月別アーカイブ: 2010年9月

伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事  (3)中央ブロック(B)

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伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事  (3)中央ブロック(B)

長崎市伊王島町と香焼町に架橋中の伊王島大橋(仮称)。最後の中央ブロック(B)部分の橋桁架設工事が今朝終り、伊王島大橋が繋がった。
伊王島大橋の全体が完成し供用となるのは、平成23年春の予定。最後の完成予想図は長崎県(長崎振興局道路建設課)HPのパンフレットから。

中央ブロック(B)橋桁架設工事は、9月20日(月)起重機船から吊り降ろす寸前まで行って、うねりのため中止となり、きょう25日(土)に延期された。
自宅から見ていると5日間、橋桁は起重機船に吊り下げられたまま高島側の沖に待機していた。今朝6時頃から船が動き出した。すぐ香焼の辰の口海岸及び総合運動公園展望台へ行って、架設状況を写してきた。ドッキングしたのは8時15分頃。
報道関係者や一般の見学者が、きょうは多かった。

千々峠(乙女峠)への登山口にある桁石橋  長崎市平山町

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千々峠(乙女峠)への登山口にある桁石橋  長崎市平山町

長崎市平山町の八郎岳山系、千々峠(乙女峠)への登山口にある沢。大川の上流部となるが、ここにアーチ式の実験石橋づくりに通っていて気付いたが、道標のある登山口すぐ手前の左から支沢を渡る林道の下は、覗いて見ると桁石橋である。
場所は、平山バス停から長崎市民農園駐車場前を通り、砂防ダム上の林道の奥へしばらく進む。県有林があるため、造られた林道と橋と思われる。

(追 記 平成22年10月10日) 林道手前のも桁石橋

きょう、またこの長崎市民農園駐車場前林道を通った。砂防ダム手前でも林道は別の支沢を渡る。下を覗くとこれも桁石橋であった。写真6〜8枚目に追加する。

雲仙上大野木場の赤松谷へ  平成22年9月

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雲仙上大野木場の赤松谷へ  平成22年9月

平成22年9月20日(月 敬老の日)曇り一時雨。雲仙上大野木場の赤松谷へ。上大野木場仁田峠線登山遊歩道により仁田峠の野岳(標高1142m)まで往復するつもりだったが、赤松谷展望所の遊歩道入口まで行っても降雨が強く、登山は中止した。参加11人。

長崎は曇り。車3台で7時30分出発。田代原・国見百花台・まゆやまロード経由で、平成新山の真下となる赤松谷展望所の上大野木場仁田峠線登山遊歩道入口まで行った。途中で降雨あり。田代原などで雨宿りしながら10時に着いた。
雨は時折ひどくなる。山の天気は15時頃までおさまりそうにない。

登山は中止。島原の奥座敷、200年の歴史ある新山温泉(旅館「上の湯」 島原市新山4丁目)へ。眉山の麓、大庭園がある静かな旅館。鉄泉の湯を550円で利用でき、大広間でくつろいだ。
車1台は温泉には行かず、雲仙白雲の池から絹笠山と矢岳へ登ったそうだ。
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26031710.html

幻の「乙女橋」 自然石による石橋づくり  あえなく落下

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幻の「乙女橋」 自然石による石橋づくり  あえなく落下

佐世保市吉井町の「吉井エコツーリズムふるさとの会」(末永暢雄会長(日本の石橋を守る会会員)、15人)は「日本一の石橋のある風景」づくりに取り組んでおられます。末永会長が、地元の石橋文化を継承しようと会に提案。自然石による石橋づくりを企画され、石橋は次のとおり完成しました。
次HPで地図上吉井町をクリック。 http://5.travel-way.net/~niemon/nagasaki/nagasakihasi.html
「夢 追 橋」  佐世保市吉井町立石
橋長:2.2m  橋幅:0.75m  径間:1.2m  拱矢:55cm  環厚:25〜30cm
架設:平成22年(2010年)3月21日  棟梁:末永暢雄

長崎市にも、本河内高部貯水池のダム底に残る自然石によるアーチ式石橋は、長崎市指定有形文化財となっている。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/405
現川焼で知られる東長崎の現川地区に、小さな自然石アーチ式石橋が少なくとも6橋あった。石橋群として長崎市指定有形文化財に指定されていたが、JR長崎本線の新線工事で2橋が消え、昭和57年(1982)7月の長崎大水害により4橋が流失、すべての石橋が消失している。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1433

