日見隧道 長崎市芒塚町
長崎市街からなら諏訪神社前馬町交差点から、国道34号線により矢上方面へ向けて走る。「妙相寺道」交差点から右折し、国道34号線の旧道を行くと日見峠下のトンネル「日見隧道」に着く。こちらの入口が「西口」。トンネルを出た所が「東口」。
日見峠には、往時の長崎街道と明治期の日見新道が通る。
トンネル西口に建設記念碑があり、東口に桐ノ木茶屋跡があり道路公園となっている。
土木学会編「日本の近代土木遺産(現存する重要な土木構造物2000選)」の中より、九州での河川、道路を主とする公共的な土木施設を紹介した社団法人九州建設弘済会HP「土木遺産 in九州」長崎県の中の説明は次のとおり。
日見隧道 長崎県長崎市芒塚町 〔トンネル〕
一般国道34号 大正期最長の道路用Cトンネル。ポータルは装飾的なピラスターと笠石の二重デンティル。
所在地・完成年等
●所在地:長崎県長崎市芒塚町、一般国道34号
●完成年:1926年(大正15年)
●設計者:日見新道株式会社
●施工者:日見新道株式会社
●管理者:不明
●文化財指定等:国指定有形文化財(登録有形文化財)
施設の形式・諸元
●延長:640m
●幅:7.2m
●形式:コンクリートブロックトンネル(コンクリートポータル)
遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
長崎市中心部への入口にある日見峠は、江戸時代の長崎街道における難所で、西の箱根とまで言われたそうです。日見隧道は、国道25号(当時)の交通の難所であった日見峠の改良のために、長崎県によって造られた隧道で、大正15年に開通しています。
全長は634mで、コンクリートブロックとコンクリート によって造られ、坑口は非常に重厚な造りで現在でも変わらぬ姿で利用されています。車社会が到来する以前の大正15年に築造されたにも関わらず、ほぼ完全な2車線が確保されていますが、当時としては画期的なものであったと思われます。
長く、国道34号として主要幹線道路の役割を担っていましたが、現在、新日見トンネル(1055m)が開通した日見バイパスがその役目を引き継ぎ、日見隧道は、地域の道路トンネルとして活用されています。
専門的には、側壁コンクリート工事の施工では、トンネルの壁を支えている支保工(しほこう)は木材で作られており、内部巻立工事といわれる施工方法で工事が進められました。これは、型枠に添って重いコンクリートブロックを積み上げながらコンクリートを充填し、トンネルのアーチ部分を作り上げていく作業です。工事には、ベルトコンベアーやトラックなどの運搬手段は使われておらず、多くの作業員の人力によって、掘った土はトロッコを使って外へ運び出していました。
交通アクセス JR長崎駅からバス(矢上団地行等)30分、芒塚下車、徒歩約10分