長崎と近県の山野歩き」カテゴリーアーカイブ

寺岳西尾根道の踏査  2014年12月 ( 長崎県 )

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寺岳西尾根道の踏査  2014年12月

2014年12月23日(火 天皇誕生日)晴。寺岳(標高451.8m)西尾根道の踏査。参加3人。みさき道歩会の例会。12月21日が雨のため延期して実施。
布巻9:35—西尾根道—ピーク上11:50(昼食)12;30—寺岳登山道出合12:50—寺岳登山口13:28—稲荷神社石鍋製作所跡13;50—為石14:25(徒歩距離 約7km)

寺岳西尾根道は2012年5月に一度下ったことがあり、少々の踏み跡とテープがある。中間の急斜面が危険だったので、逆に登り再度のリベンジ踏査。
午前9時35分 長崎バス布巻バス停から歩き出す。摩利支天神社上の墓地から入るが、左右近くの民家の四代続くという石垣ヤブツバキとゆうこうの木をまず見学。サイクリング道路の石段を上がり、登りにかかる。雑木林尾根の急坂道は測量杭があって歩きやすく残り、ぐんぐん高度を上げる。

炭焼き窯跡がある植林地にかかる。前回間違った所で、今回は右植林地の境を登ると、寺岳が見えるピークに出たので昼食とした。これから道はまたはっきりし、最後を急登すると寺岳登山道に出合う。寺岳頂上往復は省き、後は下るだけ。鹿・猪除けフェンスのある寺岳登山口で、為石上の車道に出た。
稲荷神社へ向かい、鍋岩石鍋製作所跡を調査。神社下あたりにあと一つ製作所跡が、遺跡地図にあるが、この岩面は探しきれなかった。

「みさき道」の展望ベンチ造りと草刈り整備  2014年11月 ( 長崎県 )

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「みさき道」の展望ベンチ造りと草刈り整備  2014年11月

2014年11月9日(日)曇りのち晴。「みさき道」の展望ベンチ造りと草刈り整備の予定が、参加は私1人。みさき道歩会例会をしばらく休止していたし、朝から天気がすっきりしなかったので、仕方ない。久し振りひとりで「みさき道」の現況を確認しながら、のんびり歩いた。
三和行政センター9:30—蚊焼峠9:59—郷路八幡12:34(昼食)13:00—岳路上ベンチ予定地点14:38—徳道サイクリング道路出合15:34—黒浜16:20(徒歩距離 約8km)

サンサンさんわフェスティバルの会場から出発。古茶屋坂の入口先で、すぐ新設車道が横切る。地滑りがあっていて、奥の沢に砂防ダムを築く工事があった。一帯を立ち入り禁止にして、「みさき道」もロープが張られ、この区間(地蔵寺下り分岐まで約500mの間)が通行禁止となったのは、2年ほど前からである。
当初工事はやっと完成したが、西へ回り込んだ谷でも地滑りが発見され、第2期砂防ダム建設工事に別の業者が、正月明けから工事車道を延長して着工するという。ここはもう「みさき道」ルートと関係ないところである。

したがって、当初工事が完成した部分は、本来の「みさき道」ルートを歩かせてもらうよう、長崎県振興局砂防ダム課へ要望した。11月5日午前、県から3人、工事業者責任者、土地所有者、私とで現場立会い確認のうえ、通行禁止のロープを外し道の整備を、私の方の会でしてよいとの許可をもらった。
その5日の現地確認の状況が、写真の3枚目までである。

きょうの例会は、これが主な目的だったが、1人でロープを外し、山間地主の土地に入らないようロープをつけ変えるに時間がかかった。郷路八幡の鳥居に着いたのは、12時半過ぎ。ここで昼食とした。
「みさき道」入口看板も、塗り替えて設置しなおした。工事区間の通行禁止は当面解除されたので、各山岳団体や愛好者へ周知してもらいたい。
ただし、工事車道が横切るところは、正月明けからまたダンプなど多く通る。工事車両注意看板を設置し、ここには登山者横断白線を引いてもらい、双方とも注意するよう要望した。

岳路上の展望ベンチは、ちょうど徳道までの中間地点となる。伐採地で展望が良かったが、前面に植えられた植林が成長して、軍艦島や外海方面がまったく見えなくなった。当会手造りの40人は座れたベンチも、竹など腐った。この場所に代わるのは、付近をだいぶん探したが、もう少し進んだ植林地である。
「みさき道」の通路すぐ上に、少し登ると平坦地があった。木立越しとなるが、展望の適地はまあ、ここくらいだろう。きょうは1人ではベンチを作製できず、次回にみんなの応援をもらって設置したい。