吉井町「夢追橋」のことをにえもんさんHPで知り、私たちも石橋づくりに挑戦することとした。
場所は、長崎市平山町の八郎岳山系、千々峠(乙女峠)への登山口にある沢。大川の上流部となる。平山バス停から長崎市民農園先の林道を進み、登山道に入って約400歩。2つの小滝が合流し、滝つぼの落しを飛び石で渡るが、増水時にはやや危険である。
石橋づくりの実験のため、何よりも河原に石や間伐した材木があったことが、場所決定の理由。自宅近くでありすぐ通える。八郎岳は九州百名山の1つ。休みの日には市外の登山者や下山者が結構多い。

もとより最初から人が渡れるような強固な石橋をつくれるとは思っていない。アーチ形ができ、写真だけ写れば上出来だと考えていた。案の上、腹案(仮称)「乙女橋」は、状況写真のとおり、落下してあえなく失敗した。
近くの河原で適当な大きさと形をした石が揃わない。丸太とブルーシートでは完全なアーチができていない。径間を短くし、2回つくり直したが、バランスを崩し落下した。最も重要な要石となる石がまったく見当たらない。

末永先生の話のとおり、一番重要なことは、気力。「ま、いいだろう」では石橋は落ちる。こだわりを持ち、完璧に積み上げること。
自然石による石橋づくりの難しさを実感した。現川地区の昔の人はすばらしい。2回の失敗により私は気力喪失した。材料は現地に片付けて置いてあるので、どなたか挑戦をお願いしたい。
恥ずかしい記事となったが、にえもんさん、末永先生、そして長崎県の石橋を訪ねて〜の安元さん、見てください。
写真6以降、大石と小石との間でズレて、大石が少し落下し、アーチ形を崩し壊れかけた。

伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事  (2)香焼側(C)

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伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事  (2)香焼側(C)

長崎市伊王島町と香焼町に架橋中の伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事が始まっている。この工事により、伊王島大橋の全体が繋がる。
長崎県(長崎振興局道路建設課)HPによる架設日程などは、次のとおり。伊王島大橋の全体が完成し供用となるのは、平成23年春の予定。

9月14日の伊王島側ブロック(A)に続き、きょう9月17日香焼側(C)が架設されているので、午前10時20分頃、香焼総合運動公園展望台に行って写してきた。それが最後の写真。
大塚氏が来ており、朝からの架設状況を撮影していたので、最初の1〜5枚とおり、必要な画像を借りた。

・架設日程
平成22年9月14日(火) (伊王島側ブロック)(A)
平成22年9月17日(金) (香焼側ブロック)(C)
平成22年9月20日(月) (中央ブロック)(B)
※荒天等により作業が変更になる場合があります。

・架設方法
上図のとおり。

・作業時間(架設当日)
【9月14日(火)・9月17日(金)】
① 7:30頃 ブロックを吊った大型起重機船が現地に進入
② 9:00頃 ブロック設置作業開始
③12:30頃 ブロック設置完了(吊り荷重開放)
④16:30頃 大型起重機船が現地から出域

【9月20日(月)】
① 7:30頃 ブロックを吊った大型起重機船が現地に進入
② 9:00頃 ブロック設置作業開始
③13:30頃 ブロック設置完了(吊り荷重開放)
④17:00頃 大型起重機船が現地から出域

・工事の見学について
工事の状況については、香焼総合運動公園展望台にて見学可能です。

伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事  (1)伊王島側(A)

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伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事  (1)伊王島側(A)

長崎市伊王島町と香焼町に架橋中の伊王島大橋(仮称)の橋桁架設工事が始まった。この工事により、伊王島大橋の全体が繋がる。
長崎県(長崎振興局道路建設課)HPによる架設日程などは、次のとおり。伊王島大橋の全体が完成し供用となるのは、平成23年春の予定となっている。

きのう午前10時頃、香焼辰の口海岸へ行ったら、伊王島側ブロック(A)の架設はすでに完了していた。橋桁ブロックは、JFEエンジニアリング津製作所(三重県)及びハルテック和歌山工場(和歌山県)の2拠点で製作され、約5日かけて海上輸送されている。     

・架設日程
平成22年9月14日(火) (伊王島側ブロック)(A)
平成22年9月17日(金) (香焼側ブロック)(C)
平成22年9月20日(月) (中央ブロック)(B)
※荒天等により作業が変更になる場合があります。

・架設方法
上図のとおり。

・作業時間(架設当日)
【9月14日(火)・9月17日(金)】
① 7:30頃 ブロックを吊った大型起重機船が現地に進入
② 9:00頃 ブロック設置作業開始
③12:30頃 ブロック設置完了(吊り荷重開放)
④16:30頃 大型起重機船が現地から出域

【9月20日(月)】
① 7:30頃 ブロックを吊った大型起重機船が現地に進入
② 9:00頃 ブロック設置作業開始
③13:30頃 ブロック設置完了(吊り荷重開放)
④17:00頃 大型起重機船が現地から出域

