月別アーカイブ: 2015年8月

船津岸壁石段  天草市牛深町船津 ( 熊本県 )

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船津岸壁石段  天草市牛深町船津

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。天草市牛深支所西の牛深町交差点から海岸通りに船津へ向かう。画像1〜3は天草市牛深支所総務振興課の提供。

船津岸壁石段 ふなつ
天草市 牛深港 係留施設 (雑割石積) 寛政11(1799) 歴史的港湾施設資料集 泊地:ほぼ竣工当時の規模が残り、保存状態も概ね良好 当時、港へ寄港する旅船等の監督のため、御用船の船着き場となっていた 2 B

ブログ”連載:牛深御番所てんこ盛り!”商船入湊・石垣湊之図 ⑧『牛深御番所絵図 其の八』を参照。
http://gobansyo.kataranna.com/e74198.html

(2015年9月6日 追 記)

天草市牛深港を2015年9月2日再び訪ねる。4枚目以降は、私の撮影画像。船津岸壁石段は、牛深海中公園遊覧・グラスボートの発着場の桟橋から睦橋に向かい海岸通りの遊歩道を歩くと、対岸側に全体を望める。
睦橋からAコープ奥まで辺りに、当時の古い海岸石段を数基確認できるが、Aコープ奥の広い石段は、だいぶん改修の跡があり、コンクリートの劣化石段だった。

大谷町の高台にある「筑州建山」標石の現況  長崎市大谷町 ( 長崎県 )

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大谷町の高台にある「筑州建山」標石の現況  長崎市大谷町

この項は本ブログ次を参照。 大谷町にある「筑州建山」の標石は筑前屋敷の境界柱
https://misakimichi.com/archives/5436
大谷町の現地を、8月23日に再び訪ねた。「筑州建山」の標石は4本残っていたが、カトリック教会手前となる大谷町4−12の空き宅地にあった1本?は、隣家の続き庭となっていた。家人に聞くと自分は標石は知らず、庭工事業者が埋めたのだろうとの話で、所在不明となっていた。

詳しい資料は、本会の研究レポート「江戸期のみさき道−医学生関寛斎日記の推定ルート 第3集」平成19年4月刊の97〜107頁に載せている。
筑前藩の長崎における領境石となるようだから、HP「筑前国境石散歩」氏にも知らせたい。
最後の写真は、水の浦公園近くにある筑前屋敷跡の海岸部石垣や井戸の跡。

浦郷のともづな石  時津町浦郷 ( 長崎県 )

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浦郷のともづな石  時津町浦郷

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。国道206号時津町役場入口の次の交差点から時津中通りへ入る。中通りの突き当たりに八幡神社はある。神社の後ろ側が中央公園。

浦郷のともづな石 うらごう
(西彼杵)時津町 八幡神社・前 舟繋石 文政年間(1818-30)以前 WEB(みさき道人) 移設(もと、中通り)(昭和
60)現在の中通りの辺りが波止場だった時代(文政年間)に舟繋石として使われていた 2 C

本ブログ次を参照。 時津のともづな石  西彼杵郡時津町浦郷
https://misakimichi.com/archives/447

元・梅香崎の唐船繋場の繋石  長崎市玉園町 ( 長崎県 )

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元・梅香崎の唐船繋場の繋石  長崎市玉園町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。長崎歴史文化博物館から玉園町の上の一方通行通りに入る。聖福寺山門前まで進むと、車道対面側に旧迎陽亭はある。
梅香崎天満神社境内の燈籠の棹石は、後ろの2枚。

元・梅香崎の唐船繋場の繋石 うめがさき
長崎市 (玉園町)杉山宅・旧迎陽亭 舟繋石 弘化3(1846) WEB(みさき道人)門柱に転用/西道仙(1836-1913)による「唐船維覧石」の書が刻字 長崎市立博物館「長崎の史跡(歌碑・句碑・記念碑)」(平成16)には、宝暦12に梅香崎に唐船繋場が造られた際、石垣とともに設置されたとされる、との記載がある。しかし、清水寺や梅香崎天満神社境内の燈籠の棹石に転用されているとの記載には疑問があるし、『長崎周辺“石・岩・陰陽石”』(平成
14)では、長崎駅近くの波止場に唐船継纜用の石だとされており、由来は定かでない 3 B

本ブログ次を参照。 梅香崎唐船繋場の繋石とはどんなものか
https://misakimichi.com/archives/182

お高校時代・南アルプスの岩魚  YとTの遺文 ( 長崎県 )

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お高校時代・南アルプスの岩魚  YとTの遺文

高校時代の同窓生で友人、YとTが6月に相次いで逝去した。私の手元に彼らが残したおもしろい母校の思い出と、青春の記録がある。心当たりの方は読んで、彼らを懐かしんでもらいたい。
私もそろそろ認知症の気があり、お迎えが早いだろう。

御用井戸1・2  天草市牛深町船津 ( 熊本県 )

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御用井戸1・2  天草市牛深町船津

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。天草市牛深支所西の牛深町交差点から海岸通りに船津に向かい、加世浦バス停から手前の真浦公民館の方へ入る。この路地のだいぶん奥の左右の民家に御用井戸が残るが、付近に案内図や案内標識はなくどの家か場所がわかりにくいので、近所で良く聞くこと。天草市に対応をお願いしたい。
「御用井戸1」文化元年(1804)のが、写真1〜4、「御用井戸2」文化9年(1812)のが、写真5〜9。写真10は、大正11年だった。

