月別アーカイブ: 2016年7月

西海国立公園 九十九島水族館 海きらら  佐世保市鹿子前町 ( 長崎県 )

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西海国立公園 九十九島水族館 海きらら  佐世保市鹿子前町

2016年7月29日(金)快晴。妻が夏休み中の孫娘を連れて、佐世保市鹿子前町の「西海国立公園 九十九島水族館 海きらら」へ。こども向け催しが多く、九十九島遊覧船には乗る時間がなかった。

如竹堀 (じょちくぼり)  屋久島町安房 ( 鹿児島県 )

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如竹堀 (じょちくぼり)  屋久島町安房

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。安房大橋の下流左岸は如竹通りといい、如竹廟や如竹堀が近くにある。
所在図や画像は、NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会などの提供。

如竹堀 じょちくぼり
(熊毛)屋久島町(屋久島) 用水路(一部石積) 長680m,幅80-180㎝,深50-200㎝ 慶安元(1648)頃 町史跡 町教委/現地解説板 一部残存(石積部が史跡指定) 「屋久聖人」とも称される泊如竹(1570-1655)という僧侶が、本仏寺を売却して得た資金を元に開削した用水路 2 C

世界遺産の島 屋久島で集落めぐり〜安房編〜 による説明は、次のとおり。

如竹廟(じょちくびょう)
ここに祭られているのは「屋久島聖人」ともいわれる泊如竹という江戸時代の儒学者で、屋久島の杉の伐採について岳の神様と相談したともいわれる人物である。また薩摩藩の藩主や琉球王に仕えたこともあるなど全国にも知られた学者でもあった。亡くなったとされる旧5月25日には地域の人々によって「如竹踊り」が奉納される。

如竹堀(じょちくぼり)
泊如竹は、豊富な学識を地域に活用している。そのひとつが集落に安定した水を供給した堀である。背後の丘陵地域から豊かな水を集落へと供給するために堀の存在は不可欠であった。素朴なかたちではあるが、一部ではあるが当時をしのばせてくれる状況で現存している。

川上正徳氏稿 ”五島の教会に「ゆうこう」を探しにいく”  長崎游学から ( 長崎県 )

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川上正徳氏稿 ”五島の教会に「ゆうこう」を探しにいく”  長崎游学から

長崎游学シリーズの新刊「長崎游学11 五島列島の全教会とグルメ旅」長崎文献社編 A5判並製 フルカラー152頁 定価1080円(税込)が有名書店で発売中。
次の内容により私の友人、川上正徳氏稿 ”五島の教会に「ゆうこう」を探しにいく” が、58〜59頁に掲載されている。   

五島の教会に「ゆうこう」を探しにいく   川上 正徳

外海から五島に移住したキリシタンの里にも「ゆうこう」は植えられていた。その調査報告の一部始終——。

■「ゆうこう」とカトリック教会の関係
「謎のかんきつ類を追う」というタイトルで平成21年(2009)1月15日付長崎新聞に私の顔写真が掲載され、私が「ゆうこう」を調査していることが紹介されると、五島のふたりの方から電話がありました。中通島のHさんと奈留島のEさんで、ふたりとも役場の元職員でした。五島にも「ゆうこう」があるのだろうかという期待感が高まり、まず中通島へフェリーで行きました。このとき初対面のHさんによると、地元では「この蜜柑は大きな柚子で柚子湯に使っています」とのことでした。案内されて行った先は「高井旅」と「福見」というカトリック教会のある地域でした、
実を手にとると独特の香りと色で「ゆうこう」とわかりました。それも教会の近くに「ゆうこう」があったので帰路の船旅はひとりビールで乾杯しました。「ゆうこう」とキリスト教教会の深い関係があるという仮説が確信になったからです。
その後、奈留島のEさんから連絡があり、「奈留島の蜜柑」を1箱いただきました。地元では「久念母(くねんぼ)」と言うそうです。さっそく長崎県果樹試験場へ送り、調べてもらったところ、何と奈留島の久念母は長崎市の土井首や外海と同じ「ゆうこう」でした。そこで私は奈留島へ行き、「久念母」ならぬ「ゆうこう」の調査をEさんとおこないました。その後、Hさんからの報告で、新上五島町世界遺産推進室では、管内の「ゆうこう」の分布調査で30本のゆうこうを調査されたていたと聞いて、私も調査報告書をいただきました。
2016年にはいり、Eさんから世界遺産候補の江上教会に「ゆうこう」があるという情報がありましたので、私は1月31日朝、五島にわたり、Eさんの案内で江上教会裏に2本の「ゆうこう」があることを確認してきました。

