月別アーカイブ: 2013年11月

茂木から九電鉄塔作業道を歩き重篭まで  2013年11月

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茂木から九電鉄塔作業道を歩き重篭まで  2013年11月

2013年11月24日(日)快晴。茂木から九電鉄塔作業道を歩き重篭まで。参加6人。みさき道歩会の例会。17日が雨のため延期。本年6月のリベンジ調査。
茂木黒橋バス停10:00—大山祗神社10:38—北浦車道途中—12号鉄塔10:59—11号鉄塔11:24—(道迷いロスあり)—10号入口農道12:25(昼食)12:55—10号鉄塔13:05—9号鉄塔13:16—8号鉄塔13:53—7号鉄塔14:55—6号鉄塔15:19—重篭車道15:
49—長崎(早坂)IC16:10—タクシーで田上バス停へ16:40(徒歩距離 約9km)

2013年6月2日(日)の例会は、九電送電線の長崎江川線(長崎丸山線)3号鉄塔から茂木大山祗神社上の12号鉄塔まで、重篭尾根の九電鉄塔作業道を茂木まで下る予定だった。
5号鉄塔まで行って、6号鉄塔の矢印標識が轟の滝少し上流の市道右にあったものの、先の山道がわからず、途中で断念した経過がある。
6月の記事は、次を参照。  https://misakimichi.com/archives/3691

今回は、逆に茂木側の12号鉄塔から6号鉄塔まで登って、5号鉄塔へ続く道を調査した。
大波止9:40発茂木行乗車。黒橋バス停から歩き出す。かつて石橋だった柳山橋や大山祗神社のヤマモモ古木を見ながら、北浦へ抜ける市道に入る。
途中に12号鉄塔と、その先に11号鉄塔の入口標識があり、以下はこれにより九電鉄塔作業道を登るが、行程は起伏が急で長く、難路が多いので、詳細は省く。

鉄塔写真は、登った順に12号から6号までを写して載せた。
6月の不明地点は、河川改修しているあの川をやはり渡らないと、山道は続いていなかった。

松林重宗氏「長崎を描いてさるく」原画展  長崎市栄町 昭和堂ギャラリー

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松林重宗氏「長崎を描いてさるく」原画展  長崎市栄町 昭和堂ギャラリー

「長崎を描いてさるく」原画展は、先輩の水彩画家・松林重宗氏の作品展。11月21日(木)から25日(月)まで。長崎市栄町袋橋の通り長崎昭和堂ギャラリーで。時間10:30〜18:00
作品の一部を写させてもらった。説明は同画文集から。長崎の馴染みの風景が描かれている。本ブログ次も参照。現在の写真は、私手持ちのを適当に載せた。
https://misakimichi.com/archives/3483

馬込天主堂(伊王島)  p8(2012)

冬の伊王島は風が吹いてとても寒い。しかし、この日はいいお天気で風も穏やかなので出かけることにした。伊王島大橋が完成したのでわが家から30分くらいで行けるようになった。
先日から課題となっている馬込天主堂を描くのが目的である。この天主堂は正面の塔が複雑でデッサンが難しい。そこで今回はもう少し離れて横から眺めることにして、東側の防波堤の上に座り込んだ。
描き始めてみると、この塔はほんとに複雑で立派である。あまりに高くてバランスを壊しているのではないかと思ったりする。出来るだけ細かいところに気を取られないようにデッサンを進めた。

柿泊海岸  p10(2010)

柿泊海岸は五島灘に面した海水浴場。駐車場やトイレが完備していて大勢で描きに来るのにいい場所である。遠くに形の良い神楽島が見え岩と断崖で男性的な絵が描ける。「傘岩」という変わった形の岩や山手の方の集落や畑も絵になり、春には山桜もきれい。

バーゲンセンター  p10(2010)

戸町の海岸通りにあるこの店は、古い木造三階建てを利用していて、欲しいものは何でもある便利な店である。
かって、戸町の深い入り江には小型造船所が立ち並んで漁船や機帆船がぎっしり停泊していて、この通りは遊郭が立ち並ぶ歓楽街になっていた。私も幼いころ、「異様な雰囲気の街だな」と感じた記憶がある。
戦時中、火災防止のため海岸よりの建物が取り壊されて現在にいたっているが、この建物はそのころの名残をとどめている。

あぐりの丘晩秋  p10(2008)