「みさき道」はそんなに荒れていなかった。徳道のサイクリング道路に出る手前は、本道ながら相変わらずのイバラとカズラの道となる。草刈りにいつも苦労していた。カヤの原に出る手前から、まっすぐ進む迂回路がたいぶん利用されているようで、テープが多く巻きつけられていた。
サイクリング道路出合から黒浜へ市道を下るが、大カーブ地点に昔の里道の近道がある。これを下るとすぐ黒浜バス停へ着いた。

(注意) 写真2、11、12に「みさき道」脇と上部にブルーシートを被せている箇所が写っている。道下斜面にコンクリート擁壁を造った際、少し地滑りが確認できたと言う。この部分も買収し、いつかは「みさき道」ルートを一部変えてもらうかも知れないとの、県砂防ダム課の話である。当面の通行に支障はないらしい。

大久保山から小ヶ倉上の岩場へ  2014年8月

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大久保山から小ヶ倉上の岩場へ  2014年8月

2014年8月11日(月)晴。大久保山(標高233.7m)から小ヶ倉上の岩場へ。戸町の実家へ墓参り帰省中の埼玉県M・Ⅰ氏と2人で。
女神大橋駐車場10:10—魚見岳台場10:34—地理局測点11:04—大久保山11:50—藩境塚12:06(昼食)12:20—展望原12:26—峠部13:00—小ヶ倉上の岩場13:11—八幡神社14:27—小ヶ倉バス停14:35(徒歩距離 約6km)

女神大橋の上の駐車場から魚見岳二の増台場へ上がり、石造倉庫を見て登山道へ入る。20分ほど登ると、明治九年「地理局測点」がある。   https://misakimichi.com/archives/3503
マテバシイの大木を過ぎ、竹林となると、大久保山の山頂はすぐである。八郎岳子午線標、天明藩境塚を見学。ここで昼食とした。

林間内は蚊が多く、砕石場跡の展望原まですぐ出る。なかなか眺望が良いところである。下りの草原は夏草が茂り、今の季節は歩きにくい。小ヶ倉大岩群へは近道の尾根下りをする。
小ヶ倉大岩群は、バイパス北側に見える岩場。展望はすばらしいが、難所が多く初心者には無理なルートである。岩場のやせ尾根はなお続き、小ヶ倉幼稚園上の八幡神社へ出て、バス停へ下った。
私がデジカメ・携帯とも忘れ、写真はすべてM・Ⅰ氏撮影のスマホ画像。

諫早の史跡・石橋・巨木・歴史館めぐり(2)  2014月7月

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諫早の史跡・石橋・巨木・歴史館めぐり(2)  2014月7月

2014月7月20日(日)快晴。諫早をまち歩きし史跡・石橋・巨木・歴史館めぐり。参加5人。みさき道歩会の例会。13日が雨のため延期して実施。
諫早駅—諫早神社—慶巌寺—諫早公園(眼鏡橋・諫早山城跡・御書院・高城回廊)—諌早市役所—安勝寺—水月楼で昼食—天祐寺—諫早市美術・歴史館—諫早駅(徒歩距離 約10.5km)

長崎駅9:24発諫早行乗車。諫早駅から本明川沿いに下り、まず諫早神社へ。境内に大クス群と池に壊れた桁橋がある。神社前の川を飛び石で渡り、慶巌寺へ。寺崖に彫られた磨崖仏三十三観音と参道橋は珍しい。飛び石で対岸へ渡ると、諫早公園の里帰りした眼鏡橋ミニ模型前に出る。5分の1の大きさの模型。本物の眼鏡橋を渡って、諫早山城跡へ登る。山頂の樹齢600年の大クスは有名であり、高城の公園からは市内を眺望できる。

高城神社の方へ下り、御書院・高城回廊へ回って諫早市役所前へと出る。脇の川には小ヶ倉ダムから移築しているアーチ式の「小ヶ倉橋」がある。諫早眼鏡橋が水害前、もともと本明川に架かっていたところは、人道橋となり、由来の碑がある。対岸の安勝寺は諫早街道の道で、ここが本陣だった。
昼食のうなぎは、北御門が大混雑。先の水月楼へ行って食べた。

