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佐世保市愛宕山(別名 飯盛山とも)は要塞地 ( 長崎県 )

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佐世保市愛宕山(別名 飯盛山とも)は要塞地

佐世保市高橋輝吉氏から送られてきた資料。内容がわかりにくいが、そのまま載せる。佐世保市愛宕山(259m)については、本ブログ次も参照。
佐世保市愛宕山に残る戦前の炭鉱標石     https://misakimichi.com/archives/4395
陸軍用地境界標石の受難 佐世保市愛宕山  https://misakimichi.com/archives/4256

高橋輝吉氏稿 佐世保市愛宕山(別名 飯盛山とも)は、要塞地

戦前(内務省「官山」とも)=地元の山=中里東漸寺の山とも…。地元は登るだけ。軍の目、警察の耳、山番の口が。これは後で解かる。山に登ると、海が見える。艦も見える事でしょう。小佐々岳の木場よりは、下の方に丸見えです。

昭和19年頃になると、頂上にレーダーが据え付けられ、カモフラされていたという話。下からも見えました。頂上の一角に。山には登られませんでした。昭和14、15年頃には、くじ付き「シャモジ」を売ってました。町の方は、植木市などで賑わってました。山の方はお寺さんで、賽銭上げたら終り。帰るのみ。今より登り道も悪かったです。今は手摺りあり、良くなっています。
戦後は、若い人、子供、老人と多くの人が参り、登ります。

カメラ持参で、前はフィルム用が多く、現在は全部デジカメです。四方八方を撮ってますよ。私は四方を廻り見た。陸第四号、二号が目に入った。後ろの方にも、七、八、九、一〇号と、多くを撮った。石の写真のやみつきの初めかなー。
私はこれは変だ。戦前の事が頭をよぎった。何か有ると思い、大蔵管財へ。事情を話し、それは○○○で、1通の書を下さいました。「要塞標石地帯」の地図でした。ア—ア、これで解かりました。これから大変な事になってしまった。

天気の良い日は山、山へ行き、フイルムの時代、フラッシュが早くだめになる。5台位、変わったかなー。15年前に撮影した写真が、今、役に立っています。
現在は、第四八号が柵の中。第五二号は現物の石なし、3回行く。地滑りで埋まっている石。4本かなー。陸第三七号は上だけなし。4m下に有りました。現在は針金にてOK。
まだまだ変化。地滑りが多くなるのかなー。何で四五号の岩場に陸の石が。第四四号と第四二号が、次号待つ。7合目西側に陸軍省と刻んだ石(小型)2基有り。第拾九号、第弐拾号、これは変だと。

大黒町の庚申塔道標  長野県大町市大黒町 ( 長野県 )

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大黒町の庚申塔道標  長野県大町市大黒町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長野県リストによるデータは、次のとおり。JR大糸線北大町駅から南西に旧大町街道を行く。県道31号大黒町交差点近くの市道と交叉する角地にこの道標が立つ。
画像・資料は、私の先輩、大町市在住の土橋氏の提供。

大黒町の庚申塔道標 だいこく
大町市 <千国街道> 石道標(自然石) 高120㎝(うち、台石30㎝),幅50㎝,厚35㎝ 延享元(1744) WEB/土橋道良 原位置? (右面)「右 善光寺道」、(左面)「左 越後道」/正面に「庚申」と陰刻 1 C

田中欣一氏編「塩の道 千石街道」銀河書房1982年発行の47頁による説明は、次のとおり。道標所在地図は、HP”千国街道 二日目の街道歩き旅 [池田〜信濃大崎駅編]”から。

⑮ 追分道標(大町市大黒町)
延享元年(1744)建立の庚申塔の左右に「左越後道」「右善光寺道」と刻銘して道標を兼ねたもの。大町宿の発展過程を知る上に貴重。

田中井堰の隧道  伊佐市菱刈田中 ( 鹿児島県 )

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田中井堰の隧道  伊佐市菱刈田中

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。国道268号により伊佐市菱刈の重富交差点次の先の市道角まで行き左折する。大口酒造(株)第2蒸留所を目指して進むと、田中橋バス停があり脇を流れるのが、田中井堰の用水路である。
水路をたどると、民家入口付近が随所に隧道となっている。隧道最長区間はこのあたりと地区で聞いた。水路奥の民家脇の小道を進むと、重留川から取水する田中井堰へ出る。近くに記念碑や改修碑があった。

田中井堰の隧道 たなか
伊佐市 重留川 素掘トンネル(水路) 長37m 宝永元(1704) 市有形 WEB C改修 田中・重留の水田に給水/断面:水路トンネルとしては最小規模 3 –

