長崎の西の空の夕日 09− 8
長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔。以下、続く。
変わった景色とし、電線をなくすため、自宅近くにも出かけ写す。
写真 1〜 6 平成21年 4月23日の18時47分頃
写真 7〜 8 平成21年 4月25日の 8時07分頃 朝の雲、晴の前兆
写真 9〜12 平成21年 4月28日の18時51分頃
写真13〜16 平成21年 4月30日の18時46分頃 岳路南から
長崎の西の空の夕日 09− 8
長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔。以下、続く。
変わった景色とし、電線をなくすため、自宅近くにも出かけ写す。
写真 1〜 6 平成21年 4月23日の18時47分頃
写真 7〜 8 平成21年 4月25日の 8時07分頃 朝の雲、晴の前兆
写真 9〜12 平成21年 4月28日の18時51分頃
写真13〜16 平成21年 4月30日の18時46分頃 岳路南から
碑のある三角点・・・熊 ノ 岳 (標高288.37m) 長崎市宮崎町
碑のある三角点は、先に稲佐山を紹介している。長崎市宮崎町の熊ノ岳にもあった。宮崎ダムの南西にNTTアンテナが見える山で、「熊の岳いこいの里」として整備されている。
川原大池から登山道路が上がり、駐車場から遊歩道を約10分歩くと山頂へ着く。天草や雲仙を望み、景観の良い山である。碑文は次のとおり。
四等三角点 熊ノ岳
ここに設置されている標石は、三角点と言い地球上の位置(緯度、経度、高さ)が高い精度で決められています。
三角点は、私たちの暮しにも密接なかかわりがあり、地震予知、地図作りを始めいろいろな活動の基準となる特別なものです。
北緯:32度36分51秒267 東経:129度49分03秒382 高さ:288.37m
設置年月日 昭和48年8月2日 建設省国土地理院 三和町
なお、静岡県の方が全国の「三角点探訪ネットワーク」が作成されており、本ブログも「長崎の三角点」としてリンクされた。光栄なことである。必要なときは、次を参照。
http://www.geocities.jp/superteizan/chizu.html
三和の散策 (14) 岳路海水浴場と同海岸 長崎市蚊焼町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(14)は、野母半島県立公園の岳路海水浴場と同海岸。
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
三和の散策 (13) 岳路の風景・史跡 長崎市蚊焼町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(13)は、岳路の風景・史跡。岳路海水浴場と同海岸は別項。
くじら浜の海岸、海水浴場北浜の海岸洞穴、「みさき道」永一尾の尾根、ホテルPARCO、同横から野島を望む、岳路海水浴場前バス停下の「みさき道」道塚⑥、下の岳路集落、岳路の浜の三浪神社、岳路バス停付近から遠望、山側の岳路神社、石祠のマリア観音?、同神社のアコウの大木、黒浜近く国道から岳路海岸の遠望
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
三和の散策 (12) 蚊焼の風景・史跡 長崎市蚊焼町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(12)は、蚊焼の風景・史跡。
長崎市立蚊焼小学校、長崎市蚊焼地区公民館、長崎市立蚊焼保育所、高比良園芸店、桜御前祠、擁壁の地蔵、相撲取墓(二子嶋)、曲江舎雅翁の碑、蚊焼山地蔵寺(曹洞宗)、蚊焼浄水場、岳路みさき道(松永建設奥)、ボラ炊きの釜跡
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
曲江舎雅翁の碑は、次を参照。https://misakimichi.com/archives/125
三和の散策 (11) 晴海台と蚊焼の風景・史跡 長崎市晴海台町・蚊焼町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(11)は、晴海台と蚊焼の風景・史跡。
晴海台地区公民館、晴海台団地の通りと全景、長崎市立晴海台小学校、「みさき道」の蚊焼西大道にある道塚④、草積御前の祠、蚊焼茶屋跡の推測地点、蚊焼峠の入口、三和史談会の看板がある「みさき道」入口、蚊焼包丁山口鍛冶工場、蚊焼包丁・南蛮ぼーどの展示品(さんとぴあ21)、蚊焼の全景、蚊焼海岸通りエノキの大木、集落に残る旧家、岩穴の地蔵、大法山真乗院(日蓮宗)、宮ノ脇にある庚申塚、字名の女男岩とされる岩