中央商店街アーケードを抜けて、本諫早駅前を通り、天祐寺へ諫早家墓所を見学に行ったが、墓所門を閉鎖しているのは、何とかしてほしい。以前の郷土館に代わり、新しい施設「諌早市美術・歴史館」が3月からオープンした。場所は東小路町2−33。前の諫早幼稚園跡地。周辺道路に案内板がまだ設置されていないので、場所がわかりにくかった。観覧料は常設展示200円。諌早の歴史文化を知ることができる良いミュージアムができた。きょうの目的はこの観覧が主で、諫早駅へ戻った。

諫早の史跡・石橋・巨木・歴史館めぐり(1)  2014月7月

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諫早の史跡・石橋・巨木・歴史館めぐり(1)  2014月7月

2014月7月20日(日)快晴。諫早をまち歩きし史跡・石橋・巨木・歴史館めぐり。参加5人。みさき道歩会の例会。13日が雨のため延期して実施。
諫早駅—諫早神社—慶巌寺—諫早公園(眼鏡橋・諫早山城跡・御書院・高城回廊)—諌早市役所—安勝寺—水月楼で昼食—天祐寺—諫早市美術・歴史館—諫早駅(徒歩距離 約10.5km)

長崎駅9:24発諫早行乗車。諫早駅から本明川沿いに下り、まず諫早神社へ。境内に大クス群と池に壊れた桁橋がある。神社前の川を飛び石で渡り、慶巌寺へ。寺崖に彫られた磨崖仏三十三観音と参道橋は珍しい。飛び石で対岸へ渡ると、諫早公園の里帰りした眼鏡橋ミニ模型前に出る。5分の1の大きさの模型。本物の眼鏡橋を渡って、諫早山城跡へ登る。山頂の樹齢600年の大クスは有名であり、高城の公園からは市内を眺望できる。

高城神社の方へ下り、御書院・高城回廊へ回って諫早市役所前へと出る。脇の川には小ヶ倉ダムから移築しているアーチ式の「小ヶ倉橋」がある。諫早眼鏡橋が水害前、もともと本明川に架かっていたところは、人道橋となり、由来の碑がある。対岸の安勝寺は諫早街道の道で、ここが本陣だった。
昼食のうなぎは、北御門が大混雑。先の水月楼へ行って食べた。

中央商店街アーケードを抜けて、本諫早駅前を通り、天祐寺へ諫早家墓所を見学に行ったが、墓所門を閉鎖しているのは、何とかしてほしい。以前の郷土館に代わり、新しい施設「諌早市美術・歴史館」が3月からオープンした。場所は東小路町2−33。前の諫早幼稚園跡地。周辺道路に案内板がまだ設置されていないので、場所がわかりにくかった。観覧料は常設展示200円。諌早の歴史文化を知ることができる良いミュージアムができた。きょうの目的はこの観覧が主で、諫早駅へ戻った。

小江・小江小浦・柿泊間の明治県道調査と整備  2014年6月

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小江・小江小浦・柿泊間の明治県道調査と整備  2014年6月

2014年6月15日(日)曇り。小江・小江小浦・柿泊間の明治県道調査と整備。参加5人。みさき道歩会の例会。今回は柿泊側から歩く。
かきどまり運動公園前10:00—旧道調査—流水路手前12:10(昼食)12:40—2つ穴防空壕13:31—小江14;20(徒歩距離 約4km)
1回目の調査は、 https://misakimichi.com/archives/3855
2回目の調査は、 https://misakimichi.com/archives/3942

小江・小江小浦・柿泊間の明治県道調査と整備は、3回目のリベンジ。今回は逆歩きして調査する。大波止9:29発春木経由相川行乗車。かきどまり運動公園前を10:00から歩きだす。堤から小浦の里の方へまっすぐな市道を進み、柿泊から上がってきた旧道の分岐点まで行く。
明治34年旧版地図のとおり、ここが十字路で、小江へ向かう旧道の入口があったはずである。やぶとなって、入口がわかりにくかったが、伐り開くときちんとした道跡が出てきた。
下って行くと小沢と出会い、小さいが見事な桁石橋が残る。この道が明治県道に間違いないだろう。