木枯らしの吹く寒い日が続いた後に陽射しのまぶしい朝を迎えた。こんな時にはどこかに描きに行きたくなるものである。先ごろから妻がニンジン作りにいっていた「あぐりの丘」で描きたいところを見つけていたので、そこへ出かけることにした。
しかし、わが家から約40分、車をとばして来たこの場所は、期待に反してもはや冬枯れに近い状態であった。すこし気勢をそがれた気分になったが、小春日和のなかで3時間あまり、訪れる客はほとんどなかった。

北海道の物産と観光展  長崎市浜町 長崎浜屋

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北海道の物産と観光展  長崎市浜町 長崎浜屋

平成25年11月8日(金)〜11月25日(月)18日間、長崎浜屋百貨店で「第33回 北海道の物産と観光展」を8階特別催事場で開催中。
らーめん茶屋で弟子屈ラーメン「北海道全部のせ味噌ラーメン」を食べた。餃子とセット1200円。少しゴテゴテしすぎだろう。

長崎市民美術展・長崎さるくポスター展  長崎市出島町 県美術館

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長崎市民美術展・長崎さるくポスター展  長崎市出島町 県美術館

長崎県美術館HPの県民ギャラリー・運河ギャラリー情報などは、次のとおり。
3,4枚目は、友人川上正徳氏の市展入選作。土井首のペーロンを描いた水彩画「力漕」と、女神大橋から撮影した写真(後期展示)「帆船まつりの花火」。

■ 展示区分 県民ギャラリー
■ 展覧会 第61回 長崎市美術展
■ 会期 2012年11月22日(木)〜12月9日(日)
■ 会場 県民ギャラリー全室
■ 主催 第61回長崎市民美術展実行委員会(長崎市・NPO法人長崎市美術振興会・長崎市書作家協会・長崎市教育委員会・NPO法人長崎国際文化協会)
■ 概要 本展は、長崎市を中心とする住民に対して、美術作品を公募する総合美術展です。本展の開催により長崎地域における美術活動の一層豊かな振興発展に寄与します。

前期:11月22日(木)〜30日(金)
【日本画・洋画・デザイン・クリエイティブ・ジュニア絵画】
後期:12月2日(日)〜9日(日)
【南画・水墨画・書・写真・工芸・ジュニア書写】

※入場料/一般 300円(前後期共通入場券)
70歳以上 100円(前後期共通入場券)
◎高校生以下・障害者手帳保持者及び介護者1名まで無料
※10:00〜18:00(最終日は17:00まで)
※11/26(月)、12/1(土)は休室

長崎県美術館 ‏@nagasaki_museum 11月18日
【今週の運河ギャラリー】11月19日(火)ー24日(日)最終日は18時まで/JAGDA長崎会員企画展「長崎さるくポスター展」「韓国デザイン貿易」「うつわ展(波佐見焼とのコラボレーション)」
◎入場無料

2013年(冬) 糸山玲子作陶展  佐賀県多久市多久町東町

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2013年(冬) 糸山玲子作陶展  佐賀県多久市多久町東町

多久市観光協会公式サイト「多久市観光ガイド」による案内は、次のとおり。妻の休日。

2013年(冬) 糸山玲子作陶展

多久町にあります工房「陶玲」で活動されてます、糸山玲子さんの作品展「2013年(冬) 糸山玲子作陶展」が11月17日(日)〜24日(日)に開催されます。
糸山さんは陶あかりを中心に、大好きな山野草を生ける花入れや香炉、日常使いの器など唐津焼をベースにすべて登り窯焼成にて自由な作陶を楽しまれています。
暖かい灯りと揺れる影が織りなす、ゆったりとした時間を楽しまれに足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
期  間 : 2013年11月17日(日)〜24日(日)  
時  間 : AМ10:00〜18:00
場  所 : 「陶玲」工房&ギャラリー
住  所 : 多久市多久町東町2188
電話番号 : 0952−75−6338

深堀町のそのほかの桁石橋  長崎市深堀町2〜5丁目

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深堀町のそのほかの桁石橋  長崎市深堀町2〜5丁目

石橋の項の前記事で、深堀菩提寺参道橋と周辺の桁石橋10を載せた。
https://misakimichi.com/archives/3861
かつての城下町・深堀を歩くと、ほかに小さな桁石橋4つを見た。所在場所は地図のとおり。
戸泊公民館脇「岩の川橋」は、親柱だけ残る。最後の水場は深堀で有名らしいが、名は不明。