■若松島の大平教会裏に「ゆうこう」
同日午後、Eさんと別れて、フェリーで中通島へ行きました。前回調査した高井旅教会、福見教会付近を再確認したあと、新上五島町の報告書をもとに、中通島の西側海岸沿いに桐、横瀬、築地の3地区を探しました。18本あるはずの築地でようやく公民館横に2本確認できただけでした。報告書には若松島の大平教会の裏にあるとあったので、1泊した翌日、距離はありましたが長い道のりをドライブし、最後の峠を越えると直ぐ下に大平教会を見つけることができました。探すまでもなく教会のすぐ裏に「ゆうこう」がたくさん実った木を確認できました。2日間の島での調査は、愛車のスクーターで中通島110kmを走破していました。残りはつぎの楽しみに出かけたいと思っています。

■「世界遺産候補」とゆうこうの伝搬の関係?
私が「ゆうこう」に出会ったのは、平成13年(2001)の長崎市役所最後の職場で、土井首地区の地元の方々と「みさき道」や「殿様道」を歩いていて紹介されたのが最初でした。その後、長崎県果樹試験場N科長さんと一緒に分布を調べ、園芸学会に新種と発表してもらって以来、私の「ゆうこう」を訪ねる旅は、外海町、佐賀県馬渡島、中通島、奈留島とつづくことになりました。黒島や下関の六連島も行きましたが、こちらは残念ながら見つけることはできませんでした。しかし、禁教時代に外海地区から五島に移住した潜伏キリシタンが、復活後建てた教会付近に「ゆうこう」があることは、偶然のことではないと考えています。外海の「ゆうこう」が移植されたものと思われます。
そんな中、長崎市世界遺産推進室から、私の外海の「ゆうこう」調査結果の資料を提供してほしいとの申し入れがありました。長崎市や新上五島町が私の「ゆうこう」を訪ねる旅を後押ししてくれたことに感謝しています。

■国際スローフード協会の「味の箱舟」に
長崎市は、平成17年(2005)土井首地区と平成18年(2006)外海地区で、地産地消として植樹祭に苗木の交付して以降、「ゆうこう」の育成が始まりました。長崎市が長崎県立大学シーボルト校に「ゆうこう」の成分分析をお願いしたところ、高血圧症を軽減する成分がとくに高いことがわかりました。「スローフード長崎」という食品研究団体は、「ゆうこう」を国際スローフード協会の希少食材認定制度「味の箱舟」に登録してもらうよう申請した結果、2008年に認定されたのでした。「ゆうこう」は新たな食材としても広く利用されるまでになってきました。たとえば、飴、ケーキ、もなか、どら焼き、羊羹、アイス、ポン酢、酢、ハム、ジュース、ラーメン、リキュールなどに使用されるまでになっています。
地元にむかしからあったのに、かえりみられなくなっていた蜜柑「ゆうこう」が、今後も、守り育てられることを祈っています。

長崎市政への提案 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などは回答せず ( 長崎県 )

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長崎市政への提案 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などは回答せず

「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などについて、次の市政提案をしていますが、まだ回答がありません。長崎市にとって何か不都合なことがあるのでしょうか。前の提案とは主旨内容は違います。
・6月22日送信 「公会堂存続へ住民投票運動」は、現在地に建設を
・7月 3日送信 長崎原爆遺構の国指定史跡申請
情報公開条例と市政提案制度の主旨を良く理解するべきではありませんか。回答しないなら、今回の事例に対する総務部総務課の法的見解と、回答しない理由書を文書によって早急にお願いします。
匿名やメールアドレスは、提案の必須要件ではありません。私に直接回答は不要ですから、これまでの主な提案や回答により必ず公表してください。

歴代最低レベルの長崎市長と長崎市議会ではないでしょうか。私たちのせっかくの税金が、公共事業の食い物にされているような感じがします。市庁舎は長崎の城であり、象徴と中核となるものです。西役所跡の県庁跡地が最適と思います。
歴史と文化のある大長崎市の気概と誇りを持って、市民の意見を良く聞き、長崎県とも協力して事を処したら、長崎のすばらしいまちづくりが、おのずから生まれてくるものと期待します。市政に無用な混乱ばかり起こさないでください。長崎市長は自分の評価をますます落としていることを気付くべきではありませんか。