平坦な道跡はまだ続き、倒木や茨を伐り開く。根本から倒れた巨木の先に、えぐられた道のような崖があり、突然、平坦な道跡が消える。先がわからない。ここから下るのだろうか。総合運動公園の急な流水路工事跡広場へすぐ出るだろうと思って昼食とした。
どうもこのあたりの道跡が、工事のため分断されて、よくわからない。急な流水路へ出たが、少し登り過ぎであった。ロープを使って深い流水路を渡り、以前に小江側から確認していた道跡まで対岸を下った。このあたりの再調査がまた必要となった。

後はイノシシ除けのフェンス沿いに、2つ穴の防空壕まで行く。先も雑木林と昔の段々畑の中の山腹の道。特に迷うことはないが、要所に黄色ペンキとテープ巻きをしていった。果樹畑まで出ると、眼下に小江の集落と海岸が広がる。松林のグランドが、昔の福田中学校跡である。この道は、昭和30年代までは、集落を結ぶ道や通学路として大いに利用されていたと思う。
畑道となり、歩きやすくなり下って行くと、新小江橋ではなく、小江橋の住家の間に出た。これで福田方面の道と繋がり、納得できる明治県道の道跡となった。
掲載写真が暗いのは林間と、新パソコンで映像館やGIMPソフトがうまく作動しないためで、了承願いたい。

高島一周ウオーキング  2014年6月

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高島一周ウオーキング  2014年6月

2014年6月1日(日)快晴。高島一周ウオーキング。参加5人。みさき道歩会の例会。5月25日分を延期して実施。
高島港—高島海水浴場—飛島磯釣公園—高島公園—権現山—西海岸公園—高島港(徒歩距離約8.7km)

長崎港ターミナルビルに集合。8:50コバルトクイーン乗船。私は自宅が近い伊王島港から乗るつもりだったが、途中、深堀でペーロン練習を写していて乗り遅れた。次船便は、12:15。伊王島で時間をつぶし、昼から島内バスで追いかけた。
先発組も高島島内は、権現山近くまで登りグラバー別邸跡までで、半周しかしなかったという。ターミナルへ戻りかけていた百間崎あたりで、やっと合流した。

したがって、一周写真はない。これは前回2009年8月の記事と写真を参照いただきたい。
その(1)は、https://misakimichi.com/archives/1952
その(2)は、https://misakimichi.com/archives/1953
今回の掲載写真は、私の合流後の写真。長崎市高島行政センター建物後ろ側の旧炭鉱坑口跡を主に訪ねた。特に説明することはない。
ただ、おもしろい木は、「安産の木」と名付けられていた。後ろから見ると、どうしても「うん○の木」だろう。
ターミナル付近の岸壁では、年1回の「高島トマトとヒラメ祭り」が開催されていて、船客と人出は多かった。
高島港14:35発で帰着。

土井首から鹿の岳(仮称)、大山へ  2014年5月

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土井首から鹿の岳(仮称)、大山へ  2014年5月

2014年5月11日(日)快晴。土井首から鹿の岳(仮称 標高約452m)、大山へ。参加4人。みさき道歩会の例会。
土井首バス停9:35—大崎林道入口10:45—鹿尾河原分岐11:41—鹿尾河原12:00(昼食)12:30—鹿の岳展望岩13:29—熊ヶ峰登り林道14:12—竹林広地14:49—大山カトリック教会15:40—大山入口バス停16:20(徒歩距離 約9km)

土井首から熊ヶ峰と悪所岳へ登り宮摺まで、長崎半島を横断する予定だったが、あまりの長丁場に今ではもう体が動かない。熊ヶ峰手前の新設林道まで出てから、時間も足らず大山へとそのまま下った。
土井首大山祇神社先から、八郎岳への大崎林道へ入り、旧登山道をたどる。大崎林道は法面崩落し、平成29年4月まで通行止めの標識があった。植林地の旧道には、「長崎要塞第三?地帯標 第十六号」が残るが、登山者もほとんど気付いていない。

大崎林道をいったん横切る。ここに当会のプレートと朝霧の「熊ヶ峰まで2時間」の道標がある。竹林や植林地内を行き、鹿尾河原へ下る鞍部へ出る。大崎林道の急カーブ真下となる尾根である。そこから約20分下ると、鹿尾川上流の渡渉点に着く。「鹿尾河原」と呼んで、やや広地となっており、昼食とした。
この先が植林を間伐しており、登山道がわかりにくく、急斜面の迂回路となっていた。やっと旧道へ出て、「鹿の岳」(仮称)のピークを目指す。だんだん登りがきつくなってくる。このピークは登山道から少し西へ入る。