伊佐市HP「伊佐の文化資源」による説明は、次のとおり。

田中井堰及び隧道(たなかいぜきおよびずいどう)
校区 : 田中校区
田中井堰は通称「濱川井堰」とも呼ばれ、川内川の支流・重留川から取水し、田中・重留の水田約150㌶に給水している。宝永元年(1704)に石堰が築かれたのがはじまりで、以来、数度にわたって改修を重ね、現在は自動式の転倒堰になっている。
市指定文化財(平成15年9月18日指定)

種子島のその他の風景・史跡  西之表市・中種子町・南種子町 ( 鹿児島県 )

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種子島のその他の風景・史跡  西之表市・中種子町・南種子町

種子島のその他の風景。写真順に、フェリーから開聞岳・種子島・屋久島・西之表港を望む、フェリープリンセスわかさ、能野海岸、深川大石あたり日没方位角案内と海岸、浜田海岸の北部、竹崎の海蝕洞、七色坂展望所からの展望、帰りのフェリープリンセスわかさ  

国上大田のへゴ自生群落  西之表市国上大田 ( 鹿児島県 )

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国上大田のへゴ自生群落  西之表市国上大田

現地説明板は、次のとおり。県道581号により西之表市国上の国上郵便局手前まで行く。右手前の市道へ右折して入り、大田川沿いに大田集落へ出る。第三大田橋を渡り下って行くと、「←ヘゴ自生群落」の案内標識がやっとここにあり、右へ上がる。幹線道路に案内がなく、場所がわかりにくいから、所在図を参照。
へゴ自生群落の手前には、西之表市指定の名木、樹種「ヤクタネゴヨウ」も立っていた。

へゴ自生群落 (学名 Cyathea spinulosa)  国上大田地区

ヘゴは常緑で大形の木性シダの一種です。紀伊半島南部や八丈島を北限とし、小笠原諸島、四国、九州南部、種子島、屋久島より南に自生しています。日本にはこの他に6種の近縁種があります。
湿度の高い山林内に生え、茎の直径も50センチになるものもあり、葉柄には鋭い刺が密生します。
種子島のいくつかの山中で見られますが、この国上大田地区のヘゴは、70,000〜80,000㎡の広大な面積に群生していて、ヘゴを取り巻く植物景観も、大変素晴らしいものです。
西之表市教育委員会では、このヘゴ群落を大変貴重な文化財として、平成22年3月8日に「天然記念物」として指定しました。
西之表市

奥神社のアコウ  西之表市国上奥 ( 鹿児島県 )

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奥神社のアコウ  西之表市国上奥

HP「ふるさと種子島」による説明は、次のとおり。西之表港から県道581号により島の北端へ行くと、国上奥に案内標識がある。喜志鹿崎灯台入口の反対側へ進む。

奥神社のアコウ
このアコウはたいへん珍しく、地上7〜8mくらいのところからたくさんの根が出ています。その横幅は8m前後に広がり、まさに、タコ足のアコウです。本当にすごいの一言です

奥神社
【祭神】大山祇大神(山の神)、木花咲耶姫(産土神)
【祭事】毎年1月15日の射場祭
境内には、切り立った自然石をたくさん置いてあります。山の神様を祀っています。拝殿の奥には、砂などを敷きつめて、サンゴ礁の祠と石の祠があります。種子島家の鹿倉がこの周辺にあったといいいます。案内板によると、「初午の日には、島主をはじめ、山奉行、犬使いなど赤尾木から家来たちがやってきて、山の神祭りや初狩りが行われていた」と。

喜志鹿崎  西之表市国上喜志鹿崎 ( 鹿児島県 )

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喜志鹿崎  西之表市国上喜志鹿崎

鹿児島県観光サイト「本物の旅かごしま」による説明は、次のとおり。フェリー時間つぶしで、種子島北部へ。
西之表港から県道581号により種子島の北端まで行くと、「喜志鹿崎灯台」入口の案内標識がある。

喜志鹿崎
種子島の北端にある喜志鹿崎には海の安全を見守る灯台があります。喜志鹿崎と本土最南端にある佐多岬との海域は大隅海峡と呼ばれ国際海峡に指定されています。そのため各国の船が自由に航行できる海域になっており、喜志鹿崎の灯台と佐多岬は島の位置と船の位置を把握するための重要な目標として活躍しています。灯台の麓には展望所があり、そこからは季節や天候で変わる大隅海峡の表情や航行する大型貨物船や石油タンカー、豪華客船を見ることができます。また、空気が澄んでいる日は大隅半島、遠くには内之浦宇宙観測所も見え、ロケット打ち上げを確認することができます。
●交通アクセス 西之表港より車で30分、種子島空港より車で60分。

種子島灯台  南種子町竹崎鼻 ( 鹿児島県 )

