(ロ)現川の連理樹だったスギ 長崎市現川町
2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」の「東長崎巨樹マップ」に、(ロ)でムクノキを記している。同写真説明は次のとおり。
現川のムクノキ 幹周り4.21m。
マップでは、JR現川駅から現川峠へ上がる車道の左側(西方)。幹囲4.21mというムクノキの大木なのに、地元で話は聞けないし、所在がどうしてもわからずにいる。
考えられるのは、もう現川峠近くカーブした道路脇に「大権現社」の石鳥居がある。この鳥居下の谷間に、昔の現川峠越しの旧道が残り、大権現社とは別の祠「弁天様」が祀られている。
ここにあったスギとクロガネモチの「連理樹」である。
東長崎地区連合自治会編「2000年の東長崎」平成13年刊、巨木・名木89〜95頁には、すでに掲載されていない。
郷土誌の古いのは、東長崎町編「東長崎町誌」昭和38年3月発行。名木・珍木・巨木105頁に、次のとおり「連理」の記録がある。当時の写真も同107頁から。
連 理
現川と加勢首に杉とクロガネモチ(俗称シロキ)の珍しい連理がある。現川より長崎の西山に通ずる山道の中腹で、2本の木がぴったりくっつき、周囲4.85mある。
木の下に素朴な自然石でつくった弁天様がある。毎年9月7日にお祭りがあり、しめなわをはりかえする行事が伝えられている。
以上が昭和38年の記録。「弁天様」は旧道の中ほど。曲がりくねった現在の車道の下から登っても、上から下っても旧道は荒れて歩きにくい。行きやすいのは、大権現社鳥居の手前となる車道を斜めに横切った水路。植林地内のコンクリート溝の中を下ると、「弁天様」の近くに出る。
植林地内には、参詣のかすかな踏み跡が見られる。
連理だったスギの方は、薄暗い谷間に奇怪な枝を広げて、今も生きている。根元に巻き込まれたクロガネモチは、朽ち果て黒々として、大木であった丸い跡だけ残していた。
車道の右と左、クロガネモチとムクノキの違いがあるが、マップの地点と幹周りの大きさからすると、連理樹だったこの木と思われる。
町誌のクロガネモチは、マップどおり、正しくは「ムクノキ」だったのではないか。
このため、樹木の項目も「現川の連理樹だったスギ」に変えた。
最後の写真は、現川峠近くの「大権現社」鳥居と、加勢首で見るクスノキの大木。奥の家は、長崎大学第一外科教授だった調来助医師の養実家となるらしい。昭和20年8月9日大学病院で被爆し、その後、医局員たちとともに被爆者の治療・救護のため、日夜奔走されたことは、今なお語り継がれている。