月別アーカイブ: 2014年3月

伊万里市「明星桜」などの桜花見情報

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伊万里市「明星桜」などの桜花見情報

伊万里市東山代町「明星桜」は、本ブログ「佐賀の巨樹・さが名木100選」次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/780
自前の「明星桜」開花写真がなかったので、ブログ”gonbeyaの部屋”氏(私の先輩)へ話すと、
3月27日(木)訪ねてくれた。きょうは桜花見に天気が思わしくない。ひまつぶしにこれらの写真と記事を転載し、桜花見情報を伝える。写真1〜3が明星桜。普通の桜と異なり、花弁が小さく固まって咲くのが特徴らしい。ほかはどこだかすぐわかるだろう。

さが名木100選  22 明 星 桜(サクラ)  伊万里市東山代町

伊万里市街の二里大橋交差点から松浦方面へ国道204号線を行く。松浦鉄道の東山代駅前を過ぎた川端の東山代町天神交差点に案内標識がある。左折して道順とおり谷間の集落へ進むと、小高い丘の観音堂前に明星桜がある。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。

22 明 星 桜(サクラ)
・所 在 地  伊万里市東山代町浦川内5343−2
・推定樹齢   800年
・大 き さ  樹高 13m  幹回り 5m  枝張り 21m
・登録番号   05527
明星桜は、浦川内地区の観音堂境内にあり、京都の公家、浦内淡路守が浦川内を開拓した際、望郷の念から京都の壬生寺より桜を持ち帰り植えたという伝承がある。
夜間、樹下で火を焚いて眺めると、花びらが火に映えて明星の趣があることから、明星桜と名付けられたといわれている。
県天然記念物(平成5年3月31日指定)

桜めぐり  ブログ”gonbeyaの部屋”  2014/3/29 22:10:39記事

gonbeでーす。
このところ天候の移り変わりが変ですね。暑いと思ってたら寒い日が続く、暖かないい天気になったと思ったら強い風と横殴りの雨・・・・Y(>_<、)Y
暖かいので桜がちょっとばかり早めに咲き出したようですね。
開花したといってたのにどんどん開いて、家の近くの桜はかなり開いてました。
これでは早めに桜の花めぐりをしないとなぁ‥‥と思った次第です。

先週末は強めの雨風・・・・
週明け数日晴れてもその後は又雨との予報・・・・
それなら晴れた時にと桜めぐりに出ました。(~▽~@)♪♪♪

佐賀・伊万里に明星桜という古木があります。
もう開いてるだろうと出かけたのですが、数年ぶりに行くと場所を忘れてウロウロ・・・
前に乗ってた車のカーナビには登録してたのになぁーと思ったり・・・・
先日梅の花を見て回ったときと同じ場所を走ってたりしてました。
伊万里市役所へ寄ってみると、ちょうど昼休みの時間で案内も空席。
近くの食事中の職員に恐る恐る聞いてみると、親切にいろいろと調べてくれたのですが、場所の確定は出来なかったですね。
大体の場所を教えてもらい、あちこちで聞きながら何とか辿り着くともう満開状態でした。

800年経ってるとのことですが、大きく枝を伸ばして綺麗でした。
ついでの事にと帰る途中に波佐見のしだれ桜へ寄りました。
役場に情報聞くと、先週末の雨風で大分落ちたとのこと。
しだれ桜は早く咲くので時期を逃しやすいです。
それでもまだまだ十分に見れるくらいに咲いてて、良かったです。

西海橋の桜にも寄ってみると、車も人も多く、駐車場探してまたウロウロ。
このところ出かけてはウロウロするばかりだと感じてきました。(T_T) ウルウル
今日は朝から一日中凄い雨風です、もう桜も散ってしまったんじゃないかなぁ‥‥
ではでは、また〜(^^)/〜〜〜

きょうの天気概況

30日午後9時の予想天気図。低気圧が急速に発達しながら本州付近を進み、全国的に雨や風が強まる見込み。(ウェザーマップ)
春の嵐 西日本から東北にかけて激しい雨、暴風に警戒
九州から関東の各地で桜の開花・満開ラッシュを迎える中、きょう日曜日は低気圧が急速に発達しながら本州付近を進み、全国的に雨や風が強まる見込み。低気圧に向かって南から暖かく湿った空気が流れ込む影響で、西日本から東北では局地的に激しい雨が降り、大雨となる恐れがある。低い土地の浸水や土砂災害などに警戒が必要だ。(ウェザーマップ)