深堀陣屋跡の現況 (2)  長崎市深堀町5丁目

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深堀陣屋跡の現況 (2)  長崎市深堀町5丁目

深堀5丁目の深堀陣屋は、御屋敷と呼ばれ、佐賀藩深堀領主の居城だった。春先頃から深堀陣屋跡の周囲立木のほとんどが伐採され、遠くから石垣が望まれ、居城跡の全容がわかる。
先日、現地の高台広場を訪ねたところ、整地工事中。現在の中段にある「深堀カトリック教会」をここに新築し、来年秋の今頃、完成予定と聞いた。長崎市文化財課による史跡調査は、行われたのだろうか。以上は、本ブログ前の記事(1)を参照。
https://misakimichi.com/archives/3862

この記事をブログで見た芦屋市平幸治氏から突然、電話を受けた。平氏は「みさき道」の関寛斎日記原本の解読などでたいへん協力いただいた。地元深堀出身で、長崎新聞社刊「肥前国 深堀の歴史」著者である。
私はこれまでまったく知らなかったが、10月初めから「深堀陣屋遺構の適正かつ完全なる保存維持をはかり、まちづくりへの積極的活用を検討されるよう」関係先へおひとりで陳情活動をされていた。

「歴史的文化財の保存の時機を逸すれば破壊損失につながる事例は深堀町5丁目の武家屋敷跡石塀の状況に鑑みれば明白であります。今回の機会を逸することなく関係各位のご尽力を切望いたします」と、長崎市文化財の史跡に早く指定するよう嘆願している。
さて、長崎市や教会側の対応である。きのう再び現地を訪ね、少し調べてみた。

「深堀陣屋跡」については、平成3年5月、長崎市南公民館どじょう会「城郭他遺構調査書」がある。遺構の詳しい調査まで実施されていないが、図面など参考となる。
きのう、現地を訪ねると、長崎市文化財課の発掘調査が行われていた。陣屋跡の最上段南西側を掘っており、当主の居間と思われる御座?の礎石が連なって発見され、写真を写してきた。
陣屋下の門柱?も現存。慶応年間の深堀日記に記録がある堀底道は、有海の波止内から続いて登っていることが確認できた。

現在の中段にある深堀カトリック教会前の掲示板には、小教区広報紙「ひろがり」第120号があった。工事の日程、手順と報告があり、特に三、四、五は、遺構にふれているので拡大した。
整地工事中と書いたのは、発掘一部調査の見誤りだったようである。
私はこの件に何も関わることはできないが、過日、長崎市政への提案で「長崎市文化財課による史跡調査は、どの程度行われたのでしょうか」と、疑問は質している。

なお、隣地の市有地広場は、平氏調査によると「おそらく渡辺聞櫓の別荘豊睡園跡地であろうと思います。…江藤新平が佐賀の役の直前に逗留した場所であり、陣屋跡と一体的に歴史公園として整備してもしかるべき歴史的場所」である。
深堀町5丁目の武家屋敷跡石塀の解体石は、この広場に積まれ保管されていた。
最後は、有海にある「波止崎標識?記念碑」と、長崎市立博物館編「長崎学ハンドブックⅡ 長崎の史跡(南部編)」平成14年発行24頁の資料。

淡路島の観光・史跡情報の整備に対する兵庫県の回答

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淡路島の観光・史跡情報の整備に対する兵庫県の回答

本年10月初め、淡路島を訪ねた。いろいろな所感を兵庫県へ提案のところ、兵庫県企画県民部広聴室長の回答は、次のとおり。
長崎市政への提案回答も、このように簡潔で要領を得た回答文を今後はお願いしたいので、その見本とされたい。

淡路島の観光・史跡情報の整備について  (10月30日付 兵庫県へメール送信)

本年10月初め、淡路島を訪ねました。観光だけではなく、史跡や巨樹・滝・石橋など巡りが目的でした。私ブログ「みさき道人 風来紀行」兵庫県の項に、結果を紹介していますから、リスト各記事を参考に見てください。
http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi
次のとおり所感がありますから、関係先において必要な対応をよろしくお願いします。
1 県指定文化財現地説明板が、年数が経過し日射のため、説明文を読めないものが多かったです。早急に現地確認して、新しいものに設置替えしてください。(例 養宜館跡、地蔵立像板碑など)
2 国・県指定文化財について、兵庫県文化財課や淡路教育事務所HPは、一覧表のみで文化財概要がわからず、写真・所在地図がないので困りました。淡路島の分だけでもHP内容を改善できませんか。新規指定・廃止分(例 五斗長垣内遺跡など。旧北本家住宅は?)も修正がなされていません。
3 所在場所が観光地図に表示されていないものが多く、探すのに苦労しました。土日は市役所は休み、洲本バスセンター観光案内所に聞きましたが、場所をまったく知りません。観光面だけではなく史跡の周知と指導をお願いします。
4 国道や県道の史跡入口を示す案内標識を、もう少し適切となるよう点検し考えてください。また、要所にその付近の行き先がわかる観光・史跡全体案内図を増やしてください。途中の分かれ道でも、どちらへ進むかわからないことがありました。
5 国文化財データベースは、リストでは所在地が「兵庫県」としか出てこなく、市町村名がなく淡路島関係を抽出するのに不便でした。国は何とかならないものでしょうか。
6 市指定文化財について、淡路市HPはまったく一覧表もないようです。市への指導もよろしくお願いします。
7 「淡路島近代化遺産」「淡路島百景」などでは、久留麻疎水トンネル、淡路鉄道、旧鐘紡工場建築群などの選定がもれているのではありませんか。関係団体の指導もお願いします。
8 以上は、兵庫県全体では件数が多く、全部をお願いしているのではありません。せめて観光の島「淡路島」だけでも、内容を充実していただければ、観光客がさらに増え好印象を与えると思います。
9 私ブログの淡路島関係記事で、間違いがあったら教示していただければ幸いです。

