長崎学さるく行事ほか」カテゴリーアーカイブ

伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回  2016年2月 ( 長崎県 )

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伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回  2016年2月

伊能忠敬は、文化10年8月19日から9月19日までの1か月に亘って長崎やその周辺を測量しているが、今日、長崎に於いて伊能の足跡を記す史料は極めて乏しい。僅かに『長崎志続編(続長崎実録大成)』に「8月19日、測量御用の為に、天文方高橋作左衛門手附伊能勘解由着。旅宿炉粕町大同庵。9月18日当地出立す」とあるのみである。
…そこで、伊能忠敬の測量日記、遠山景普日記、長崎オランダ商館日記(五)などをもとに、伊能の測量隊が長崎に到着し滞在していた頃の長崎の様子を明かにし、その理由を考察してみることにする。…

2016年2月20日(土)、長崎街道ネットワークの会主催により”伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回(沿海)”が実施された。元伊能忠敬研究会入江正利氏とみさき道歩会の共催。
午前10時にJR長崎駅かもめ広場に集合、日記等から追跡図のとおり要所を訪ね、新地町市民病院前(運上所跡)で解散した。参加35人。参加料各回1000円は、資料代と伊能顕彰碑に充てる。
1月23日(土)に実施した第1回(市中)、桜馬場天満宮から炉粕町大同庵跡(現立正佼成会長崎教会の地)までの状況は、次を参照。  https://misakimichi.com/archives/5074

前記は、講師の長崎街道ネットワークの会会長江越弘人先生稿「伊能忠敬の長崎測量と長崎奉行」から主旨のみ抜粋。詳しい資料と説明は省き、実施状況を写真によって報告する。
後ろの3枚は、私が帰りに寄った新地湊公園”長崎ランタンフェスティバル”会場の様子。

この項は、本ブログ次なども参照。長崎市観光政策課からは新年度予算がつけば、同地にさるく説明板を設置したいとの回答はあっている。
伊能忠敬長崎測量の止宿は、諏訪神社下の地
https://misakimichi.com/archives/4394
伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡などの碑  杵築市杵築
https://misakimichi.com/archives/4909
伊能忠敬の足跡伝承 熱海・伊豆山の老舗旅館に標柱新設  静岡新聞NEWS(2015/12/2)
http://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/175572.html

伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第1回  2016年1月 ( 長崎県 )

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伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第1回  2016年1月

伊能忠敬は、文化10年8月19日から9月19日までの1か月に亘って長崎やその周辺を測量しているが、今日、長崎に於いて伊能の足跡を記す史料は極めて乏しい。僅かに『長崎志続編(続長崎実録大成)』に「8月19日、測量御用の為に、天文方高橋作左衛門手附伊能勘解由着。旅宿炉粕町大同庵。9月18日当地出立す」とあるのみである。
…そこで、伊能忠敬の測量日記、遠山景普日記、長崎オランダ商館日記(五)などをもとに、伊能の測量隊が長崎に到着し滞在していた頃の長崎の様子を明かにし、その理由を考察してみることにする。…

2016年1月23日(土)、長崎街道ネットワークの会主催により”伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第1回(市中)”が実施された。元伊能忠敬研究会入江正利氏とみさき道歩会の共催。
午前10時に桜馬場天満宮に集合、日記等から追跡図のとおり要所を訪ね、炉粕町大同庵跡(現立正佼成会長崎教会の地)で解散した。参加48人。参加料各回1000円は、資料代と伊能顕彰碑に充てる。
第2回は、2月20日(土)、長崎駅カモメ広場に集合、新地湊公園まで歩くが、すでに申し込みは定員に達している。

前記は、講師の長崎街道ネットワークの会会長江越弘人先生稿「伊能忠敬の長崎測量と長崎奉行」から主旨のみ抜粋。詳しい資料と説明は省き、実施状況を写真によって報告する。今回の様子は、KTN1月23日午後5時55分からの県内ニュースで報道された。

この項は、本ブログ次なども参照。長崎市観光政策課からは新年度予算がつけば、同地にさるく説明板を設置したいとの回答はあっている。
伊能忠敬長崎測量の止宿は、諏訪神社下の地
https://misakimichi.com/archives/4394
伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡などの碑  杵築市杵築
https://misakimichi.com/archives/4909
伊能忠敬の足跡伝承 熱海・伊豆山の老舗旅館に標柱新設  静岡新聞NEWS(2015/12/2)
http://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/175572.html

長崎学さるく“新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)”  平成23年1月

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長崎学さるく“新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)”  平成23年1月