立山公園・稲佐山・川原大池公園の桜花見情報

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立山公園・稲佐山・川原大池公園の桜花見情報

2014年3月28日(金)、立山公園(写真1〜12、東高土手13)・稲佐山(写真14〜16)・川原大池公園(写真17〜19)の桜花見情報。すでに満開。花見客と夜桜の場所取りが多かった。
明日からは雨となるよう。きょうのうちと他の用件の途中で訪ねた。
立山公園(長崎市)の桜お花見情報:桜前線とれたて便2014:るるぶ.comでは、次のとおり。

長崎県の桜お花見スポットリスト
【長崎県】長崎市  立山公園 たてやまこうえん
開花度:開花(61〜80%) ※3月27日現在
特徴 長崎駅から東方1kmの場所に位置し、展望台や多目的広場、遊戯広場などがある公園。春には約700本のソメイヨシノやヤマザクラのお花見が楽しめる。
桜お花見情報
例年の見ごろ 3月下旬〜4月上旬  本数 約700本  主な種類 ソメイヨシノ、ヤマザクラ

立山公園さくらまつり
期間:2014年3月21日(金・祝)〜4月6日(日) ※桜の開花状況により変動の場合あり
夜桜・ライトアップ
期間:2014年3月下旬〜4月上旬 ※開花状況により変更あり。時間:日没〜21時

立山公園のデータ
所在地 長崎県長崎市立山5-175外
問合先 095-829-1171/長崎市みどりの課
料 金 無料(桜まつり開催期間中は駐車料金別途)
交 通 JR長崎駅→バス20分、バス停:立山公園口下車、徒歩すぐ
クルマ 長崎バイパス川平ICから県道昭和馬町線経由15分
駐車場 あり/32台/無料(桜まつり開催期間中は1日につき200円)/桜まつり開催期間中は臨時駐車場を開設予定(約200台)、利用時間9〜21時

外海の風景・行楽  2014年3月

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外海の風景・行楽  2014年3月

2014年3月21日(春分の日)は絶好の行楽日和。東京から帰省した長男の案内と、市内に住む孫娘の遊びのため、家族5人で五島灘を望む西彼杵半島外海方面へ出かけた。松が枝国際観光埠頭で「クイーン・エリザベス」を見てから、まず三重へ車で走る。

写真は、長崎魚市場食堂の昼食、がんばランド販売の魚・貝類、夕日が丘そとめからの展望、遠藤周作文芸館、出津教会、黒崎教会、あぐりの丘(石橋は畦別当から移築している2号橋)。
夕食は自宅で、朝からみさき駅三和で仕入れていたアコウ(ハタの仲間)の刺身と鍋。

旧車バイク集合?  長崎魚市場近く広場

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旧車バイク集合?  長崎魚市場近く広場

昔懐かしい昭和の時代に製造された旧車やバイクと同型車が集合。長崎市三重地区京泊、長崎魚市場近く「長崎漁港がんばらんど」横の広場であっていた。
軽自動車を主に写してきた。残念だが、きのうだけの開催。来年春、またあるだろう。三重商工会HPによる開催要領は、次のとおりだった。

第5回長崎旧車スペシャル@三重

長崎県長崎市の三重地区において『第5回長崎旧車スペシャル@三重』を開催します。
三重地区地域住民及び地区外からの来外者を招いての旧車祭りを開催して、憩いの場を醸成すると共に社会秩序・交通安全を遵守するオールドカーを結集して、交通安全を呼びかけ、併せて交通遺児への募金を実施し、社会貢献と地域活性化を目的とします。
つきましては、エントリー及び出店についてご案内致しますのでぜひご参加ください。

1.開催日時 平成26年3月21日(金)春分の日 午前9時〜午後3時(午前8時受付開始)
2.会 場 長崎魚市場近く「長崎漁港がんばらんど」の横の広場(長崎市京泊)
3.主 催 三重商工会青年部
4.参加対象車  ◎昭和の時代に製造された車及び同型車  ◎昭和の時代に製造されたオートバイ及び同型車  違法改造車(暴走族車両とみなされる車両)の参加は、お断り。

「クイーン・エリザベス」が長崎に初寄港

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「クイーン・エリザベス」が長崎に初寄港

2014年3月21日午前11時頃、長崎港松が枝国際観光船埠頭で撮影。長崎新聞3月22日(土)9時34分配信記事は、次のとおり。
最後の写真は、対岸の三菱造船所立神ドックで現在、建造中の大型のクルーズ客船。伊コスタ・グループから受注した大型クルーズ客船2隻の1番船。12万4,500総トン、約3,300人乗りで、アイーダブランドの客船としては最大の船型という。