情報公開条例と市政提案制度の不適切な運用である。画像の長崎市公会堂 存続願う声 「復興と平和のシンボル」 [長崎県]は、2016/07/13付 西日本新聞夕刊記事から。
注 「公会堂を存続させる会」は、6月29日「公会堂の未来活用を問う会」と名前を変えている。

・6月22日送信  「公会堂存続へ住民投票運動」は、現在地に建設を

「公会堂存続へ住民投票運動」について、長崎新聞県内トピックス(2016年6月21日更新)は、次のとおり。
長崎市が老朽化や耐震性の低さを理由に昨年3月廃止した市公会堂を巡り、再開を求めている市民団体「公会堂を存続させる会」(林一馬代表)は20日、市役所で会見し、公会堂の存続の是非を問う住民投票の実施を目指す方針を正式発表した。…
会見で林代表は、現在開会中の定例市議会に市が公会堂の解体予算を提案していることについて、「公会堂の代替施設の建設の見通しは立っておらず、大変な暴挙だ」と批判。「住民投票の実施は高いハードルだが、私たちに残された道はこれしかない」と訴えた。
市選管によると、条例制定を請求するには、市内有権 者数の50分の1(約7300人)の署名が必要という。

「公会堂を存続させる会」は、長崎県庁跡地へ建設を要望しているようだが、長崎市の考えは思わしくない。いろいろ市政に混乱を生じさせているのは、ひとえに長崎市長や長崎市議会の民意を理解しない大型事業のあり方である。
私が6月20日次のとおり長崎市政への提案をしている。これに真摯に対応すると、「公会堂存続へ住民投票運動」は無用なこととなり、市民団体や市民の総意にかなうものと考える。提案の回答を早急にお願いしたい。

1 先日の6月市議会一般質問に対し、長崎市長は「市庁舎の建設は、自分の責務である」と答弁しているが、「市民の総意に基づいた」という前段が感じられない。すべて権限が自分に あるように事を進め、その努力をしないのは不適切な発言である。民主主義と民意を良く理解すべきであろう。
2 現在の市庁舎建設計画は、その後の熊本地震や長崎県庁の正式移転など情勢の変化を考慮せず、既定方針を頑なに押し付けている。長崎のまちづくりに対するビジョンに欠けた方針である。再検討をお願いしたい。
3 長崎県知事は、長崎市から申し出があれば、県庁跡地に長崎市庁舎を建てることを検討すると明言した。2の災害など諸事情から勘案すると、県庁跡地に長崎市庁舎 を建てることが最適であり、長崎市民の総意にかなうと考えられる。
4 長崎市が長崎駅西側に計画しているMICE(マイス)事業は、長崎県が県庁跡地に計画している文化交流施設と同じようなものである。県庁跡地の代替えとして、この土地は長崎県に譲渡し、県市合同でそのような施設を建設すると、二重投資とならない。
5 長崎市公会堂跡地には、そのまま耐震工事を施した新公会堂を建設する。公会堂前広場は長崎くんち踊り場として、従来どおり使用するようにする。
6 長崎市が抱える課題を解決するのには、以上のような案ではどうでしょうか。将来に禍根を残す施策は、ぜひ慎んでほしい。市庁舎建設財政積立金は、無駄なく使用すべきである。

・7月 3日送信  長崎原爆遺構の国指定史跡申請

国の文化審議会は6月17日、長崎原爆の爆心地(松山町)・旧城山国民学校校舎(城山町)・浦上天主堂旧鐘楼(本尾町)・旧長崎医科大学門柱(坂本1丁目)・山王神社二の鳥居(同)の5件の被爆遺構で構成する「長崎原爆遺跡」を国史跡に指定するよう文部科学相に答申した。国は早ければ11月にも指定する。被爆の実相を伝える国指定史跡は広島市の原爆ドームに続き2例目になる。

長崎市民として疑問を感じるのは、平和公園(爆心地公園)内に移設復元している浦上天主堂の廃墟の一部や、平和公園内の長崎刑務所浦上刑務支所跡の遺構がある。先の回答では「ご指摘の構造物は、原位 置が変更されているため、史跡指定を目指す調査検討の対象に含まれておりませんでした」などとするのは、長崎市長の大失態だったのではありませんか。
今からすぐ他の遺構と同時指定とならないか、最善の努力で国へ働きかけてほしいと思います。

