円坊  赤根社
290cm  22m(明細は、3.3m 25m?)  300年  S51.3.9
https://misakimichi.com/archives/2983

6 文殊仙寺の大ケヤキ  国東市国東町大恩寺  文殊仙寺
565cm  30m  1000年  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/2987
7 椿八幡神社のクスノキ  国東市武蔵町三井寺  椿八幡神社
840cm  22m  950年  S49.3
https://misakimichi.com/archives/2970
49 麻生のイヌマキ  宇佐市大字下麻生  宇佐市
354cm  17m  400年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/3021
50 高家神社のクロガネモチ  宇佐市大字下高家  高家神社
340cm  15m  350年  S51.3.9
https://misakimichi.com/archives/3019
51 八幡小学校のソテツ  宇佐市大字下乙女  宇佐市
根元 600cm  5m  550年  S53.3.22
https://misakimichi.com/archives/3018

52 西椎屋の大イチョウ  宇佐市院内町西椎屋  西椎屋神社
1120cm  34m  1600年  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/2922
53 藤群神社の二本スギ(右) 宇佐市院内町斉藤  藤群神社
590cm  31m  400年  H14.1.8
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54 藤群神社の二本スギ(左) 宇佐市院内町斉藤  藤群神社
660cm  32m  400年  H14.1.8
https://misakimichi.com/archives/2923
56 貴船神社のクロマツ  宇佐市大字住江  貴船神社
280cm  11.55m  300年  H15.4.25
https://misakimichi.com/archives/3015
59 古幡社のムクノキ  国東市国見町赤根  古幡社
427cm  7.5m  300年  H18.3.14
https://misakimichi.com/archives/2984

60 古幡社のケンポナシ  国東市国見町赤根  古幡社
208cm  22.5m  200年  H18.3.14
https://misakimichi.com/archives/2985
61 熊野神社のスダジイ  宇佐市大字西大堀  熊野神社
580cm  27m  500年  H20.4.8
https://misakimichi.com/archives/3009

本耶馬渓町・耶馬溪町の主な石橋  堤橋・萬橋・城山橋・馬溪橋

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本耶馬渓町・耶馬溪町の主な石橋  堤橋・萬橋・城山橋・馬溪橋

「国東半島めぐり」帰りのついでの記事。宇佐市麻生で予定を終了。最後が「高野橋」で良かった。長崎への帰りは、そこから県道44号により桜峠を越えて耶馬溪へ下り、国道212号により日田市へ出た。その途中で見た石橋。
本耶馬渓町の石橋のうち、堤橋・萬橋・城山橋と、耶馬溪町の石橋のうち、馬溪橋。
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  3    堤   橋
本耶馬溪町大字東屋形 堤(つつみ)  屋形川
橋長:21.0m  橋幅:2.8m  径間:5.0m  拱矢:1.0  3連アーチ
架設:大正末期
萬橋から県道44号線を1.1Km東進、左手。
一説によれば耶馬渓橋の設計・施工に携わった岩淵萬吉が請け負ったと伝えられてい
る。欄干は、竣工当時の石造からガードレールに改修されている。
コンクリートで補強、拡幅してあります。

写真   4〜  7    萬(よろず)橋
本耶馬溪町大字今行 枌  屋形川
橋長:20.0m  橋幅:4.0m  径間:6.0m  拱矢:1.5  2連アーチ
架設:大正10年(1921)
施工:鳥越七郎
城山橋から県道44号線を1.4Km東進、左手。
戦後、コンクリート桁橋の増設によって竣工当時のほぼ2倍に拡幅されている。
また、拡幅時に欄干及び道路面はコンクリート製に改修されている。
現役の橋です。

写真   8〜 10    城山(しろやま)橋
本耶馬溪町大字下屋形 恵良  屋形川
橋長:16.8m  橋幅:2.45m  径間:   拱矢:0.95  3連アーチ
架設:大正末期
国道212号線樋田から県道44号線へ、約2.3Km東進。
上、下流側ともコンクリートによる拡幅、補強がしてあります。

写真  11        馬 溪 橋
耶馬溪町大字平田 町丈  山国川
橋長:82.6m  橋幅:6.0m  径間:13.9m  拱矢:4.8m  5連アーチ
架設:大正12年
国道212号線を本耶馬溪町から南進、耶馬溪町との町境から970m先右折。

(現地説明板)    馬 溪 橋
往時日田代官道(戸原側)と中津藩道(平田側)の往来は、夏は渡し舟、秋冬春は仮橋が架けられていた。しかし、仮橋は山国川の増水のたびに流されその都度、両岸の住民の出夫で修復されていた。
大正3年この橋より12m下手に下城井橋が架けられたが、これも大正11年4月の大洪水で流失。そこで、約12m上流に現在の眼鏡橋に架け替え橋名を馬溪橋と変更し現在に至る。
山国川に架かる石積アーチ式の橋の中で三大名橋のひとつに数えられ、貴重な橋である。
(平成元年5月1日指定 有形文化財)
なお、馬溪橋上から見る向かいの平らな山は史跡として指定されている平田城址(白米城址)で黒田騒動で福岡藩52万石を支えた筆頭家老栗山大膳が生れ育った城として有名である。が、城としての遺構は残っていない。春は桜・秋は紅葉の名所として住民の憩いの場となっている。      中津市教育委員会