豪華客船ようこそ鶴の港へ

世界一周の旅を続ける英国の豪華客船「クイーン・エリザベス」(9万1000トン)が21日、長崎市松が枝町の長崎港松が枝岸壁に初入港した。
英国王室の許しを得て女王の名を冠している。3代目でキュナード・ライン社が運航。乗客約2千人のうち日本人は2割。同社が所有する3隻の豪華客船すべて入港したのは長崎が日本で初めてという。
早朝から多くの市民が集まり、「世界一豪華」とされるクルーズ船の写真を撮ったりスケッチをしたりしていた。同日午後6時ごろに次の寄港地、韓国・釜山に向け出港した。

「四郎ケ島台場跡」国史跡指定と、「神の島低砲台跡」

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「四郎ケ島台場跡」国史跡指定と、「神の島低砲台跡」

「四郎ケ島台場跡」の国史跡指定について、長崎市市史編さん室編集「長崎市史だより」平成
26年3月発行第9号4頁に、次のとおり記事があった。
「国の文化審議会は平成25年11月15日、国史跡「長崎台場跡魚見岳台場跡」に「四郎ケ島台場跡」を追加し、「長崎台場跡魚見岳台場跡四郎ケ島台場跡」と名称を変更しました。…今回、追加指定された四郎ケ島台場は年代が少し下った嘉永6年に作られました。…」との内容。
なんでこんな大事なことが「コラム」なのだろうか。「トピックス」ならまだわかる。「広報ながさき」や「長崎市の文化財」HPでは、今もって大がかりな広報がないようである。はたして答申を文部科学相がいつ正式に追加指定したのか、わからない内容の記事である。きょうの新聞は報じていなかった。(市文化財課に確認すると、文部科学省から3月18日決定と通知があったという)

次は、3月2日(日)午前実施された、長崎市文化財課主催「−文化財めぐり− 国史跡指定答申(?)記念〜長崎台場跡四郎ケ島台場跡とその周辺をめぐる〜」の参加者配布資料。私は参加していない。2頁に「神ノ島台場跡(埋蔵文化財)」があるが、その説明は不備である。
「明治に至り、四郎ケ島台場を含めた長崎台場の役割が終わったのち、明治31年(1898)に神ノ島は28cm榴弾砲8門を有する「神ノ島高砲台」が竣工され、「神ノ島低砲台」とともに近代の要塞へと化しました。現在も高砲台跡の一部は神ノ島公園内に残っています。…」

この項は、本ブログ次を参照。浄法寺朝美氏著「日本築城史」原書房昭和46年発行228〜
234頁に記した「長崎要塞 2)神の島低砲台」の調査がまったく行われていない。
神の島公園の西南部、すぐ下の堂の下部落の民家前に、庭のようにして遺構が現存するのを、ピースバトン長崎学さるくも知らないのだろう。長崎市文化財課は、文化財めぐりで参加者を案内していない。佐賀から大勢が参加している。答申資料に重大な記載洩れではないか。
https://misakimichi.com/archives/1694
https://misakimichi.com/archives/3878

「神の島低砲台」跡は、私たちが陸軍省要塞標の調査で、現地写真のとおり早くから遺構を確認していた。場所は神の島公園から四郎ケ島へ下る車道右脇の民家道に入る。カトリック墓地下となる。地元の年配者ならだれでも知っている。「日本築城史」による記録は、次のとおり。
2)神の島低砲台
神の島の西南部、堂の下部落の西約100メートル、海岸線より50メートル、標高18メートルの地に、明治31(1898)年8月着工、同32年7月竣工した、スカ式9センチ速射カノン4門の砲台である。備砲は34(1901)年3月着手し、35年2月に完了した。備砲費は3万8100円であった。首線方向はSE10°で、長崎湾口に向いている。射界は120°である。(略)

なお、長崎市文化財行政に対する同じような疑問は、次の例にもあるので、コメントとも参照。
深堀陣屋跡の現況 (5)
https://misakimichi.com/archives/3922
深堀景観まちづくりガイドライン (タッちやんブログ報告)
http://blogs.yahoo.co.jp/turbobf1516/54606782.html

船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (2)  2014年3月

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船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (2)  2014年3月

