小 城 盛  武富町武富 ( 沖縄県 )

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小 城 盛  武富町武富

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。武富東港から島の中心、仲筋集落へ向かう。武富郵便局から西側の路地へ右折しまっすぐ進み、赤山公園「なごみの塔」手前の駐車広場から右折。この通りを北へ上がると、園地の中に「小城盛」のピークがある。
頂上部の石段にロープが張られ、立入禁止だった。丸石が摩耗のためコンクリートで復元された方位板のよう。場所は所在図参照。

小城盛 クスク・ムイ
(八重山)竹富町(竹富島) 遠見台、火番盛 (珊瑚石積、円盤状2層) 1644年以降 国史跡 WEB/町教委 よく整備されている(階段が、整然としすぎ、頂部が平坦) 先島諸島の火番盛群/代表的なものの一つ/きれいな円筒形の石積 2 B

HP「竹富島の石碑・説明看板 (西集落・西)」による説明は、次のとおり。

2.「小城盛(クスクムリ)」の碑
小城盛の碑
小城盛(クスクムリ)
正保元年(一六四四)尚賢王時代 火番所として建てられた。海上の監視や出入りする船の通報のため烽火を揚げた。
指定 昭和四十七年八月三十日
この碑は、小城盛に上がる階段横に建てられています。

3.小城盛 記念物指定碑
小城盛 記念物
指定碑(左)
(正面) 記念物小城盛(クスクムリ・火番盛)
(左側) 指定昭和四十七年八月三十日
(右側) 竹富町教育委員会
(裏面) 建設昭和四八年二月二八日
小城盛は世持御嶽の裏手(東側)にあります。

4.「小城盛の由来」の碑
小城盛の由来の碑
(正面)
小城盛の由来
正保元年 一六四四年 尚賢王の世代琉球本土の冠船の航海路にある諸離島に命じて烽火台として設けられた火番盛である  碑文並びに揮毫 上勢頭廣
(裏面)
復元記念
父松久の遺志を継ぎ親族知友の協力をえて復古をなす 採石は存命中に自分の手で採工せるものなり  昭和三十六年六月十日建立
老朽化して崩落の著しかった小城盛は、有志によって昭和36(1961)年に復元されました。

5.方位板
方位板
この方位板は、小城盛の頂上部(ハルミ台)に設けられています。
(上面)
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
明治4年に竹富島に来島した鹿児島出身の八重山探検隊調査員によって、ハルミ台の円石の上部に十二支を刻み入れて方位を定めたと伝えられています。
その後、摩滅で判別できなくなっていた方位板は、小城盛の復元とともに昭和36(1961)年にコンクリートで復元されました。