杉の大スギ 高知県長岡郡大豊町
国指定文化財等データベースによる解説は、次のとおり。
名称: 杉の大スギ
ふりがな: すぎのおおすぎ
種別1: 特別天然記念物
指定年月日: 1924.12.09(大正13.12.09)
特別指定年月日: 1952.03.29(昭和27.03.29)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 高知県
所在地(市区町村): 長岡郡大豊町
解説文:
天然紀念物調査報告(植物之部)第四輯 一〇一頁 參照 天然紀念物解説 一六一頁 二株ノ杉ノ巨樹相接近シテ立テリ其中南方ニアルヲ南大杉ト云ヒ北方ニアルヲ北大杉ト言フ 南大杉ノ根廻リ五丈二尺四寸幹ト根ノ境界部ノ周圍五丈五尺二寸境界部ヨリ五尺上ノ幹圍四丈九尺アリ 北大杉ノ根廻リ五丈三尺幹ト根ノ境界部ノ周圍四丈四尺境界部ヨリ五尺上ノ周圍三丈五尺アリ 南大杉ハ杉ノ最大巨樹ノ一ニシテ石徹白ノ杉ト伯仲ス 二株の杉の巨樹相接近して立ち、夫々南大杉、北大杉という。 南大杉の根廻り15.87メートル、幹と根の境界部の周囲圍16.72メートル、境界部より1.50メートルの幹囲11.81メートルあり。北大杉の根廻り16メートル、幹と根の境界部の周囲10.60メートルあり。南大杉はわが国における最大の杉として貴重なものである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。
杉の大スギ
杉の大スギ(すぎのおおスギ)は、高知県長岡郡大豊町杉の八坂神社境内に生育しているスギの巨木である。推定の樹齢は3000年以上といわれ、1924年には国の天然記念物、1952年には国の特別天然記念物に指定された[1][2][3]。根元で「北大スギ」と「南大スギ」の2本の株に分かれており、神社にみられる木としては、日本最大のものとされ、古来から信仰の対象となっていた[2][4][5]。大豊町(旧大杉村)出身の軍人山下奉文は、この木に因んで「巨杉」(きょさん)という雅号を使用していた[2][6]。著名人の参拝記録が多く、幕末には山内容堂や坂本龍馬、第2次世界大戦後には美空ひばりなどがこの木を訪れている[2][4][7][8]。特にひばりとこのスギにまつわる逸話は名高く、その縁によって遺影碑と歌碑が彼女の没後に建立された[2][4][7]。
由 来
この木は素戔嗚尊が植えたという言い伝えがあり、推定樹齢の根拠とされる[2][4][9]。古文書には、10世紀初めの延喜12年(912年)に京都から来た杉本太郎義家という武士が、木の根元に祇園牛頭天王、貴船大明神、行基菩薩の三尊像を祀ったとの伝承が記されている[2][3][9]。木は根元で2本に分かれ、それぞれ「北大スギ」、「南大スギ」と呼ばれる[2][9]。
2本のうちでは南大スギの方がやや大きく、根周りが約20メートル、樹高が約60メートルあり、日本最大のスギとされる[10]。北大スギは根周りが約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、岐阜県郡上市に生育する国の特別天然記念物「石徹白の大スギ」に匹敵する巨木である[4][10]。このスギは「神代スギ」「天王スギ」「夫婦スギ」などと、異名を多く持つ[2][9]。受胎・安産や護身のご利益があるとしてこのスギの樹皮をひそかに剥ぎ取る者が多かったために、樹皮が薄くなったところが盛り上がって不整形の形状をなしている[11]。
このスギの所在地はもともと旧大杉村の杉という地名だったところで、村の名、字名、そして土讃線の駅名もこのスギに由来している[9][8][10]。…
杉の大スギは1954年9月26日の台風9号、1970年8月21日の台風10号によって大枝が折れるなどの被害を受けた[3]。とりわけ1954年に大枝が折損したときは、枝1本でトラック7台分になるほどであった[9]。近年の観光客増加によって根元付近の踏み付けによる樹勢の衰えが懸念されるため、高知県や文化庁の援助のもとに大豊町が保護対策を行い、施設整備協力費としてこのスギやひばりの歌碑を観覧する観光客から大人1人につき200円を徴収している[5][7]。
杉の大スギは1924年12月9日に国の天然記念物に指定され、第2次世界大戦後の1952年3月29日には、特別天然記念物に改めて指定された[1][3][14]。1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」に合わせて企画された「新日本名木100選」にも選定されている[2][15][16]。
所在地 高知県長岡郡大豊町杉 八坂神社境内
交 通 JR四国土讃線・大杉駅下車、徒歩800メートル