御用井戸1 ごよう
天草市 牛深港<牛深湊見張番所> 石井戸 文化元(1804) 市史跡 歴史的港湾施設資料集/現地解説板 近所の人がポンプで揚水(飲用には不適) 寛政10(1798)に沿岸監視体制強化のために設置された長崎奉行直轄の番所の専用井戸として掘られたもの/一般住民の使用は禁止されていた 2 C

御用井戸2 ごよう
天草市 牛深港<牛深湊見張番所> 石井戸 文化9(1812) 市史跡 現地解説板 蓋が被せてある/近所の人がポンプで揚水(飲用には不適) 同上/井戸枠に「御/番/所/用/水」と刻字 2 C

現地説明板は次のとおり。

天草市指定文化財  御用井戸
指定年月日 昭和50年6月10日
天草初代代官鈴木重成のときに、富岡、大江、魚貫崎に遠見番所がおかれましたが、その後、寛政10年(1798)、沿岸監視体制強化のため、長崎奉行直轄の牛深湊見張番所が新設されました。湊番所には普請役部屋や水夫部屋があり、この御用井戸は文化元年(1804)に湊番所専用に掘られたもので、一般の人々は使用を禁止されました。井戸は当時数基掘られており、近くには文化9年(1812)のものも残されています。どちらも内部の石組みは当時のままで、水不足の際にも枯れることはなかったといわれています。
平成22年3月 天草市教育委員会

天草市指定文化財  御用井戸
指定年月日 昭和50年6月10日
天草初代代官鈴木重成のときに、富岡、大江、魚貫崎に遠見番所がおかれましたが、その後、寛政10年(1798)に、沿岸監視体制強化のため、長崎奉行直轄の牛深湊見張番所が新設されました。湊番所は御用船を備え、普請役部屋や水夫部屋がありました。この御用井戸は文化9年(1812)に湊番所専用に掘られたものです。一般の人々は使用を禁止されており、石組みの井戸枠には「御番所用水」と刻まれています。当時、井戸は当時数基掘られたらしく、付近には文化元年(1804)のものも残されています。
平成22年3月 天草市教育委員会

三角西港  宇城市三角町西港 ( 熊本県 )

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三角西港  宇城市三角町西港

宇城市HPの国指定文化財による説明は、次のとおり。JR三角駅から天草五橋入口の方へ向かい、そのまま国道57号を進むと、三角西港公園がある。

三角西港  当時の姿をそのまま残したロマン漂う観光スポット

三角西港は、明治20年に明治政府の国内統一殖産振興の政策に基づいて、オランダ人水理工師のローウェンホルスト・ムルドルの設計で建設されました。当時の最新の技術が盛り込まれ、近代国家の威信を懸けた明治三大築港の一つです。良港を持たない熊本県にとって築港は県民の悲願というべきもので、三角港にかけた期待と完成の喜びは数々の逸話として伝えられています。

三角町は有明海、不知火海の二つの海に面し、熊本県の海の玄関港として、物資や人が行き交う海上交通の要地として繁栄。それとともに宇土郡役所(現在の宇城市立九州海技学院)や三角裁判所(現在の法の館)が設置され、宇土地域の行政や司法の中心地でした。

756メートルにもおよぶ石積みの埠頭や水路、建造物などは築港後1世紀の歴史を持ちながら今なお厳然としてたたずまいを見せています。このように当時の都市計画がほとんど無傷のままで残っているのは全国的にも珍しく、文化財的にも国際的にも価値ある生きた港として、平成14年12月、国重要文化財に指定され、港町三角のシンボルとなっています。

また、昭和62年の築港100周年を期に港湾整備事業の指定を受け、当時の建造物の復元や一帯の公園整備に取り組み、観光港として再興しています。小説家・小泉八雲ゆかりの旅館・浦島屋、カフェなど明治の面影を残す建物が残ります。

猪 伏 橋  宇土市網引町猪伏 ( 熊本県 )

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猪 伏 橋  宇土市網引町猪伏

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。JR三角線住吉駅から県道58号に入り、網津川沿いに行く。網引町の県道から左手にタカフネ橋が見えるので、この分岐からタカフネ橋を渡る。300mほど先の右手上流側に架かっているので、民家手前の里道に入る。

№1,076 猪伏橋
宇土市網引町猪伏
網津川
橋長:6.9m  橋幅:2.75m  径間:6.45m  拱矢:3.2m  環厚:45cm
タカフネ橋を渡り300m先右手に架かっています。

タカフネ橋  宇土市網引町 ( 熊本県 )

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タカフネ橋  宇土市網引町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。JR三角線住吉駅から県道58号に入り、網津川沿いに行く。網引橋を渡って県道を進んで行くと、県道から左手に見える。

№1,075 タカフネ橋
宇土市網引町
市指定文化財
網津川
橋幅:2.4m  径間:5.5m  拱矢:1.8m  環厚:40cm
馬立橋より県道58号線を900m南進、左手に架かっています。
赤みがかった馬門石です。

網 引 橋  宇土市網引町 ( 熊本県 )

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網 引 橋  宇土市網引町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。JR三角線住吉駅から県道58号に入り、網津川沿いに行く。網引町へ入って現在の橋の脇に架かっている。

№1,074  網引橋
宇土市網引町
市指定文化財
網津川
橋長:8.7m  橋幅:3.63m  径間:7.65m  拱矢:2.45m  環厚:45cm
馬立橋より150m南に架かっています。