(2016年10月6日 追 記)
これまでに寄せられたご意見・ご提案等の内容紹介に、次のとおりあった。回答が遅く、私には何の連絡がなかった。【2016年08月04日回答】と日付を遡った処理をしたと思われる。

ご意見(要旨) 【長崎市政への提案 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などは回答せず】  性別:【男性】 年代:【70代】 【2016年07月受信】

何とした民主主義と民意を理解しない長崎市長と市議会でしょうか。情報公開条例と市政提案制度の主旨もまったく理解していません。住民投票請求が2例となるのは、全国に長崎市政の恥さらしです。
私ブログの次の記事としましたから、長崎市長以下、関係者はよく読んで検討してください。 
長崎市政への提案 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などは回答せず
https://misakimichi.com/archives/5153
長崎県庁跡地に、歴史と文化の香る全国に誇る長崎市庁舎を建設しましょう。
長崎市公会堂は、現在地に今のデザインを残し耐震化した新公会堂を建設しましょう。
出島復元計画の表門橋は、石組みが見つかったので、これを活かし、アーチ式石橋を一部にでも何とか造れませんか。
以上の財源問題は、知恵を働かせると、市民も大いに協力するでしょう。

【2016年08月04日回答】  回答 【広報広聴課】【出島復元整備室】

出島復元計画について以下の通り回答いたします。
旧出島橋の石材の一部が、平成26年から平成27年にかけて行いました出島の対岸にあたる江戸町側の発掘調査によって見つかりました。石材の一部は、護岸工事に伴って、整備された石垣や石段に転用され、また、一部は廃棄された状態で見つかっております。
発見された石材は、現在、出島の史跡内で、自由にご覧いただけるよう公開・保管しながら、一つ一つの石材の調査を行い、旧出島橋の部材として特定を行い、往時の出島橋の姿を検証しているところです。これらの石材は、転用時に加工されているものもあるため、本来の石橋の復元の可能性について調査を行い、今後、検討してまいります。
なお、「公会堂存続へ住民投票運動は現在地に建設を」につきましては、6月20日および7月4日に長崎市としての見解を示しており、その中で公会堂跡地の意見につきましても、7月4日に市の方針を示しております。
また、「長崎原爆遺構の国指定の史跡申請」の意見の回答につきましても、6月24日に回答しております。
以上、ご確認いただきますようお願いいたします。
一度回答した内容について、再度同じ趣旨の提案をいただいた場合は、関係部局へ情報提供のみさせていただきますので、ご了承ください。

関係所属  広報広聴課 【直通番号】:095-829-1114】

江越先生の新刊「長崎がうんだ奇妙人列伝」案内 ( 長崎県 )

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江越先生の新刊「長崎がうんだ奇妙人列伝」案内

江越弘人氏著「長崎がうんだ奇妙人列伝」が、2016年4月、朗文堂(東京都新宿区)から発行されている。四六版 上製本 148頁 定価1600円+税。本書の内容は次のとおり。

はじめに

宮原祥平、富永隼太、長崎七兵衛、3人の生き様を綴り始めたのは、今から7年前の平成20年、私が西海市立大瀬戸歴史民俗資料館に勤めていた頃である。
大瀬戸歴史民俗資料館は、昭和57年に大瀬戸町によって創設され、農具や漁具などの民族資料はもとより、石鍋資料や家船関係資料などが中心に展示されている非常にユニークな資料館である。…
大瀬戸歴史民俗資料館に言葉を費やしてしまったが、この外、多くの歴史民俗資料が本資料館の開館にあたって、地域の協力によって多数収集することができた。
本書に紹介する宮原祥平、富永隼太、長崎七兵衛も、主に本館所蔵文書によっている。宮原と冨永は西海市出身者であり、文書資料も旧家から本館に寄贈または寄託されたものである。長崎七兵衛については資料の来歴は不明である。時津村に十石の所領があり、大村に住み、勤めていたようである。それが何故、西海市の本資料館にあるのかは分からない。
しずれにしても、私は7年前、3人に出会い(もちろん、文書の上で)、幕末から明治にかけての激動の時代に生き抜いてきた生き様に感動した。以来、よく読み取ることのできない古文書と格闘しながら、名も知られぬ3人の人生を追ってみた。
書いている時には、対照的な3人の人生にひかれて、ただ、調べたまま、思いのままに書きなぐっていただけであった。しかし、80の齢を重ねた今、この3人を私の墓中に収めてしまうのも申し訳なく思い刊行の手立てを探っていた。
幸い朗文堂片塩二朗氏のご厚意により、小冊子ながら出版することができた。
私の拙いこの本をお読みになり「歴史の宝庫、長崎」にも陽は当らないが、興味のある人物がいたことを知っていただけるなら、何よりもうれしく思うところである。
平成27年   江 越 弘 人

