長崎県の石橋」カテゴリーアーカイブ

西川内の小アーチ式石橋  諫早市多良見町西川内 ( 長崎県 )

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西川内の小アーチ式石橋  諫早市多良見町西川内

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータから、諫早市多良見町西川内で最近見つかった「井手口橋」と「岩首橋」を紹介した。きのう、2橋を確認に行ったのだが、西川内においてほかに石橋がないか探してみた。別に小さなアーチ式石橋1つを見つけた。

この石橋の場所は、西川内の石橋所在図のとおり。大正12年春大草村 伊木力村指差し道標がある西の川内旧バス終点の少し手前。北側の小さな谷間へ上がる小川沿いの里道がある。コンクリート製のような石桁橋のすぐ上流に小橋が架かる。下を覗いたらアーチ式石橋だった。橋幅2m、橋長2mくらい。

手前に子宝神の石塔入口があった。近隣に聞くと、当時、谷奥には4軒の民家があり、そのための石橋と思われるが、橋名はわからない。
旧バス終点の指差し道標は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/63
ここには以前来たことがあったが、地区の石橋のことは、多良見町郷土誌に記録がない。深く探したことはなく織田先生もご存知じなかった。

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータに、次のとおり登載された。

№7,918  源八の石造アーチ橋

諫早市多良見町西川内 源八
橋幅:2.2m  径間:1.9m  拱矢:m  環厚:21cm  輪石:11列(右岸:5列 左岸:6列)
11月28日に近くで見つかった岩首橋と井手口橋を確認に来ました。
その後、12月19日に長崎のHさんが2橋を確認の際、この橋を発見されました。

岩 首 橋  諫早市多良見町西川内 ( 長崎県 )

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岩 首 橋  諫早市多良見町西川内

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。国道34号塚原交差点からJR市布駅に入り、市道を西川内公民館を過ぎた奥の旧バス終点まで進む。この二差路に大正12年春大草村 伊木力村指差し道標がある。
源八の石桁橋の方へ左側の市道をさらに進むと井手口橋があり、やがて大石垣の民家角から左へ曲がると岩首橋が架かる。この道は谷角バス停に下る。西川内の石橋所在図を参照。

№7,877  岩首橋

諫早市多良見町西川内
西川内川
橋幅:3.6m  径間:3.77m(上流側) 3.71m(下流側)  拱矢:2.04m  環厚:34cm  輪石:19列
「日本の石橋を守る会」副会長、末永さんより「長崎市のK.Mさんからの情報で2基」の連絡あり。
下流側、RC拡幅

井手口橋  諫早市多良見町西川内 ( 長崎県 )

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井手口橋  諫早市多良見町西川内

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。国道34号塚原交差点からJR市布駅に入り、市道を西川内公民館を過ぎた奥の旧バス終点まで進む。この二差路に大正12年春大草村 伊木力村指差し道標がある。
源八の石桁橋の方へ左側の市道をさらに進むと、すぐ井手口橋が架かる。西川内の石橋所在図を参照。

№7,878  井手口橋

諫早市多良見町西川内
井手口川
橋幅:3.7m  径間:3.15m(上流側)3.3m(下流側)  拱矢:1.64m  環厚:30cm  輪石:15列
斜橋
「日本の石橋を守る会」副会長、末永さんより「長崎市のK.Mさんからの情報で2基」の連絡あり。

佐世保市に残るアーチ式石橋?(5) 横手橋  佐世保市横手町 ( 長崎県 )

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佐世保市に残るアーチ式石橋?(5) 横手橋  佐世保市横手町

佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ式石橋12橋を、先に紹介していた。
ブログ「させぼばってん」氏の「佐世保市の石橋」の項によると、次のとおり「横手橋」が掲載されていたので、現地確認に行った。  http://kujyuukushima.blog.fc2.com/blog-entry-106.html
国道35号横手入口交差点から宇土越への県道53号に入る。新しい横手橋の左脇に残っていた。アーチ下面はコンクリート補強?となっている。川床に降りられず、近くで確認できない。
完全な石橋か。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」データにない橋で、上記ブログの(規格外)梅田町「病院橋」とも現地調査をお願いしたい。