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種子島灯台  南種子町竹崎鼻

海上保安庁第十管区鹿児島海上保安本部HP「灯台めぐり」による説明は、次のとおり。

●種子島灯台
標識名  種子島灯台
ふりがな たねがしま
所在地  鹿児島県熊毛郡南種子町(門倉岬の東方約9キロメートル)
緯 度  30-23-06
経 度  30-57-44
灯 質  群閃白光 毎20秒に2閃光
光の届く距離  21.5マイル
設置点灯年月日  S16.4.29
管轄事務所  鹿児島海上保安部

HP「薩南諸島 島の散歩」による説明は、次のとおり。

爽快な景観『種子島灯台』
種子島の南部、谷崎鼻に種子島灯台がある。種子島灯台は、やや大きめの白亜の灯台。敷地は宇宙センター内にある。灯台から見下ろす景観は、大型ロケット発射場と周辺海が見える爽快な景観。
種子島灯台の南方 8Kmには、太平洋の荒波がいきかう源三郎瀬という大暗礁がある。古い時代、この大暗礁に悩まされ、海難事故が絶えなかったという。種子島灯台は、この源三郎瀬を照らし船を安全に走行させるという重要な役割を担っている。

種子島宇宙センター・ロケットの丘・宇宙科学技術館  南種子町茎永字麻津ほか ( 鹿児島県 )

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種子島宇宙センター・ロケットの丘・宇宙科学技術館  南種子町茎永字麻津ほか

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。県道75号の南種子町広田から種子島宇宙センターの方へ向かい、ロケットの丘や宇宙科学技術館を通って茎永へ下った途中の風景。

種子島宇宙センター

種子島宇宙センター(たねがしまうちゅうセンター、英語:Tanegashima Space Center 、略称:TNSC)は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の種子島に設置、運用している、大型ロケットの射場である。略称がTSCでないのは、同じJAXAの筑波宇宙センター(TKSC)と区別するためである。

概要

1969年(昭和44年)10月、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の前身である宇宙開発事業団 (NASDA) の設立時に開設された。面積は8.64km2。現在はJAXAが保有している。

種子島宇宙センターは種子島の南、太平洋側にある南種子町の竹崎と吉信崎に囲まれた湾に面した土地に施設が点在しており、三つのロケット発射施設(JAXAの用語では射場)をもつ。また種子島島内に数ヶ所の観測所を設けている。

地球の自転を利用したロケットの打ち上げは赤道に近いほど有利になるが、種子島は日本最南端とはいえない位置にある。にもかかわらず同島が選ばれたのは、同島より南にある小笠原諸島が当センター設立前年の1968年(昭和43年)に返還されたばかりであり、また、沖縄返還も実現しておらず、計画当時に日本の主権が及ぶ国土の最南端に近い適地が同島であったためである。なお、小笠原は種子島の東南東に位置し、種子島から打ち上げられたロケットの追跡に好適であるため、父島に小笠原追跡所が設置されている。

「世界一美しいロケット基地」とも言われる[1]。世界的には広大な原野に発射台等の施設を点在させることが多い中で、種子島宇宙センターは緑の山の中に施設が点在し、発射台はサンゴ礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景を誇って呼ばれたもの。

2010年度(平成22年度)までは、JAXAと種子島周辺海域で操業している各県の漁協との間で結ばれた協定により、ロケット打ち上げ期間が、7月22日から9月30日の71日間と1月1日から2月28日の59日間に予備期間の5月〜6月と11月〜12月の60日間を合わせた年間最大190日間に制限されており、衛星打ち上げ市場での日本の競争力に対する大きな足かせとなっていた。2011年(平成23年)4月からは世界標準である通年の打ち上げが可能となった[2]。

千座の岩屋・浜田海水浴場  南種子町平山浜田 ( 鹿児島県 )

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千座の岩屋・浜田海水浴場  南種子町平山浜田

九州旅ネットによる説明は、次のとおり。県道75号が南種子町に入ってすぐに島宿HOPEがあり、この先の浜田港へ向かう町道に案内標識があり左折する。

千座(ちくら)の岩屋
種子島の東海岸は、太平洋の荒波に洗われてできた海蝕岩が見られます。
なかでも波に浸食された奇岩の広がる浜田海浜一帯にある「千座の岩屋」は、種子島唯一(?)の海蝕洞窟で、中には千人が座れるともいい伝えられています。
洞窟に入れるのは干潮時のみで、自然が作り上げた岩のオブジェの美しさは、幻想的な雰囲気も漂わせています。
沖合にちらばる岩礁もすばらしい景観を誇っています。
近くには浜田海水浴場があり、シーズンには多くの観光客で賑わいます。

浜田海水浴場
浜田海岸は白砂の美しい遠浅の海水浴場として知られ、期間中は多くの海水浴客で賑わいを見せます。
近くには奇岩で彩られた千座の岩屋という名所もあり、シーズン中はたくさんの観光客が訪れます。
シャワー・トイレも完備しています。