2014年3月16日(日)快晴。長崎市東長崎地区の船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。
JR肥前古賀駅9:47—古賀ラカンマキ9:55—船石「下大野橋」11:39—並松翠鯉の苑12:00(昼食)12:35—「千歳橋」12:38—二双舟タブの木13:05—旧本田家住宅13:38—藤棚13:51—つつじが丘入口バス停14:05(徒歩距離 約8km)   

時津町に続く船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。所在場所は、本ブログ次を参照。次回は4月20日に喜々津町を予定。 https://misakimichi.com/archives/604
午前(1)からの続き。第二のアーチ式石橋「千歳橋」は、昼食をとった「並松翠鯉の苑」のすぐ先にある。標石によると明治45年3月架設。県営バス古賀木場終点前を通り、二双舟まで行く。高い石垣の旧家の入口にタブの大木がある。石垣を背景に樹形が見事な木だったが、今は幹先がだいぶん伐採されていた。

川沿いの市道へ戻り鞍部の峠を越し、下って行くと長崎自動車道に出る。左側へ向い高架下のトンネルをくぐって、国指定重要文化財「旧本田家住宅」を訪ねる。すぐ手前のところで、花が白・赤・紅白の珍しい椿の木があった。ハマグリそっくりの石もあった。
「旧本田家住宅」から「古賀の藤棚」までは、遊歩道を歩くとすぐ近くである。日本三大土人形とされる「古賀人形」工房はここにある。旧長崎街道を長崎へ少し戻り、つつじが丘入口バス停へ出た。バスの便は団地発着なのでここが良い。

船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (1)  2014年3月

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船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (1)  2014年3月

2014年3月16日(日)快晴。長崎市東長崎地区の船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。
JR肥前古賀駅9:47—古賀ラカンマキ9:55—船石「下大野橋」11:39—並松翠鯉の苑12:00(昼食)12:35—「千歳橋」12:38—二双舟タブの木13:05—旧本田家住宅13:38—藤棚13:51—つつじが丘入口バス停14:05(徒歩距離 約8km)   

時津町に続く船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。所在場所は、本ブログ次を参照。次回は4月20日に喜々津町を予定。 https://misakimichi.com/archives/604
長崎駅9:24発諫早行乗車。「七つ星」は駅事務室前のポスター。肥前古賀駅から歩き出す。駅から下ると、赤瀬宅庭に日本一のラカンマキがある。親和銀行保養所「迎仙閣」正門庭には、滝の観音道「たきみち」の標石があるが、門を閉めていて見学できない。国道34号線を渡り、旧長崎街道の道を歩く。古賀殉教地の碑やキリシタン墓石(水樋石?)がある。

石橋調査で和仁会病院の谷間を登ったので、福端寺は訪問もれ。病院から下ると、古賀庄屋屋敷跡の民家玄関前に、藩境石「大村領」が2本ある。水害で移設している。
いよいよ船石町に入る。現在の木場橋をまず見て、干束野へ上がる。九州新幹線(西九州)のトンネルがここにできるのか、測量表示があった。集落へ向うと、第一のアーチ式石橋「下大野橋」がある。昭和35年架設。

運動公園へ回って並松へ下ると、田嶋邸「並松翠鯉の苑」がある。かつての石橋「木場橋」を架けた当家。長崎大水害で流された橋の欄干片側をここに移設し保存している。
水苑脇で昼食。ザボン漬はいつものO氏宅特製。以下(2)に続く。

史談・史論「深堀小学校の文化財」  平 幸治氏稿

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史談・史論「深堀小学校の文化財」  平 幸治氏稿

平 幸治氏は芦屋市在住、長崎新聞社刊「肥前国 深堀の歴史」著者。2014年(平成26年)2月9日(日)付長崎新聞文化欄カルチャーサロンの寄稿記事。深堀地区の景観まちづくりに貴重な資料となるので、筆者の了解を得て再掲する。
詳述は、「肥前国 深堀の歴史」(新装版)教育の項352〜357頁にある。扁額の写真も、同
353頁から。

後の写真は、現深堀小学校の校庭に展示されている旧校門石橋の遺構と、武家屋敷通り樋口家の石塀改修工事の様子(見学会は開催済み。タッちゃんブログが載せていた。)
この項は、本ブログ「深堀陣屋跡の現況(5)」も参照。長崎市の対応は、重大な禍根を残した。  https://misakimichi.com/archives/3922

