長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 696 稲佐のイサバ船と弁財船(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 696 稲佐のイサバ船と弁財船(1)
目録番号: 698 長崎稲佐海岸(1)
目録番号: 993 稲佐のイサバ船と弁財船(2)
目録番号:1206 稲佐海岸(1)
目録番号:1276 和 船(3)
目録番号:3233 和 船(9)
目録番号:5310 稲佐海岸
目録番号:5519 ホテル・ヴェスナーと桟橋
■ 確認結果
長崎港内の入江の風景。現在の旭町にあった「稲佐崎」と、丸尾町にあった「丸尾山」や「大鳥崎」との間に囲まれ、平戸小屋町や江の浦町近くまで湾入し、イサバ船や弁財船の格好の碇泊地となっていた。
古写真を一覧してわかるとおり、いずれも「稲佐崎」やこの入江を撮影したものである。
明治期になって、入江は徐々に埋め立てられ、海岸線が変わった。埋め立てに「丸尾山」や「大鳥崎」が削り取られた。ビルや三菱電機の工場などが建ち、当時の入江の面影を見つけにくい。
そのため以前は、「平戸小屋」や「水の浦」「飽の浦」海岸と説明し、地名をタイトルとしていたものがあった。海事関係者の意見らしい。現地調査をしていない。監修が疑われよう。
一部の古写真は、すでに掲載し説明しているが、関係写真をまとめ、もう一度見てみよう。
目録番号:5519 ホテル・ヴェスナーと桟橋
まず最後の古写真から見てもらう。「稲佐崎」とは、現在の「旭町」バス停の右上の高台。稲佐お栄の「ホテル・ヴェスナー」があった。今はマンションが建っている。
この古写真の左奥に写っているのが、「丸尾山」と「稲佐崎」の入江である。
当時の入江の地形は、波止場があったとされる丸尾公園西角に、「旧渕村の歴史を顕彰する会」が設置している説明板の図を参照。
目録番号: 696 稲佐のイサバ船と弁財船(1)
現在の丸尾公園西角から、対岸だった旭町商店街奥の旭町入江の船と集落を撮影している。背景に写る山は、「日昇館」などがある浜平上の山並みである。
目録番号: 698 長崎稲佐海岸(1)
以前は、タイトルは同じだが、「飽の浦海岸」と説明していた。前の古写真と同じく、現在の丸尾公園西角から、左側に「稲佐崎」を撮影している。
長崎港の奥は、現在の五島町・大黒町などの方面と蛍茶屋上の武功山の尾根であろう。
目録番号: 993 稲佐のイサバ船と弁財船(2)
目録番号: 696「稲佐のイサバ船と弁財船(1)」とほぼ同じ。現在の丸尾公園西角から、丸尾山の少し先端の方へ行き、対岸だった旭町商店街奥の旭町入江の船と集落を撮影している。
背景の「日昇館」などがある浜平上の山並みが、同じ姿ではっきりわかる。
目録番号:1206 稲佐海岸(1)
目録番号: 698「長崎稲佐海岸(1)」と同じ古写真。タイトルを「稲佐海岸(1)」としているため、別分類されている。
以前は撮影場所を「稲佐海岸の飽の浦」と説明していた。「稲佐」と「飽の浦」は遠く離れている。
目録番号:1276 和 船(3)
「和船」に分類しているため、撮影地域は関連作品が多くあるのに、「未詳」とされた。近年「長崎」となったが、撮影場所の説明がない。
現在の丸尾公園西角から、対岸だった旭町商店街奥の旭町入江の船と集落を撮影している。背景に写る山は、「日昇館」などがある浜平上の山並み。
この古写真には、中央部に入江の浜から高台の集落に上がる「坂道」(黄線)が、はっきり写っている。同じ坂道が、旭町商店街奥の路地に現存しているのを確認している。
目録番号:3233 和 船(9)
目録番号: 698「長崎稲佐海岸(1)」及び目録番号:1206「稲佐海岸(1)」と同じ古写真なのに、「和船」のタイトルで別分類している。以前は撮影場所を「平戸小屋の入り江」と説明していた。
目録番号:5310 稲佐海岸
目録番号:1206「稲佐海岸(1)」と同じ方向を撮影した古写真。タイトルは以前「長崎湾水の浦」となっていた。「稲佐」と「水の浦」も離れている。
この古写真には、中央左寄りの松の大木の根元に「石祠」(黄線)が、はっきり写っている。
同場所の石祠が、旭町商店街奥に「恵比須神社」としてまだ祀られているのを確認している。
いずれもタイトルを整理し、撮影場所の説明を統一すべきではないか。