深堀陣屋跡の現況 (1)  長崎市深堀町5丁目

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深堀陣屋跡の現況 (1)  長崎市深堀町5丁目

長崎市の南部。市内でも唯一の城下町だった深堀(城はなかったが、佐賀藩深堀領として深堀陣屋や武家屋敷があった)。遥か縄文時代からの多彩な歴史・文化の歩みを示す貴重な遺跡や史跡が数多く残っている。
「深堀陣屋跡」の現地説明板、及び中尾正美編「郷土史深堀」昭和40年刊の第五部深堀史跡篇195〜212頁による説明は、次のとおり。

深堀陣屋跡
この地に深堀能仲が地頭として下向したのは、建長7年(1255)のこと。深堀氏、本姓は三浦で、上総国深堀(千葉県大原町)の出身。
能仲が、承久の乱の勲功により戸八ケ浦と呼ばれていたこの地へ下って来ると、ここは領主の名をとって深堀と呼ばれた。深堀陣屋とは、深堀藩主の居城のことであり、通称は御屋敷と呼ばれていた。現在地(註 説明板設置の幼稚園の場所)は囲馬場(かこいばば)のあったところである。

(24)御 屋 敷(5丁目272,292)
正式には深堀陣屋、通称は御屋敷。深堀藩主の居城である。今幼稚園の処が囲馬場の有った処。現在書院の一部が残っているが大部が修築されているが其の俤を偲ぶに足るものがある。書院より一段高い所に御座(おざ)があった。これは明治40年頃迄建っていたが自然損耗して当時の礎石のみが残っている。御座は二階建てで庭には川原の黒石が敷きつめられていた。

春先頃から深堀陣屋跡の周囲立木のほとんどが伐採され、遠くから石垣が望まれ、居城跡の全容がわかる。きのう、現地の高台広場を訪ねたところ、整地工事中。
現在の中段にある「深堀カトリック教会」をここに新築し、来年秋の今頃、完成予定と聞いた。

長崎市文化財課による史跡調査は、行われたのだろうか。市指定天然記念物アコウ説明板は、説明部分が風のためか支柱からはがれて飛ばされ、無残に地面に放置されていたので、根元に置いた。こんな管理も、市は必要ではないか。