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
三和の散策 (10) 宮崎の風景・史跡 長崎市宮崎町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(10)は、宮崎の風景・史跡。
ながさきゆうゆう牧場、海星学園三和野球場・ラグビー・サッカー場、町民の森シンボルゾーン、川原木場の風景と公民館、熊川力士碑、徳道の風景と水場、旧徳道径の谷、熊の岳いこいの里
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
三和の散策 (9) 宮崎の風景・史跡 長崎市宮崎町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
三和の散策(9)は、宮崎の風景・史跡。
宮崎ダム、旧徳道径にあった森園地蔵(ダム水没のため移設)、三和記念公園、NPO法人きょうせい農園、高台から三和記念公園全景、中央公民館に展示している明治32年建脇岬・高浜村路標石があった分岐道、宮崎のハウスびわ団地と最盛期の出荷場
三和の散策 (8) 宮崎の風景・史跡 長崎市宮崎町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(8)は、宮崎の風景・史跡。
川原海水浴場手前の蛇紋岩の円礫浜、長崎市立川原小学校、池の御前神社、川原大池公園、同オートキャンプ場、川原海水浴場、大池の排水門、周遊道路から大池を望む
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
長崎さるくマップブック「三和界隈」82〜83頁による説明は次のとおり。
写真 1〜 蛇紋岩の円礫浜
蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた岩石です。脂肪光沢を持った濃緑色の岩石で、栄上を中心に三和地区一帯に広く分布します。この蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しい貴重なもの。川原本村海浜と川原海水浴場一帯に広がっています。
写真 4〜 池の御前神社
ここには当地の領主・河原大蔵太夫高満が正暦5年(994)11月に愛娘阿池(おち)姫の冥福を祈念するために建立したという伝説が残っていて、池の御前様とも呼ばれています。祠が3基あり、元禄5年(1692)建立の中祠は豊玉比古命、豊玉比売命が御祭神です。
写真 7〜 川原大池
広さ約13ha、周囲約1.9km、最大水深約9mの淡水湖です。池には鯉、フナなどの淡水魚が生息し、湖岸には九州西部北限のハマナツメなどの樹林が広がっています。公園一帯は野母半島県立公園の中心地にあたり、社叢(しゃそう)一帯は県指定天然記念物の樹林地帯です。
「川原大池—阿池姫(おちひめ)伝説と湖畔風景」は次を参照。
https://misakimichi.com/archives/147
三和の散策 (7) 川原の風景・史跡 長崎市川原町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(7)は、川原の風景・史跡。
年崎へ架橋中の工事現場、年崎海岸の礫質片岩、川原本村の蛇紋岩の円礫浜、恵美須山砲台台場跡、宮崎川(モウタレ川)渡りの祠と石橋跡、秋葉山の秋葉神社、同神社からの遠望
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
長崎さるくマップブック「三和界隈」82〜83頁による説明は次のとおり。
写真 2〜 年崎海岸の礫質片岩
「礫質片岩」は礫岩を原石とした結晶片岩で、全国的にも珍しいといわれています。特に、年崎海岸の礫質片岩は原石の礫も明瞭に観察できる露頭したもので、地質学的にも学術的にも貴重なものです。
写真 5〜 蛇紋岩の円礫浜
蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた岩石です。脂肪光沢を持った濃緑色の岩石で、栄上を中心に三和地区一帯に広く分布します。この蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しい貴重なもの。川原本村海浜と川原海水浴場一帯に広がっています。