平成23年1月2日(日)快晴。長崎学さるく“新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)”。参加14人。
長崎医学伝習所生、関寛斎「長崎在学日記」の紀行をもとに、文久元年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感する。今回はいつの時期でも歩けるルート、岬木場から遠見山(標高259m)を経て脇岬観音寺へ詣った。
三和行政センター前広場9時40分発ー蚊焼峠−徳道—岬木場サイクリングロード終点12時
35分着(昼食)—殿隠山—遠見山—脇岬小学校尾根—脇岬観音寺15時30分着(徒歩距離
約15km)

毎年恒例のみさき道歩会新春「みさき道」歩き。長崎学さるく行事を兼ねて本年も実施した。長崎は大晦日に12月としては記録的な11cmの積雪があったが、寒気は弱まり今日は快晴。山道の雪は解けていて絶好の山歩き日和となった。「みさき道」の蚊焼峠−徳道間は坦々とした長い尾根歩きコース。中間の休憩ベンチの所から伊王島大橋が見えた。

里程道塚先の畠で落ちた「ゆうこう」の実をゲット。徳道からはサイクリングロードと県道により岬木場先の風力発電風車のある所まで行き、殿隠山・遠見山へ縦走した。遠見山14時30分着。山頂から脇岬や樺島の展望が素晴らしい。堂山峠の予定は変更、脇岬小学校尾根を下って脇岬観音寺へ着いた。正月は4日まで十一面千手観音立像(国重文)と天井絵が見られる。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26926127.html

長崎学さるく”江戸期の「みさき道」1日歩き”  平成22年5月

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長崎学さるく”江戸期の「みさき道」1日歩き”  平成22年5月

平成22年5月16日(快晴)。長崎学さるく”江戸期の「みさき道」1日歩き”。参加30人。長崎医学伝習所生、関寛斎「長崎在学日記」の紀行をもとに、文久元年(1861年)に彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感する。
湊公園7時30分発ー十人町ー二本松ーダイヤランドー土井首ー深堀ー大籠ー三和行政センター12時50分着(昼食)ー蚊焼峠ー徳道ー高浜ー堂山峠ー脇岬観音寺18時20分着(徒歩距離約30km)

江戸時代、行楽を兼ね「みさきの観音」参りで賑わった「みさき道」。長崎市中から脇岬まで七里(約28km)の道。現存する道塚12本のうち10本を訪ねる一日歩き超健脚コースとなった。
大型団地やゴルフ場の造成などにより、一部区間は喪失しているが、約半分は当時の山道が残り、街道の雰囲気を味わえる。
司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」の主な主人公が関寛斎。彼ら3人が旅したのは、新暦で今頃である。五月晴れのさわやかな日となり、「長崎在学日記」の紀行文を検証した。
運動会シーズン。通りがかった長崎市立戸町中学校の早朝の様子。

「みさき道」の概要、地図などは、 https://misakimichi.com/archives/59
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/24766633.html
パソ親父さんのは、   http://blogs.yahoo.co.jp/minami_kita/61574944.html

長崎学さるく”三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり”  平成22年4月

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長崎学さるく”三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり”  平成22年4月

平成22年4月11日(日)曇り。三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり。参加28人。講師は長崎楽会・ゆうこう研究 川上正徳氏ほか。
三重バス停10時発ー西樫山ー三重崎ー天福寺ー樫山公園(昼食)ー三重田ー永田湿地公園ー黒崎ー黒崎中登り口ー夕陽が丘そとめ15時着(徒歩距離約12km)

佐賀藩深堀領の飛び地・三重樫山などに残る藩領石や塚を「大村郷村記」や「くにざかいの碑」の記録により訪れる。また同コースにある“世界のスローフード”に選ばれたゆうこうの古木を見る。
藩境石は、長崎市役所三重支所前(移設)、西樫山の天福寺前(移設)、夕陽が丘そとめ上の稜線の3本。藩境塚は三重崎の高台で2基。ゆうこうの木は黒崎の前伊藤市長の墓上で2本(写真17枚目1本は今回新発見)を見学した。

この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/84
「くにざかいの碑」の記録は、 https://misakimichi.com/archives/337
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/24358166.html
次回学さるくは、5月16日(日)に”江戸期の「みさき道」1日歩き”。 7時30分新地湊公園集合。十人町から脇岬観音寺まで約30kmの超健脚コース。

長崎学さるく”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”  平成22年3月

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長崎学さるく”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”  平成22年3月