明治5年明治天皇の西国巡幸における「長崎港のパノラマ写真」の問題 ( 長崎県 )

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明治5年明治天皇の西国巡幸における「長崎港のパノラマ写真」の問題

「フェイスブック版 古写真研究こぼれ話 —真実を求めて—」など発刊されている高橋信一氏(元慶応義塾大学工学部准教授。定年後の現在、向学のため文学部3年に入学し勉学中)から送られてきた研究資料。
明治5年明治天皇の西国巡幸における「長崎港のパノラマ写真」の問題。この写真は本当に内田九一が撮影したのか?

本年7月3日、同先生が東京の青山学院大学で洋学史研究会の講演をした時の配布資料である。私の前記本の3冊でずっとやってきたテーマの総決算ということで、地元長崎の人の意見をぜひいただければとのことである。最終結論は8頁にあり、各位の意見がありましたら、コメントでお聞かせください。

この項は、本ブログ次の記事など参照。
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか
https://misakimichi.com/archives/1589
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか
https://misakimichi.com/archives/2192
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6260 飽の浦からの汽船と南山手(3) ほか
https://misakimichi.com/archives/2186

「長崎港のパノラマ写真」関係は、次のHPに独特な考察がある。manu画面で青色色調の関係記事を参照。
囂庵(GOUANN)の幕末明治の古写真    http://www.gouann.org/
高橋先生の見解は、「春日」は外輪船であり、そのようには見えません。「龍驤」には舳先マストがあるはずですが、それがありません。主マストに錦旗がなければなりません。この船は万国旗を飾っています。それは可笑しい。

長崎の西空の夕日  16−01 ( 長崎県 )

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長崎の西空の夕日  16−01

長崎市南部の団地、わが家近くから見た夕日。五島列島がはっきり見えたので、久し振りシリーズにアップ。

写真  1〜  8  2016年 7月 7日の19時29分頃から 最後は拡大。右手前は伊王島町の沖の島

長崎市政への提案  長崎市庁舎の建設計画  その2 ( 長崎県 )

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長崎市政への提案  長崎市庁舎の建設計画  その2

長崎市政への提案・回答は、次のとおり。提案1、2、5、6に対する長崎市の見解は、平成28年6月20日の回答と同じというから、その1(前記事)を参照。
現在の長崎県庁及び県警敷地図は、長崎都市遺産研究会HPから。

ご意見(要旨) 【長崎市庁舎の建設計画】  性別:【男性】 年代:【70代】  【2016年06月受信】

1 先日の6月市議会一般質問に対し、長崎市長は「市庁舎の建設は、自分の責務である」と答弁しているが、「市民の総意に基づいた」という前段が感じられない。すべて権限が自分にあるように事を進め、その努力をしないのは不適切な発言である。民主主義と民意を良く理解すべきであろう。
2 現在の市庁舎建設計画は、その後の熊本地震や長崎県庁の正式移転など情勢の変化を考慮せず、既定方針を頑なに押し付けている。長崎のまちづくりに対するビジョンに欠けた方針である。再検討をお願いしたい。
3 長崎県知事は、長崎市から申し出があれば、県庁跡地に長崎市庁舎を建てることを検討すると明言した。2の災害など諸事情から勘案すると、県庁跡地に長崎市庁舎を建てることが最適であり、長崎市民の総意にかなうと考えられる。
4 長崎市が長崎駅西側に計画しているMICE(マイス)事業は、長崎県が県庁跡地に計画している文化交流施設と同じようなものである。県庁跡地の代替えとして、この土地は長崎県に譲渡し、県市合同でそのような施設を建設すると、二重投資とならない。
5 長崎市公会堂跡地には、そのまま耐震工事を施した新公会堂を建設する。公会堂前広場は長崎くんち踊り場として、従来どおり使用するようにする。
6 長崎市が抱える課題を解決するのには、以上のような案ではどうでしょうか。将来に禍根を残す施策は、ぜひ慎んでほしい。市庁舎建設財政積立金は、無駄なく使用すべきである。
7 田上長崎市長のバックボーンとなっている「長崎都市経営研究所」の素性を明かにしてください。今後は市民に有益な提言をくれぐれもお願いしたい。
8 長崎市庁舎の建設計画について、先に 6月10日市政への提案をしているが、まだ回答がない。回答しないならその理由を文書で要求します。

