近畿・中部・関東」カテゴリーアーカイブ

草加市の道標所在一覧(15〜23)  草加市神明町ほか ( 埼玉県 )

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草加市の道標所在一覧(15〜23)  草加市神明町ほか

「草加の道しるべ」12Pの道標所在一覧表データは、上記のとおり。所在調査と画像提供は、私の知人・草加市在住の伊藤氏の協力による。番号順に撮影画像をまとめて2枚ずつ載せる。×印は、現物が見つからなかったそうである。
サイト「近世以前の土木・産業遺産」埼玉県2リストにも、データは詳しく登載されているが、ここでは省略する。関係前3記事に、その一部は紹介している。

草加市の道標所在一覧(1〜14)  草加市柿木町ほか ( 埼玉県 )

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草加市の道標所在一覧(1〜14)  草加市柿木町ほか

「草加の道しるべ」12Pの道標所在一覧表データは、上記のとおり。所在調査と画像提供は、私の知人・草加市在住の伊藤氏の協力による。番号順に撮影画像をまとめて2枚ずつ載せる。×印は、現物が見つからなかったそうである。
サイト「近世以前の土木・産業遺産」埼玉県2リストにも、データは詳しく登載されているが、ここでは省略する。関係前3記事に、その一部は紹介している。

谷塚上町の庚申塔道標  草加市谷塚上町 ( 埼玉県 )

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谷塚上町の庚申塔道標  草加市谷塚上町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」埼玉県2リストによるデータは、次のとおり。所在地の詳しくは省くが、草加市谷塚上町115番地先、電柱に竹の塚駅西口へUカーブする車道の表示のある近くである。
「草加の道しるべ」34Pのデータは、上記のとおり。所在調査と画像提供は、私の知人・草加市在住の伊藤氏の協力による。

谷塚上町の庚申塔道標 やつかかみ
草加市 石道標(駒型) 高80㎝,幅29㎝,厚17㎝ 安政4(1857) 草加の道しるべp34 移設/三方を金網に囲まれている/像容の磨耗が極度に進行/刻字情報はすべて資料による (右面)「東、流山江 三里/千住江 壱里/西新井大師江/花又村 大明神江 三拾丁」、(左面)「西、川口宿江 二り/舎人町江 七り/慈林薬師江 一里半/鳩ヶ谷江 一里半」、(裏面)「戸塚称權現江 二里/岩槻江 五里/吉川江 二里半」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)を陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻/毛長川水運の舟着き場だった場所 3 C

柿木町の題目塔道標  草加市柿木町 ( 埼玉県 )

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柿木町の題目塔道標  草加市柿木町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」埼玉県2リストによるデータは、次のとおり。所在地の詳しくは省くが、草加市柿木町1575−1(株)コマックスの近くである。
「草加の道しるべ」14Pのデータは、上記のとおり。所在調査と画像提供は、私の知人・草加市在住の伊藤氏の協力による。

柿木町の題目塔道標 かきのき
草加市 一区耕地・用水堤 石道標(駒型) 高92㎝,幅37㎝,厚26㎝ 江戸期 草加の道しるべp14 原位置 (右面)「是ゟ南 江戸道」、(左面)「是ゟ西 草加道」、(裏面)「是ゟ北 吉川道」/正面に「塞神」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/「江戸」の標記は江戸期 1 C

柿木町の成田山道標  草加市柿木町 ( 埼玉県 )

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柿木町の成田山道標  草加市柿木町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」埼玉県2リストによるデータは、次のとおり。所在地の詳しくは省くが、埼玉県柿木浄水場の近くである。
「草加の道しるべ」13Pのデータは、上記のとおり。所在調査と画像提供は、私の知人・草加市在住の伊藤氏の協力による。

柿木町の成田山道標 かきのき
草加市 石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅39㎝,厚30㎝ 文久3(1863) 草加の道しるべp13/伊藤幹夫 移設→個人宅 (正面)「成田山」、(同その下)「奈りたへ 十四リ/… □リ/み戸へ 十三リ/是ゟ東/左 江戸道/橋戸へ 二里□丁/千住 三里十二丁」、(右面最下部)「つく者へ 十五り/みつか以戸へ 七り/野たへ 三り/吉川へ 一り」、(左面左下隅)「左/草加 一り」、(裏面)「□ 氷川山」/毎年9月になると一錢講が成田山に向かったとの伝承 3 C

大黒町の庚申塔道標  長野県大町市大黒町 ( 長野県 )

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大黒町の庚申塔道標  長野県大町市大黒町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長野県リストによるデータは、次のとおり。JR大糸線北大町駅から南西に旧大町街道を行く。県道31号大黒町交差点近くの市道と交叉する角地にこの道標が立つ。
画像・資料は、私の先輩、大町市在住の土橋氏の提供。

大黒町の庚申塔道標 だいこく
大町市 <千国街道> 石道標(自然石) 高120㎝(うち、台石30㎝),幅50㎝,厚35㎝ 延享元(1744) WEB/土橋道良 原位置? (右面)「右 善光寺道」、(左面)「左 越後道」/正面に「庚申」と陰刻 1 C

田中欣一氏編「塩の道 千石街道」銀河書房1982年発行の47頁による説明は、次のとおり。道標所在地図は、HP”千国街道 二日目の街道歩き旅 [池田〜信濃大崎駅編]”から。

⑮ 追分道標(大町市大黒町)
延享元年(1744)建立の庚申塔の左右に「左越後道」「右善光寺道」と刻銘して道標を兼ねたもの。大町宿の発展過程を知る上に貴重。