長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3416 母子と乳母
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:3416 母子と乳母
〔画像解説〕
左の乳母(めのと)らしい女性は上半身裸。幕末に来日した外国人が、日本の女性が人前で平気で裸になることに驚いているが、明治になっても変わらないようだ。日本の風俗をスタジオで撮影したお土産写真か。二つ並んだこの写真は、ステレオスコープで立体画像を見るためのステレオ写真である。
■ 確認結果
目録番号:3416「母子と乳母」は、朝日新聞長崎地域版2010年9月11日【長崎 今昔】に掲載があった。” asahi.com マイタウン長崎 ”による記事は次のとおり。
1860年春に長崎を訪問したスイス人写真家ピエール・ロシエが出島内部で撮影した。〔撮影者:ピエール・ロシエ〕、〔撮影地域:長崎〕、〔年代:1860年〕となる。
【長崎 今昔】 開港期の生活を描く 2010年09月11日
オランダ商人カール・J・テキストルの妻子と乳母=長崎大学付属図書館提供
《オランダ商人妻子と乳母》
出島のオランダ商人、カール・J・テキストルの日本人妻「マサナギ・ナオ」親子と、乳母のステレオ写真です。ナオが抱いているのは、テキストルとの間に1859年に生まれた長女カロリーナ・マリアです。60年春に長崎を訪問したスイス人写真家ピエール・ロシエが出島内部で撮影し、ロンドンのネグレッティ・アンド・ザンブラ社から開国直後の「日本の風景」として販売された1枚です。シリーズには「出島の娘」と題されたナオの単身写真もあります。
テキストルは06年にドイツのボッケンハイムで生まれました。43〜45年に出島商館で補助官を務めた後、一時帰国。57年に再来日し、出島商館で2等補助官として商館長ドンケル・クルチウスの秘書を務めました。ナオとは58年ごろに結婚したようです。59年に退職し、同僚のポルスブルックとともにテキストル商会を設立しています。オランダの古写真研究家ヘルマン・ムースハルトの著書「日本における医師と商人」はテキストルの子どもたちとして、マリアと61年に生まれたソフィア、62年に生まれたカール・ジュリウス・ジュニアの3人の写真を紹介しています。
59年7月にジャワから長崎にやって来たポルスブルックの日記には、出島の湾曲した海側、弁務官の大きな家の並びにある6世帯用アパートに、テキストルらが住んでいたと書かれています。
開港期の日本人女性とオランダ商人との交流、出島の生活の一側面を描き出す写真として貴重です。
(長崎大学環境科学部教授 姫野順一)