史談・史論「深堀小学校の文化財」  平 幸治
豊かな教育史示す額

筆者の母校、長崎市立深堀小(同市深堀町)は長崎市内で最も古い歴史を有する小学校である。同市内ではふつう勝山小(現桜町小)が最古といわれる。たしかに近代的な学制により明治6(1873)年3月に設置された向明学校つまり勝山小が翌7年7月設置の深堀学校より古い。しかし深堀学校はそれ以前の佐賀藩深堀領の郷学校を継承したもので、こういう前史を有する小学校は長崎市内では深堀小のみである。
江戸時代、佐賀藩領であった深堀や諫早、神代にはいずれも藩校に準ずる郷学があった。深堀では既に寛永年間(1624〜1643)には学舎を創設し家臣子弟の教育を行っていたが、幕末ごろには領主邸内に学館を構え校名を羽白館(うはくかん)と称した。羽白は論語の「学而時習之」から習の字を分解したものである。安政7年(1860)に校名を謹申堂(きんしんどう)と改めた。領主鍋島茂精(しげきよ)の要請で佐賀藩儒学者草場佩川(くさばはいせん)が「孟子」の章句から名付けたものである。深堀小には佩川筆「羽白館」と「謹申堂」の扁額(へんがく)が現存する。
謹申堂では漢学・洋学・算法・筆道・習礼および槍剣(そうけん)を教授し文武両道を学ばせた。また維新後には英学教員一名がいて、いち早く英学も教授したことは特筆すべきである。生徒数は通学生約80人、寄宿生20人、生徒からの束脩(そくしゅう)謝礼は不要で生徒のうち15人は官費生であった。春秋2回試験を行い優秀者には賞を与えた。領主茂精も佐賀から帰領するたびに生徒にテストを試み督励したという。また上進者は佐賀の藩校弘道館に遊学させた。
明治維新後は佐賀藩深堀郷学校、長崎県官設移管、深堀義塾に改称と変遷した。さらに政府の学制発布をうけ明治7(1874)年、第五大学区第一中学区深堀学校として継承し現在に至っている。また同19(1886)年、高等小学校の制度発足により野母半島18カ村の共立として第三高等小学校が置かれたのも深堀で、当時の深堀は教育の要地でもあった。
深堀小には前述の扁額の外にも副島種臣筆「深堀学校」、時の文部少輔九鬼成海筆「天任徳」の扁額が遺る。これらは教育史上貴重な文化財と言ってよい。
しかし同校が160年以上の歴史を持つことや、同校に伝来するこの貴重な資料の存在はあまり周知されていないようである。
豊かな歴史を有する深堀は地区内に多数の史跡も残る。こういう生の教材を活用して子どもたちが郷土の歴史に学び、郷土に対する愛着と誇りを育むことは、地域の活性化のためにも極めて大切ではなかろうか。  (六史会会員)

あご雛?  長崎県平戸市

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あご雛?  長崎県平戸市

ブログ”gonbeyaの部屋”2014年3月11日の記事から。私の先輩。これは傑作。

gonbeでーす。

まだまだ寒い日が続いてますね。(T_T) ウルウル

今三月、各地でおひな様の祭りをやってます。九州だと日田が有名だし、柳川のさげもんなども綺麗です。
昔の城下町で、武家屋敷がある地区での商店街でやってるのが多いようです
長崎も島原、大村、平戸などでやってるので、天気も良いので平戸へ行ってみました。
佐世保まで高速で行き、あとは一般道を走ったのですが、なぜか時間ばかりかかったみたい・・・
そんなに混んでる訳でもないのに・・・・やはり県北となると遠いのかな??

丘の上に立つ平戸城はこじんまりしてるけれど、港から見上げるといい感じのお城です。
藩主の松浦氏の資料館にはポルトガル関係の資料などたくさん展示してありました。
のちにオランダとの貿易で賑わってたのが、キリスト教禁止令に絡んで日本の貿易は長崎に移ってしまったんですね。

街中のお店には、通りから見えるようにおひな様が飾ってあり、店内に自由に入ってみることもできました。
古いのでは101年経つのがあり、そのひな飾りを贈られた本人もまだ元気でいて、偶然に同じ日にひ孫もできたと言ってました。
傑作だったのは、平戸の特産品「あご(トビウオ)」をひな飾りにしてるのがありましたよ。
ひな祭りの後は食べてしまうのでしょうかね??

ではでは、また〜(^^)/~~~