神埼町姉川城跡のクリーク 神埼市神埼町姉川
サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。国道34号姉川バス停から北へ入ると、案内標識がある。
後ろの新しい史跡説明板は、ここの農村公園にも反対向きに建っていたので気付かなかった。
神埼町姉川城跡のクリーク かんざき、あねがわ
神埼市 姉川上分 クリーク 江戸期 国史跡 WEB
佐賀県教育委員会HP「佐賀県の文化財」による説明は、次のとおり。
国指定(史跡の部)03 史跡 姉川城跡(あねがわじょうあと)
平成22年2月22日指定(一部に県史跡を含む)
神埼市神埼町姉川
中世の城館跡と周囲の集落跡
南北朝期にこの地に土着した、菊池氏の分族を称する姉川氏が構えた城とされ、戦国末期までその居城となっていた。
1570〜80年代頃、龍造寺隆信が姉川氏を服属させた後は、龍造寺氏の神埼郡支配の要衝とされた。天正15年(1587)の豊臣秀吉による九州統一後は、国内の城郭の統廃合政策に伴い廃城となったと推察される。
遺跡規模は東西最長600m、南北最長800mに及び、その中核となる姉川城本体が遺跡全体の東半域を占めている。城の中心部は平面台形状の半町ほどの曲輪(くるわ)で、内部に大型建物や門を備えていたことが過去の試掘調査で判明している。
その周囲には小規模な曲輪群や家臣屋敷跡、寺社跡などが付属し、さらにその西側外縁の中地江川沿いに、一般住人や下級武士層の小規模な屋敷群が並んでいる。各空間は大型の濠で細分され浮島状をなしており、中世以来の「水辺」の村落景観が広範かつ良質な状態で、現在もなお保たれている。