展望がよい岩場のピークで、特に鹿尾ダム大橋の上に目立つ山である。名前がないので、とりあえず「鹿の岳」と呼ぶこととした。標高は約452mあった。周りの木立が伸びており、伐採に時間を取った。時間を見るともう2時近くとなっており、先を断念した。熊ヶ峰の登り口に知らない間に林道ができていた。これを下り終点まで行き、強引に熊ヶ峰の中腹を巻くと、竹林の広場があり、タケノコを採る作業場となっていた。車がここまで入るので、その林道を下ると大山教会へ出た。あとは大山入口のバス停へ下る。

途中、大山の集落で駐車場車止めに使用している石柱2本。よく見ると「西道仙」書である。長崎史談会原田先生の話では、長崎市中の有名なところから、移している石柱で、歴史的価値が高いらしい。

諫早市多良見町に残るアーチ式石橋と伊木力往還めぐり  2014年4月

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諫早市多良見町に残るアーチ式石橋と伊木力往還めぐり  2014年4月

2014年4月27日(日)晴。諫早市多良見町に残るアーチ式石橋と伊木力往還めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。20日が雨のため、延期して実施。長崎近郊の石橋めぐりは、西彼杵郡長与町、長崎市船石町に続く3回目。今回は大村殿様道で松ノ頭峠を越す「伊木力往還」の現況調査もする。
大草駅9:47—山川内東跨道橋・山川内橋梁10:29—千々石ミゲルの墓10:56—野川内踏切11:22—幸仏橋11:50(昼食)12:30—重尾—松ノ頭峠13:53—松ノ頭トンネル口14:05—本川内駅14:30(徒歩距離 約8km)

長崎駅9:13発長与経由竹松行乗車。大草駅で降りて伊木力の方へ戻る。琴海中学校先の国道に「千々石ミゲルと見られる墓」の道案内があり、山川内川の上流へ田の中の直線農道を約500mほど遡る。
明治31年開通した長崎本線旧線の高い土手下に、アーチ式の跨道橋や橋梁が近く並んで3つ見える。山川内東跨道橋・山川内橋梁は、造りが大きく立派な切石の放物線アーチで見事である。
3つ目のレンガ造山川内跨道橋をくぐると、右手斜面に「千々石ミゲルと見られる墓」がある。

トンネルを戻り集落内を行くと、伊木力往還の道となる。途中で野川内桁橋を渡り、その小川上線路にレンガ造野川内東橋梁がある。野川内踏切先の下部にも野川内橋梁を確認できる。明治地図によると伊木力往還はこの道と思われるが、今回のメイン「幸仏橋」を見学するため、幸仏集落側へ戻る。
「幸仏橋」は壊れかけたアーチ式の小さな石橋。桜の木の根元にあり現在の橋の右下にある。O氏が渡ったが、大丈夫だった。12:30分まで昼食。

県道脇にあるみかん原木は見ず、そのまま重尾集会所前を通って旧道を松ノ頭峠まで登る。この道が大村郷村記の記すもう一方の往還のようである。トンネル上の琴の尾岳車道入口三叉路のところが、伊木力往還「松ノ頭峠」である。あとは本川内駅を目指して下るだけ。谷間沿いに往還の道が町道として残り、JR松頭トンネルの入口と長与ダム堰堤の鯉流しを見ると、本川内駅はすぐだった。

今回訪ねた石橋の、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。「千々石ミゲルの墓石発見」は、2004/02/28 【共同通信】配信記事。
「伊木力往還」松ノ頭峠部分の推定ルート図は、goo地図利用の入江氏作図(赤は国絵図と明治の地図を基に引いた線で、青は郷村記を基に引いた線)による。

№1,964 山川内東跨道橋(仮称)(石造アーチ橋としてカウント)
諫早市多良見町山川内(やまがわうち)
橋幅:20.34m  径間:6.0m  環厚:61cm
架設:明治31(1898)年頃  JR長崎本線 長崎線
遠目にはRCアーチに見えましたが、立派な切石の放物線アーチです。

№1,963 山川内橋梁(仮称)  (石造アーチ橋としてカウント)
諫早市多良見町山川内(やまがわうち)
山川内川  径間:8.5m  環厚:61cm
架設:明治31(1898)年頃  JR長崎本線 長崎線

