長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6243 下関戦争のメタレン・クルイス号の
乗組員 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:6243 下関戦争のメタレン・クルイス号の乗組員
目録番号:6244 下関戦争のジャンビ号の乗組員
■ 確認結果
目録番号:6243「下関戦争のメタレン・クルイス号の乗組員」、目録番号:6244「下関戦争のジャンビ号の乗組員」は、朝日新聞長崎地域版2010年7月24日【長崎 今昔】に掲載があった。
” asahi.com マイタウン長崎 ”による記事は次のとおり。
1864年5月長崎に寄港した際、アルベルト・ボードインが、両号の士官らを出島で撮影したらしい。〔撮影者:A.F.ボードイン〕、〔撮影地域:長崎〕となろう。
【長崎 今昔】 海舟と会談の艦長か 2010年07月24日
オランダ海軍のメタレン・クルイス号(左)とドゥジャンビ号の士官ら(右)=長崎大学付属図書館提供
《オランダ海軍士官の記念写真》
オランダ海軍の軍艦メタレン・クルイス号(左)とドゥジャンビ号(右)の乗組員の軍服正装での記念写真です。下関戦争(新暦1864年9月)が始まる4カ月前、準備のため長崎に寄港した際に撮影しています。ボードイン・コレクションに入っています。光を散らすため背後に白い屏風が立てられています。撮影者はアルベルト・ボードイン、場所は出島と思われます。
記録によれば艦の大きさは各2100トン、乗組員数は240人でしたので、写されているのは士官だけです。袖章や襟章からもそれが分かります。左の写真で袖口が丸に4本線なのはオランダ海軍大佐のドゥマン艦長です。手にするカップは戦功の証し、巻かれた旗は艦旗でしょうか。右の写真前列でステッキを持ち、袖口が丸に3本線の海軍中佐はリース艦長とみられます。右端の日本人女性は給仕のようです。
このとき出島に住んでいた長崎領事のアルベルトは、4月18日の日記に「2週間後にポルスブルック総領事を乗せたジャンビ号が入港する予定です。またメデュサ号と交代するメタレン・クルイス号も来港します。士官一同の宿舎や夕食の手配は結構できるでしょう」と書いています。
幕府の軍艦奉行をしていた勝海舟はこのとき坂本龍馬を伴い、外国の軍艦が長州を攻撃しないように交渉するため長崎に滞在していました。海舟は5月1日の日記に「立山にて、蘭将、並びにコンシュル、ポルスビュルクへ逢接(おうせつ)。下関戦争の事を止(と)む」(『海舟日記』)と書いています。
つまり横浜からドゥジャンビ号に乗って長崎に着いたばかりのオランダ総領事ポルスブルックは、すぐに海舟との会談に臨んだということです。そのとき同席した「蘭将」が、ドゥマン艦長だったと思われます。
(長崎大学環境科学部教授 姫野順一)