横手橋(初代) 〜横手町〜
横手町に架かっている初代横手橋です。あえて初代と書いているのは1枚目の写真にある現行の橋が現在の横手橋だからです。
意外と走っていると気がつかないかもしれませんが、橋の下流側にもう一つ橋が架かっています。これが初代で現行は実は3代目。2代目はどうしたかというと、川に対して直角にかけられた為に通りにくく事故が起きていたため取り壊されて3代目になったそうです。

7〜9枚目の写真は、佐賀県有田町「山谷大堤」のすぐ下流側で見た一見アーチ式の石橋?。コンクリート製の上に積み石をしているようだが、これも不明である。

(2014年12月21日19:05 追 記)
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」氏にこの記事の写真を見てもらった見解は、次のとおり。

まず、病院橋ですが、2010年3月に末永さんと川崎さんという方と3人で下に降りて確認しましたが、残念ながらコンクリート製でした。
横手橋(初代)ですが、写真を見る限りでは、コンクリート製だと言えます。仮に石橋だとすると、もともと輪石であったと思われる部分がそっくりコンクリートに変わっていることになりますので、工法的にはあり得ないと思います。
「山谷大堤」下流側のアーチですが、まずアーチ部分をコンクリートで打設して壁石もコンクリートで固めてありますので、石橋ではないと言えます。

千綿の石橋  東彼杵町千綿 ( 長崎県 )

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千綿の石橋  東彼杵町千綿

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。JR大村線千綿駅前から早岐側へ旧長崎街道に入る。
この石橋は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/912

千綿の石橋 ちわた
(東彼杵)東彼杵町 人道<長崎街道> 石桁橋 長3.2m(G) 天保年間(1830-44)? WEB 橋面の半分がC補修 天保年間に長崎街道の矢上〜彼杵の間に多くの石橋が掛けられたが、この橋はその時の数少ない現存する石橋だと言われる 3 –

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。

№2,877  千綿(橋の浦)の石橋
東彼杵町千綿(旧長崎街道)
橋長:3.4m  橋幅:3.9m  桁厚:24m  桁7列
単径間桁橋
現橋の右手に架かっています。

金浜眼鏡橋と萬松橋  雲仙市小浜町金浜・同千々石町石田 ( 長崎県 )

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金浜眼鏡橋と萬松橋  雲仙市小浜町金浜・同千々石町石田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。
加津佐からの途中で日没。小浜町「金浜眼鏡橋」はライトアップあり夜景を写したが、千々石町「萬松橋」は今回訪ねていない。2つの石橋の日中の写真は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/641 (金浜眼鏡橋)
https://misakimichi.com/archives/557 (萬松橋)

金浜眼鏡橋 かなはま
雲仙市 人道/金浜川 石アーチ橋 (太鼓型) 長14.5m(A) 弘化3(1846) WEB 平成5解体後、イメージ的再現 架設: 地元の有力者・岡右衛門 4 C

萬松橋 ばんしょう
雲仙市 一般道/下峯川 石アーチ橋 長6.5m,S4.4m A) 江戸末期 WEB 上流側は路面拡幅でアーチ隠れる/高欄ガードレール化 小規模な石アーチ 4 –

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,322 金濱眼鏡橋
雲仙市小浜町 金浜
金濱川
橋長:14.5m  橋幅:3.6m
架設:弘化3年(1846)
県道30号線を北上し、国道251号線へ右折、すぐ左手に金濱眼鏡橋専用駐車場があります。