№1,962 山川内跨道橋(仮称)
諫早市多良見町山川内(やまがわうち)
橋幅:26.1m  径間:3.65m  拱矢:1.83m
架設:明治31(1898)年頃  JR長崎本線 長崎線
4重巻きたて、アーチ部長手積み、基礎部イギリス積み

№3,779 野川内桁橋
諫早市多良見町野川内(のがわうち)
橋幅:3.9m  径間:0.9m  桁厚:15cm
単径間桁橋

№3,780 野川内東橋梁
諫早市多良見町野川内(のがわうち)
橋幅:13.0m  径間:1.8m  拱矢:0.9m  基礎H:3.6m(下流側)
架設:明治31(1898)年頃  JR長崎本線

№2,622 野川内橋梁
諫早市多良見町野川内
橋幅:m  径間:m  拱矢:m
架設:明治31(1898)年頃  JR長崎本線 長崎線

№1,961 幸仏橋
諫早市多良見町野川内
橋長:3.5m  橋幅:1.3m  径間:2.6m  拱矢:1.3m  環厚:39cm
この橋とばかり思っていたら、その下にちょこんと架かっていました。

千々石ミゲルの墓石発見 没年記され、謎の晩年に光
16世紀後半、九州のキリシタン大名がローマに4少年を派遣した「天正遣欧使節」の1人、千々石(ちぢわ)ミゲルのものとみられる墓石が見つかり、長崎県多良見町教育委員会が28日、発表した。  4人のうち、その墓が確認されたのは初めて。墓石には没年も記されており、町教委は「これまで謎とされたミゲルの晩年やキリシタン史を研究する上で大変に意義深い発見」としている。  墓石は旧大村藩領の多良見町山川内郷の民家裏で、みかん畑に立つ高さ約180センチ、幅約120センチ、厚さ約27センチの自然石製。表側に男性と女性の戒名、裏側に施主としてミゲルの四男玄蕃の名が刻まれ、男女とも寛永9年(1632年)没とあった。 石造物を研究している長崎県立口加高校の大石一久教諭が墓石を調査。家系図をたどり、玄蕃が墓の施主となり得る夫婦を調べた結果、ミゲル夫婦以外あり得ないことを突き止めた。     2004/02/28 03:47 【共同通信】

小江・小江小浦・柿泊間の明治県道調査  2014年4月

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小江・小江小浦・柿泊間の明治県道調査  2014年4月

2014年4月6日(日)快晴。小江・小江小浦・柿泊間の明治県道調査の2回目。参加7人。みさき道歩会の例会。
新小江橋10:10—旧道調査—2つ穴岩12:10(昼食)12:40—流水路12:59—旧道下り口14:08—柿泊14:30—手熊台場—キリシタン墓—手熊15:20—弁天白浜海水浴場バス停16:00(徒歩距離 約8km)

2013年11月4日(月)に続く明治県道2回目の調査。前回は本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/3855
大波止9:04発福田経由相川行で小江バス停に降りる。小江原経由に乗った人が3人おり、タクシーで来るのを待って、出発が遅れた。新小江橋の民家横から明治県道に入る。前回、分岐を間違いピークへ登ってしまったところの山腹の旧道は、だいたい状況がわかったが、畑道を使うよう下ってみて県道入口自体の見直しを考えたい。年代によって使われる道がだいぶん変っているようである。坦々とした山間の旧道は前回どおり。要所にデープを巻いて行く。

小江小浦の上部、大岩2つ穴防空壕下で昼食。かきどまり総合運動公園の流水路は、ロープを用意してきたので、全員が今回は突破し先の道を探す。流水路の作業現場や工事道路が入り混じり、このあたりの変り様は激しい。納得できる旧道はとうとう見つけきらず、小江原堤近くの市道へ出た。ここもまたリベンジ調査の必要を感じた。

前回の旧車道を柿泊・手熊へ下る。手熊台場、白髭神社、キリシタン墓、アーチ式石橋を見学。手熊バス停で一応解散した。希望者のみ柿泊白浜海岸へ歩く。傘岩、海食洞穴、弁天白浜海水浴場を見てバス停へ出た。浜に打ち上げられた新ワカメが収穫だった。
最後は帰り福田本町の長崎サンセットマリーナ。新パソコンは使い勝手が悪く、切り替えがうまくいかない。サポート終了は8日限り。これは旧に戻して作ったので、報告が遅れた。