財政問題に関連し、次のことの公表もお願いしたい。
1 合併各町の財政調整基金の残りがなかったか。各町ごとの明細と、それがその町の合併後の振興にどのように有効に使われたか報告ください。
2 長崎市組織に局制を設けたが、結局、廃止した。これまでどのような効果があったか。局長などに要した人件費の総額とともに明らかにしてください。

回 答 【交流拡大推進室】【財政課】【行政体制整備室】  【2016年07月04日回答】

6月20日にいただいたご提案につきまして、番号に沿って回答いたします。
1番、2番、5番、6番に対する長崎市の見解につきましては、平成28年6月20日の回答と同じです。ご確認ください。

3 長崎県議会における知事の答弁について、長崎県に対してその真意を確認したところ、今回の答弁は、市庁舎の問題ではなく、市から何か申し出があった場合の一般論として述べたものであり、県庁舎跡地活用に対する県の意向は、従来と何ら変わりはないとのことでした。
県庁舎跡地活用については、県が示した3つの方向性(広場、交流おもてなしの空間、質の高い文化芸術ホール)を中心に、県市で引き続き、協議を行ってまいります。

4 長崎市が長崎駅西側に計画している交流拠点施設は、固定席の劇場型ではなく、多目的・多用途に対応できる分割可能で利便性の高い平土間形式のホールを中核機能の一つとして想定しております。学会、大会、会議等を開催することにより、域外からの多くのお客様を呼ぶことで交流人口を拡大させ、地域経済の活性化を目指すことを目的としています。
一方、県庁舎跡地活用については、平成28年2月県議会において、県の基本的な考え方として、ホール機能については、「優れた音響性能を有する質の高さが確保された文化芸術ホールを整備する」との方針が示されています。このことから、長崎駅西側の交流拠点施設と県庁舎跡地で検討している文化芸術ホールは、それぞれの施設の目的、役割が異なっており、いずれの施設もこれからのまちづくりにおいて必要な施設であると考えています。

7 「長崎都市経営研究所」という団体の活動内容は、本市としては把握しておりません。

続きまして、財政問題に関するご質問に対する回答は次のとおりです。

1 各旧町より引き継いだ財政調整基金の金額は約11.9億円で、旧町ごとの金額は旧香焼町72,428千円、旧伊王島町109,089千円、旧高島町100,023千円、旧野母崎町215,511千円、旧外海町151,615千円、旧三和町210,062千円、旧琴海町334,882千円となっております。これらは、従来の長崎市の財政調整基金と合算して運用を図っております。財政調整基金は、地方財政法第4条の4各号の規定に基づいて充当しており、合併地域については、地域の活性化に資するイベントをはじめとしたさまざまな事業を行っております。

2 局制は、重点プロジェクトを組織横断的にスピーディーに推進するために、平成23年8月から導入しました。
局制の導入に当たり4つの局を新設し、局長(部長級:給料月額465,600円〜537,700円<平成27年4月1日時点>)を配置して、各重点プロジェクトの実施責任者として、その推進のために局内の組織編成や人事の一部の権限を持たせておりました。
各重点プロジェクトについては、その目的や内容に違いはありますが、この制度により一定の成果があがり、組織横断的に業務を行う責任者がいることで円滑に進んだことは局制の効果であると考えております。
しかしながら、組織の仕組みとして、局長の権限等、外から見たときに分かりづらいところがございましたので、局制については廃止することといたしました。
重点プロジェクトについては、各部へ引継ぎ、局制の効果を生かした形で、必要に応じて政策監を配置しながら推進することとしています。

関係所属
交流拡大推進室 【直通番号】:095-829-1267】
財政課 【直通番号】:095-829-1126】
行政体制整備室 【直通番号:095-829-1124】

長崎市政への提案  長崎市庁舎の建設計画  その1 ( 長崎県 )

