ピサダ道  竹富町西表 ( 沖縄県 )

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ピサダ道  竹富町西表

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。石垣港から高速客船により西表島大原港に渡ったので、島内バスにより西表島の北東部、西表の祖納集落に移動した。
県道215号祖納バス停先、祖納郵便局の先となる路地から右集落内へ入る。右下に大平井戸があり、そのまま進むと、「ピサダ道」の正面登リ口に出る。

ピサダ道
(八重山)竹富町(西表島) <慶来慶田城翁屋敷〜大平井戸> 石段道 長約100m 16世紀初頭 町史跡 現地解説板 保存状態良好/日本軍による改変の可能性 「ピサダ」は大平井戸の周辺にあった水田の地名に由来/16世紀初頭の石畳 2 B

現地説明板は、HP「西表島の石碑・説明看板 (西部)」によると、次のとおり。

竹富町指定史跡 ビサダ道 平成19年9月28日指定
ピサダ道は、16世紀初頭に活躍した西表島の英雄、慶来慶田城用緒が屋敷を構えたと伝えられる町指定史跡「慶来慶田城翁屋敷跡」(昭和48年9月12日指定)と、町指定有形民俗文化財「大平井戸」(平成10年3月31日指定)を結ぶ道で、祖納集落がまだ祖納半島の高台の上、通称「上村」にあった当時に、集落から井戸や水田へ往来するのに利用されていた古道です。
ピサダ道のピサダとは、大平井戸周辺にあった水田の地名に由来するもので、大平井戸も節行事の時以外の平時はピサダカーと呼称されています。節祭が上村を中心に行われていた大正13年頃までは、アンガマ行列が上村から前泊浜まで降りてくるのに、このピサダ道を通っていました。その際にピサダ道の急坂を、旗頭を立てて降りてきたという武勇伝も語り継がれています。
去った大戦時、昭和16年に完成した船浮要塞建設に際して祖納半島にも砲台が配置されましたが、大砲を引き上げるために旧日本軍により石段状の道が平らに敷きならされる、という改変も行われました。
このピサダ道は、祖納集落の長い歴史を物語る歴史の道であり、祖納集落の人々の生活と深いかかわりのある貴重な史跡です。                  竹富町教育委員会