ご意見への回答(兵庫県)  (11月13日付 兵庫県企画県民部広聴室長の回答)

このたびは、「さわやか提案箱」にメールをお送りいただきありがとうございます。
国生みの神話で知られる淡路島は、歴史遺産も豊富であり、指定文化財も多く存在しています。しかしながら、情報を十分にお伝えできず、折角のご来島にもかかわらず、ご不便をおかけしましたことをお詫びいたします。
1 県指定文化財の説明板について
ご指摘のありました説明板については、予算の制約がありますので、 現場を確認のうえ、劣化の激しいものから順次、改修を図る予定です。
2 ホームページの文化財一覧について
県文化財課及び淡路教育事務所のホームページに掲載している文化財一覧については、掲載データが古いものについてはすみやかに更新を行います。また、掲載内容につきましては、より分かりやすいものとなるよう、今後、方策を検討してまいります。
3 道路標示や観光案内について
史跡に関する道路標示や観光案内などについては、県の観光部局や道 路関係部局、市町関係者等に積極的な情報提供等に努め、来島された方に適切な案内ができるよう取り組みます。
4 国文化財データベース・淡路市ホームページについて
国文化財データベースについてのご意見は文化庁に、市指定文化財についてのご意見は淡路市教育委員会に、それぞれお伝えしました。
5 「淡路島近代化遺産」のホームページについて
「淡路島近代化遺産」のホームページについては、県、市、地域活動団体等が協議し、淡路島の風土資産のうち代表的な資産を紹介したものであり、島内に存在する全ての風土資産を網羅したものではありませんので、ご理解いただきますようお願いいたします。なお、今後、当該ページを見直す際には、いただいたご意見も参考にさせていただきます。
6 「淡路島百景」について
百景候補は、全国、県、市町レベルでの景観の選定実績のほか、淡路島景観フォトコンテストの募集結果やアンケート結果、さらには一般の方から百景にふさわしい景観として投票いただいた結果も考慮しながら、学識経験者や島内在住者等で構成する淡路島百景選定委員会において選定しました。
選定の結果、ご指摘の久留麻疎水トンネルや淡路鉄道は百景候補に選ばれませんでしたが、旧鐘紡工場建築群については百景61番「旧鐘紡工場のレンガ倉庫群」として選ばれています。ご理解いただきますようお願いいたします。

大正十一年頃のガラス写真 193 (旭町から長崎港)

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大正十一年頃のガラス写真 193 (旭町から長崎港)

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
整理番号 193  (旭町から長崎港)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号193は、旭町岸壁あたりから長崎港を望んだ景色と思われる。対岸背景の奥の山は「八郎岳」、手前の帆船後ろは「大久保山」であろう。右端奥には「深堀城山」が見える。
長崎港の対岸地区では、どこも同じような景色となる。帆船が停泊しているから、現在の旭町(市営交通船旭町桟橋があった所)あたりの岸壁が考えられる。岸壁向きが少し気になるが、背景の山の稜線の重なりからすると、このあたりだろう。

大正十一年頃のガラス写真 180 (ガスタンク)

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大正十一年頃のガラス写真 180 (ガスタンク)

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
整理番号180  (ガスタンク)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号180は、左側川岸にガスタンクのようなものが2基写っている。背景の山の稜線は、現日昇館のある浜平高台から坂本方面の山であろう。
これは、尾上町北に現在もある西部ガスの正門入口、馬込川の中の島橋(現在の橋は、昭和
44年8月架設)あたりから、対岸の幸町にあったガスタンク?を撮影していると思われる。