金濱眼鏡橋由来記
「昔時、金濱川はしばしば氾濫し、洪水のたびに架橋は流失した。ために、人々は苦しみ、その復旧作業に難儀した。北串山の人、岡右衛門はこの窮状を見かね、石橋架橋によって人々の難を救わんと決意し、弘化三年(1846年)遂にこれを完成した。当時の架橋技術の最高を駆使したと言われる。
爾来およそ150年、この石橋は、よく風雪に堪え、橋畔のアコウの樹とともに生きて、時代の流れを見守り続けてきた。
しかしながら永い歳月の間に石材は風化し、欄干や橋底は落ちるなどして、往年の面影を止めないまでに傷みが激しくなった。
かつて、この石橋に通じる道路は「殿様道」とも称されて、藩政時代は重要な街道でもあった。平成の今日、生活道路としての意義は薄れたが、今、往年の金濱眼鏡橋を解体修理して平成金濱眼鏡橋を復元し、併せて河畔を整備する。
そのゆえんとするものは何であるか。それは、一つには、このすぐれた文化財を永く児孫に伝え、その郷土愛の魂に培わんとするためである。
平成5年(1993年)3月31日」 市教育委員会

№1,326  萬松橋
千々石町石田
下峯川
橋長:6.5m  橋幅:5m  径間:4.4m  拱矢:1.65m  環厚:0.4m
架設:江戸末期
旧千々石町役場前から国道389号線を1.3Km西進。橋を渡りすぐ左折。
150m先古松橋を渡り右折、200m先右手に架かっています。

岩戸山入口太鼓橋  南島原市加津佐町巳 ( 長崎県 )

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岩戸山入口太鼓橋  南島原市加津佐町巳

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。山門を上がった厳吼寺境内橋も参考に載せる。本ブログ次も参照。  https://misakimichi.com/archives/643

元・岩戸山入口の太鼓橋 いわと
南島原市 加津佐町巳 石桁橋(弓型) 長3.3m(G) 寛延元(1750) WEB 平成13、木の下川の改修工事に伴い撤去、解体展示 4 –

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,401 岩戸山入口太鼓橋
加津佐町巳
橋長:3.3m  橋幅:2.1m  拱矢:0.2m
架設:寛延元年(1750)
単径間桁橋
加津佐駅前から国道251号線を北西へ1.1Km、橋を渡り信号を左折すると厳吼寺があります。
上り口右手にあります。

「岩戸山入口の太鼓橋は、寛延元戊辰年、1750年平成13年より逆算して251年前、厳吼寺三世別州知伝和尚の代なり。当時の島原城主は松平忠刻治世の時たり。今般、木の下川改修工事にともない、後世に遺せんが為に記念として茲に保存せんとするものなり。
維時  平成十三年三月廿三日 厳吼寺廿六世 菁山幸雄 誌之」

№1,309  厳吼寺境内橋
加津佐町巳 厳吼寺(がんくうじ)
橋長:5.9m  橋幅:2.4m
架設:文政12年(1829)
加津佐駅前から国道251号線を北西へ1.1Km、橋を渡り信号を左折すると厳吼寺があります。
正面の階段を上りきった放生池に架かっています。

中通熊野神社御神橋  南島原市布津町乙 ( 長崎県 )

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中通熊野神社御神橋  南島原市布津町乙

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。親柱の「文化十年」の面は写し忘れた。灯籠・手洗鉢も珍しい。

中通熊野神社の神橋 なかどおりくまの
南島原市 中通熊野神社・参道 石桁橋(弓型) 長4.6m(2G) 文化元(1804) WEB 保存状態良好 3本の中間柱上に横桁を置き、その上に石梁を架けただけの簡単な構造 1 –

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。

№2,861 中通熊野神社御神橋
南島原市布津町乙
橋長:4.6m  橋幅:2.4m
2径間円弧桁橋
架設:文化元年(1804)
本殿は階段を上り、さらに直角に曲がり階段を上ったところにあります。

三木小橋  雲仙市吾妻町本村名 ( 長崎県 )

