(イ)矢上切り通しのモチノキ  長崎市田中町

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(イ)矢上切り通しのモチノキ  長崎市田中町

矢上入口となる切通交差点から、マルキョウ東長崎店前を通る国道34号線を行き、しばらく進んで国道右手を見ると、奥の民家裏手の高台に大木が見える。この木が「矢上切り通しのモチノキ」である。
次の樹木の再掲。  https://misakimichi.com/archives/623  

2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」の「東長崎巨樹マップ」に、(イ)でモチノキを記している。同写真説明は次のとおり。
矢上切り通しのもちの木 幹周り3m およそ150年。白山大権現様。被爆したもちの木 爆風で一瞬のうちに葉っぱが全部散る。

東長崎地区連合自治会編「2000年の東長崎」平成13年刊、巨木・名木93〜94頁による説明は次のとおり。

◇もちの木の大木  切り通しのもちの木

国道34号線、下切通しのバス停より東南方向へ200mほど行くと、小高い所に見上げるほど大きなもちの木がある。幹回り3mあり、ねじれたように左右に大きく枝を伸ばしている。
安政年間に植えられ、およそ150年は経っていると伝えられている。木の根元に祭られた白山大権現様は、地主の田中家の先祖である田中権蔵氏が1913年(大正2年)、石川県の白山神社を詣でた時のお礼を祭り、当時16軒あった地元の人たちの”守り神”となった。以前は毎月10日に地元の家々で供え物をして、お祭りをされていたが、今では長島實氏が上げ物をして祭っておられる。
この大木、もちの木にも最大の危機があった。それは、長崎に原爆が落とされたとき、その爆風で一瞬のうちに葉っぱが全部散ってしまい、丸裸になってしまった。これぞ正真正銘の被爆したもちの木なのである。今は元気を取り戻し、春になると花を咲かせ、そして、秋には赤い実をつけ、小鳥たちの楽しい憩いの場になっている。