平成22年3月14日(日)晴。長崎市南部八郎岳山系寺岳の裏側、橘湾に面する藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり。途中にある石鍋製作所跡、領界目印石、金鉱跡、大ツバキ、石橋架橋碑を見学する。参加30人。
為石バス停9時30分発ー白川稲荷神社ー石鍋製作所跡ー藤田尾古道ー飛瀬領界目印石ー金山金鉱跡ー藤田尾ー大ツバキー千々古道ー千々14時5分着。

三和中学校横の坂を上がり寺岳登山道の途中にある白川稲荷神社へ登る。石鍋製作所跡はこの裏手にある。為石海岸の浜川橋近くまで行って藤田尾古道に入る。昔の道が2kmほど残っている。寺岳を左上に見ながら藤田尾近くで県道34号線と合い、県道を少し戻って飛瀬海岸に降りる。寺岳から下ったこの尾根が御領(茂木村藤田尾)と佐賀藩領(為石村)の境。天保8年(1837)領界争いを解決した目印石(無刻)が2本残っている。

飛瀬よりそのまま海岸の岩場伝いに20分ほど歩いて、字金山の金鉱跡まで行く。海岸の黄色がかった層の岩場の中段に、ポッカリと穴が空いている。坑口は2か所。中で通じ、広場となって5mほど奥へ入れる。金脈に賭けたはかない夢。採鉱は思わしくなかった。
藤田尾へ上がり、長崎市指定天然記念物の大ツバキを見学。樹齢約300年、根回り約2.8m。市内一の大木である。海岸が見える所にもう1本の大木がある。花はまだ付いていた。下の海岸近くの川口にあるのは、かつての石橋架橋記念碑。ゲートボール場で昼食

午後はゲートボール場前から千々古道へ入る。登って行くと、旧県道の道へ出る。桃ハウスがあり、天草灘を望む枇杷畑が多い中の道から、眼下にニッ岳崎が見える。竹林内のカーブが連続する道を下ると、千々先のきれいな浜と岩場に着く。大潮でワカメ採りが多かった。集落まで歩いて、千々14時45分発のバスに十分間に合った。
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23968331.html
次回の学さるくは、4月11日(日)に”三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり”。10時三重バス停集合。

長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(2) 平成22年3月

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長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(2) 平成22年3月

平成22年3月6日(土)曇り。居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり。参加16人。
湊公園9時30分発ー広場場ー館内ー東山手ー大浦天主堂ー南山手レストハウス(昼食)ーグラバー園ー東琴平ー浪の平ー南山手地区町並み保存センター15時着(徒歩距離約8km)

安政6年(1859)の長崎開港により長崎市内に外国人居留地が造られ明治32年まで存続した。大浦・東山手・南山手・浪の平などに残る居留地時代の主な保存洋館群と、居留地境や地番標の標石約80本を訪ねた。講師はさるくガイド西岡悟氏ほか。
各標石の写真と所在地図は、本ブログの「長崎の外国人居留地跡標石」の項を参照。

今回、新たに浪の平のドンドン坂の途中で、南山手「十七番」の地番標が見つかった。アパート入口の三角溝に渡した板石の下に隠れていた。
次回は3月14日(日)に”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”午前9時30分為石バス停集合。
宮さんの参加記事は、  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23858267.html

長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(1) 平成22年3月

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長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(1) 平成22年3月

平成22年3月6日(土)曇り。居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり。参加16人。
湊公園9時30分発ー広場場ー館内ー東山手ー大浦天主堂ー南山手レストハウス(昼食)ーグラバー園ー東琴平ー浪の平ー南山手地区町並み保存センター15時着(徒歩距離約8km)

安政6年(1859)の長崎開港により長崎市内に外国人居留地が造られ明治32年まで存続した。大浦・東山手・南山手・浪の平などに残る居留地時代の主な保存洋館群と、居留地境や地番標の標石約80本を訪ねた。講師はさるくガイド西岡悟氏ほか。
各標石の写真と所在地図は、本ブログの「長崎の外国人居留地跡標石」の項を参照。

今回、新たに浪の平のドンドン坂の途中で、南山手「十七番」の地番標が見つかった。アパート入口の三角溝に渡した板石の下に隠れていた。
次回は3月14日(日)に”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”午前9時30分為石バス停集合。
宮さんの参加記事は、  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23858267.html

長崎学さるく”新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)”   平成22年1月

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長崎学さるく”新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)”   平成22年1月