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長崎市政への提案  長崎市庁舎の建設計画  その1

長崎市政への提案・回答は、次のとおり。既定方針を説明しただけの回答であり、具体的な内容を提案したその2(次記事)に続く。現在の長崎県庁及び県警敷地図は、長崎都市遺産研究会HPから。

ご意見(要旨) 【長崎市庁舎の建設計画】  性別:【男性】 年代:【70代】 【2016年06月受信】

何とした民主主義と民意を理解しない長崎市長と長崎市議会でしょうか。将来に禍根を残す施策はぜひ再検討をお願いします。長崎市庁舎の建設計画はもう一度、期間をかけて、どれが良いか市民の総意で検討しましょう。熊本地震や長崎県庁の移転など、その後の情勢変化がまったく考慮されていません。
一度決めたことをゴリ押ししているだけではありませんか。1億円以上の財政負担が伴う住民投票を実施せよとは言っていません。市庁舎は長崎市長や市議会が勝手に決めるものではなく、財政積立金など無駄に使わないようお願いします。

回 答 【大型事業推進室】  【2016年06月20日回答】

長崎市においては、将来の市庁舎の整備に備え、平成4年に「市庁舎建設整備基金」を設置し、準備を進めるとともに、平成7年度には市議会に市庁舎建設に関する特別委員会が設置されるなど、20年余りの歳月をかけて検討を行ってまいりました。
そのような中、平成21年度に実施した市庁舎の耐震診断の結果、大規模な地震に耐える充分な強度がないことが判明したことに加え、建物の老朽化が進んでいること、窓口や執務室が分散しており、市民の利便性および業務の効率性の面で課題があること、より一層の業務のIT化およびバリアフリーへの対応を行う必要があることなど、早急に解決すべき課題を大変多く抱えている現状にあります。
このような現状と、耐震補強を行った際の費用対効果および機能確保の困難性を踏まえ、平成23年2月に、「市庁舎を建て替える」ことを耐震化の方針とすること、建て替えを検討するエリアとして「現在の市庁舎がある場所から公会堂を含む一帯とする」ことを方針決定いたしました。
建て替えを検討するエリアを「現在の市庁舎がある場所から公会堂を含む一帯とする」とした理由は、市庁舎を現在地付近に置くことで、長崎駅周辺とまちなか地区、水辺の地区といった都市の拠点のつながりが“線から面”に拡がり、都心部全体への人の回遊性の維持や中心市街地の活力の向上につながること、まとまった規模の市有地が集積していること、加えて、交通の利便性が高いことなど、さまざまな点を総合的に勘案したことによるものです。
その後、平成23年度に、「長崎市庁舎建替に関する市民懇話会」を設置して市民の皆さまからご意見をいただき、また、平成23年度から25年度にかけて、市議会の特別委員会で議論を重ねてまいりました。その結果、(1)現地建て替えに比べて施設計画に制約条件が少なく、1棟にまとまり、より良いサービスを提供できること (2)防災拠点としての安全性も確保した庁舎が早期に実現できること (3)工事期間が短いためコスト的に有利なこと (4)まちなか軸に一歩近づくことで、まちなか・市庁舎双方の交流と賑わいが期待できることなどの理由から、平成25年1月に、建て替え場所を「公会堂および公会堂前公園敷地」とすることを決定いたしました。
さらに、平成25年度には、「長崎市新庁舎建設基本計画検討市民会議」を設置し、市民や有識者の皆さまに参画いただくとともに、パブリック・コメントの実施を通じて、多くの市民の皆さまからご意見をいただきました。これらのご意見や市議会のご意見を踏まえ、平成26年2月に「長崎市新庁舎建設基本計画」を策定し、現在に至っています。
新市庁舎を含む複合型施設を県庁舎跡地に建設することに関して、住民投票を求める趣旨での条例制定請求については、5月25日に開かれた臨時会で、長崎市として反対する意思を表明しました。その後、委員会審議などを経て、6月10日に開かれた市議会定例会で条例制定が否決されたことから、住民投票は実施されないこととなりました。
今年4月に発生した熊本地震を受け、自治体庁舎の重要性が各地で問われている中、安全・安心な市民生活の確保のため、市庁舎の建て替えにつきましては、喫緊の課題であると改めて強く認識しています。
今後とも、市庁舎建設を進めていく中で機会を捉えて、市民の皆さまへの周知を行っていくとともに、ご意見も十分に伺いながら進めてまいりますので、ご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。

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