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三木小橋  雲仙市吾妻町本村名

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。
吾妻町三室バス停手前から旧道へ入る。海岸沿いの堤防のところ。撤去された海岸側の親柱(下半分も置かれてあった)が電柱根元にあり、折れた2本をつなぐと「三木小橋」のように判読できる。

№3,783  三木小橋

雲仙市吾妻町本村名(もとむらみょう)
径間:1.8m  桁厚:18cm
単径間桁橋

国道251号線、島原街道の旧道を少し辿ってみました。見落としそうでしたが、古い高欄。
残念ながら親柱の文字が読めません。傍らに放置してある石材。下半分が折れてなくなっています。
内部 コンクリートで補修したところは塩害のためか鉄筋がむき出しになっています
そのうち再び補修が必要になることでしょう。

長崎県の珍百景 橋岩山「偶然が生んだ石の橋」  佐世保市鹿町町

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長崎県の珍百景 橋岩山「偶然が生んだ石の橋」  佐世保市鹿町町 

テレビ朝日「ナニコレ珍百景 〜2時間スペシャル〜」で、2014年4月30日(水)に放送された。バックナンバーによると内容は次のとおり。関係記事が下記ブログなどに表れるが、場所説明がない。

【珍百景No.1883】 「偶然が生んだ石の橋」 長崎県佐世保市  ★黒川新さん(82歳)
平原地区の山の中で2つの岩の間に偶然岩が挟まって生まれた石橋を発見! 自然が作ったこの石橋は人も渡ることができ、地元では「度胸試しの橋」と呼ばれている。
石橋はかなり古くからあるらしく、このあたりは地元の人に「橋岩山」と呼ばれ、絶景ポイントになっているそう。  ※ここを渡る場合は安全管理のもと自己責任でお願いします。

amebatoysさんの佐世保ブログ
http://ameblo.jp/amebatoys/entry-11815704102.html
朝長則男(佐世保市長)さんのfacebook
https://www.facebook.com/tomonaganorio/posts/261950980676982

場所は佐世保市であるが、鹿町町平原の「橋岩山」と呼ばれるところ。6月13日、小佐々町のアーチ式石橋「岳下橋」を確認に行きながら、この珍百景「橋岩山」は下調べしていなかったので、近くとなるのに通り過ぎた。無駄足となったため、きのう鹿町町を再び訪れた。
佐世保市鹿町支所に電話して聞くと、その場所は、県道18号(佐々鹿町江迎線)小佐々町との町境あたり。所在場所は地図のとおり。

見返橋や楠泊橋を渡って、北九十九島海岸線を行く県道18号を鹿町町まで北上する。上矢岳バス停先が町境で鹿町町へ入る。丸一水産燻製工場の背後に伐採された山が見える。県道脇に「ようこそ鹿町町へ 長串山公園3km」の案内板がある工場手前から山手の細い車道へ入る。少し行くと、右方山へブルが工事した道があり、登ると数台の駐車広場がある。
橋岩山のすぐ下まで行き、テレビ撮影用にわざわざ伐採し、工事をしたようである。アザミが生えかけた斜面の踏み跡を登ると、橋岩山の「偶然が生んだ石の橋」に着く。

下から覗くと、石の隙間にはコンクリート補強をしているようだが、「この石橋は大変危険です、渡らないで下さい。責任は負いません。平原地区」の警告板と渡り口に柵があった。反対側はこれまた約20mの断崖。危険きわまりない。もちろん、私は渡らなかった。反対側には伐採跡があり、橋の渡り口手前から木の幹を掴んで降りられたので、反対側からの写真も写してきた。
この近くには、県道脇に佐世保市指定天然記念物「波状漣痕化石」も見られ、海岸が隆起した地形と思われる。

後ろの写真は、帰りの冷水岳公園からの展望。田原へ下った。小佐々町と鹿町町に残るアーチ式石橋は、次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/959
https://misakimichi.com/archives/965