平成22年1月2日(土)曇り一時小雨。正月恒例の脇岬観音寺まで岬木場経由「みさき道」の初歩き。長崎学さるく行事幕末編で実施。参加スタッフとも27人。
長崎市三和行政センター前9時半発ー蚊焼峠ー徳道ー野母崎ゴルフ場管理事務所(昼食)ー岬木場ー殿隠山ー遠見山ー堂山峠ー脇岬観音寺16時着(徒歩距離約16km)。

元日と違って暖かく天気は良くなった。当日参加が多く27人の多彩な顔ぶれ。初めての人もおり、蚊焼入口から西大道へ戻り道塚2本を見てから出発した。
蚊焼峠から徳道までの山道は坦々とした稜線歩き。今の季節は歩きやすい。水仙畑は咲きかけ、ゆうこうが実っていた。野母崎ゴルフ場管理事務所の構内で昼食。

サイクリング道路を1時間歩いて、岬木場に出る。生目八幡神社前から殿隠山の登リ口までは川原回りみさき道となる。風車近くを通り殿隠山登り口で脇岬へそのまま下るみさき道と分かれ、殿隠山・遠見山へ登って堂山峠へ出た。
脇岬観音寺は、正月は4日まで開帳。本堂の観音像や天上絵を見られる。毎回のコースなので、写真を目新しくした。今回の主役は小さな観音様Kちゃん。小4なのに笑顔で元気に歩いた。

お宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/22998149.html 
のりさんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/11121116.html

次回の学さるくは、3月6日(日)”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”
午前9時30分に新地町「湊公園」集合。

長崎学さるく “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” (2)  平成21年11月

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長崎学さるく “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” (2)  平成21年11月

平成21年11月29日(日)曇り。長崎学さるく幕末編行事 “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” 参加スタッフとも20人。講師は、諌早市郷土館の織田正人先生。
東望道バス停9時半発ー東望陣屋跡ー東望山台場跡ー蛎道台場跡ー戸石地区公民館(昼食)ー飯盛経ヶ岳台場跡ー結の浜(一部解散)ー田結観音寺ー大門バス停15時着(徒歩約10km)

江戸時代、佐賀藩諫早領は異国船来航に備え、橘湾沿岸の警備のため多くの台場を築いた。藩史料からわかっている各台場の配備状況と主な台場跡を訪ねる。
織田先生作成資料は詳しい研究と図があるが、写真説明に必要な部分のみ簡単に載せる。

写真  2〜 11   4 経ヶ岳(経読岳・きょんだけ)台場跡
東望山台場と同じ目的で設置された。幕末の文久年間(1861〜1863)に経ヶ岳台場として設置、その後、慶応3年(1867)に南手に2台場・北手に2台場が設置された。馬蹄形の台座が見られる。

・それぞれの台座の寸法 (経ヶ岳台座の中心軸石の上に乗っている丸石は正体不明)
東 望 山  直径(内径) 360cm  縁石 23.5cm
経 ヶ 岳   直径(内径) 740cm  縁石 33cm 
蛎   道   整理されて原型を留めない  縁石 23cm 

写真 な し       5 田結(高岳)の遠見番所跡
佐賀藩が長崎港の警備を担当した頃より、長崎港出入りの船が、長崎半島の突端椛島が遠望でき見渡せるため、この遠見番所と有喜遠見番所を設置した。

写真 12〜 14   結の浜マリンパーク

写真 15〜 16   補3 田結山観音寺
曹洞宗。本尊は行基作 聖観世音菩薩(諌早市指定有形文化財)。

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html

次回の学さるくは、1月2日(土)に”新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)” 午前9時30分三和行政センター前広場集合。

(追 記 2015年8月22日)
飯盛町池下「経ヶ岳台場・跡」の場所は、追加の地形図+地点あたり。2枚目写真が台場登り口を撮影していると思われる。サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。詳しい文献は、「諫早史談No.40」にあるようです。

経ヶ岳台場・跡 きょうがたけ
諫早市 飯盛町池下 台場(佐賀台場) 内径7.4m(円形台座:300度) 慶応3(1867) 諫早史談40 直径7.4mの円形台座が残る/中心軸受けに丸石(後から置かれた) 肥前・佐嘉藩が領内の東望・牧島・蠣道の3ヶ所に築いた砲台の1つ/円形台座の上に2個2組の「ころ」(現存せず)で支えた「応変台」を置き、中心軸受けに入れた軸(現存せず)の回りに大砲を回転させたとされる→県内では長崎市の「東望山砲台」の倍の大きさ 2 B