・工事の見学について
工事の状況については、香焼総合運動公園展望台にて見学可能です。

大野原の猪見岳直下にある「陸軍」境界石  東彼杵郡東彼杵町

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大野原の猪見岳直下にある「陸軍」境界石  東彼杵郡東彼杵町

大野原高原は、長崎とは思えない大草原が広がる。猪見岳(標高589.8m)は手軽に登れて、大野原高原を一望できる景色の良い山だが、陸上自衛隊大野原演習場内の南端にあり、演習中は立ち入り禁止となる。実弾演習の着弾観測地点として利用されている。
千綿手前から四つ池へ上がり、遠目郷の方へ右折して林道蕪線へ入る。高い鞍部のカーブミラーがある所が登山口。標識は何もないが、植林地から草原をまっすぐ登ると猪見岳山頂である。

「陸軍」境界石は、9月12日(日)猪見岳に登った時、山頂直下で3本見かけた。10月野焼きのため、現在、境界の防火帯が草刈りされており、そこに「陸軍」と刻んだ珍しい境界石があった。
写真のとおり矢印、番号も刻まれ、帝国陸軍時代の古い標石と思われる。演習場の全域を丹念に調べると、何本も残っているだろうが、見やすい所の見本として、ここのを掲げる。

陸上自衛隊大野原演習場の【前史】は、HPによると次のとおり。後ろの写真は、中尾郷にある「大野原演習場廠舎」とその先の県境付近道路から見た大野原演習場。

県下で最大の広さを誇る雄大な大野原高原は、東彼杵郡東彼杵町と一部は佐賀県嬉野町にまたがる大草原である。千綿川をはさみ南に標高589mの猪見岳、北に492mの琴平岳が相対している。
1909年に陸軍省が演習場として買収し、区域内の人々は現在の太ノ浦の集落などに移転した。1945年の終戦で大がかりな開拓団が入ったが、46年に米軍に接収されて、再び演習場として使われ55年に自衛隊に引き継がれた。

大野原の猪見岳と龍頭泉へ  平成22年9月

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大野原の猪見岳と龍頭泉へ  平成22年9月

平成22年9月12日(日)曇り一時雷雨。東彼杵町大野原の猪見岳(標高589.8m)と龍頭泉へ。参加9人、車4台、高速道利用で行く。
長崎8時40分出発ー高速道で大村へー野岳湖経由遠目郷へー林道蕪線登山口ー猪見岳往復ー四つ池ーいこいの広場ー龍頭泉ー東彼杵テクノパーク入口ー大村ゆの華温泉へー長崎15時50分帰着

大野原高原は長崎県最大の玄武岩溶岩台地。標高400〜500mの草原として広がる。大部分は自衛隊大野原演習場となり、その南端にある山が標高589.8mの猪見岳だ。
野岳湖を経由、遠目郷遠久保の三叉路から蕪線林道へ入る。カーブミラーがある所が、猪見岳に最も近い登山口。植林を抜け演習場内の草原に出ると、真上が山頂で約15分で着く。
山頂直下の「陸軍」境界石は、 https://misakimichi.com/archives/2425

草原に巨石が点在、四等三角点がある。郡岳826mが近くにそびえ、大野原高原、四つ池、大村、川棚方面の展望が良い。
昔はここから遠目越え、平谷温泉へ出ていた。その山道を探し東へ下山途中、雷雨に会い早々と退散。車へ戻る。いこいの広場で弁当にできず、龍頭泉も初めて人が多く、滝へ下って昼食とした。そのまま帰り、長崎空港入口の大村ゆの華温泉へ寄った。

長崎の西空の夕日  10−12

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長崎の西空の夕日  10−12

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 3  平成22年 8月29日の19時04分頃
写真  4〜 5  平成22年 9月 4日の18時20分頃
写真  6〜 9  平成22年 9月 8日の18時27分頃
写真 10〜12  平成22年 9月 9日の18時36分頃

大タンクは? 土井首海岸の網代港跡  長崎市土井首町

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大タンクは? 土井首海岸の網代港跡  長崎市土井首町

2009年6月17日の記事「カヌーと導水管? 鹿尾川河口」の続き。
前の記事は、 https://misakimichi.com/archives/1816

土井首郵便局角から唯念寺の前を通り、土井首海岸の網代港跡を訪ねる。高島・端島への送水用コンクリート造大タンクが残っていたが、1年ほど前に壊し駐車場となっていた。
すぐ先の公園は、旧土井首村役場跡。公園に水準点と長崎市編入記念碑があった。

海岸へ出ると、昔の網代港を偲ばせる壊れかけた古い石組みの波止場が見える。長崎市立土井首中学校3年生によるペーロン体験学習が行なわれていた。

(註) この記事は、2009年6月19日記事の再掲。前のはいかがわしいトラックバックが多いため削除した。