月別アーカイブ: 2010年4月

鹿尾尾根から兜岳・八郎岳・熊ヶ峰の一周縦走  平成22年4月

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鹿尾尾根から兜岳・八郎岳・熊ヶ峰の一周縦走  平成22年4月

平成22年4月25日(日)快晴。土井首から八郎岳林道を車で行き、鹿尾尾根から兜岳(標高
462m)・八郎岳(同590m)・熊ヶ峰(同569m)の一周縦走。参加15人。
土井首バス停9時30分発ー車で移動ー鹿尾尾根ー北兜岳ー兜岳ー八郎岳ー熊ヶ峰ー鹿尾河原ー鹿尾林道15時30分着(距離 土井首から徒歩の場合約15km)

一周縦走コースは4年ほど前に私が開発・整備したルート。宮さんの3月あわや遭難話があり、道案内のため会の山行として実施した。八郎岳林道を車で鹿尾尾根の大カーブまで行き、北兜岳・兜岳から八郎岳へ登った。
車を置いた地点はすでに標高300mあり、山深く楽な八郎岳コースとなる。11時50分着昼食。八郎岳は長崎市内の最高峰。快晴で山頂からの見晴らしが良い。

八郎岳を12時30分発。午後は一般の縦走路を熊ヶ峰まで行く。多少アップダウンがあるが、防火帯の歩きやすい道。ワラビ採りをしながら熊ヶ峰へ14時着いた。ここからが本日の本番、一気に鹿尾河原へ下る。
尾根を行くと道がなくなる。途中、展望岩へ寄り道するが、戻って左、左と2ヶ所注意して、えぐられた旧道を下る。やがて沢音が大きく聞こえ、鹿尾ダム上部に当たる本流と支流が合流する鹿尾河原へ出る。鹿尾川遡行に利用する終点の所である。

沢を渡り最後の休憩。対岸の植林地を登って行くと十字路へ出、プレートに従い左の兜岳方面へ少し登ると駐車地の林道へ出る。15時30分着現地解散。鯉流しは鹿尾川河口の三和町公民館前。
宮さんの参加記事は、http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/24519514.html
パソコンの調子不良のため、投稿が遅くなり失礼。まだ少しおかしい。

可愛い? 石材店  西彼杵郡長与町

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可愛い? 石材店  西彼杵郡長与町

長与町中心街に入り、長与川下流へ向かい左側の川岸道路を行く。皆前橋の役場前バス停の少し先、嬉里郷275—1の有川石材店。可愛いゴジラやウルトラマンなどがいた。
4月6日撮影。ネタ切れ。前画像整理中。

釣れた? 釣具店の釣人 (9)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (9)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

3月22日撮影。寅年で虎と思っていたが、タイガースファンの店のようだ。阪神が快進撃、2位浮上。hsnm下町おやじさんのため、やっと大っぴらに写真を出せる。この店も応援してまっせ。
証拠写真は次回に。

長崎の古写真考 目録番号:6196 海からの出島鳥瞰(再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6196 海からの出島鳥瞰(再掲)

朝日新聞長崎地域版きょう2010年4月17日付”長崎今昔 長大写真コレクション”に掲載された「幕末の出島 塀外され建物も一望」。海から眺めた江戸時代最後の出島の姿だそうである。
古写真は、データベース目録番号:6196、タイトル「海からの出島鳥瞰」の作品である。
この項は次を記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2180
私の一般的な疑問は、次のとおりである。この作品は、長崎歴史博物館で開催中の「幕末長崎古写真展」に出展されている。専門的な研究をお願いしたい。

(1) 初期の写真機で、海上の揺れる船から撮影できただろうか。干潟から撮影したとの見解もあるが、外国の大型船が干潟に漕ぎ入れてまで写真を撮る必要があるのか。
(2)右端の写真に写る山は、風頭山の奥に彦山。左端の写真に写る山は、稲佐山の立岩尾根ではないだろうか。中間の山、烽火山・金比羅山が中抜きされていると思われる。
(3)出島のこのような姿は、船上からでなく、梅香崎と大浦海岸から撮影できそうである。「長崎港精図」に赤線で示した2枚を組み合わせた写真ではないだろうか。
(4)つなぎ合わせた中央下部にそれぞれ石柱らしいのが写る。最左端の黒ずみも、写真の汚損ではない。船上からの撮影としたら、こんな物は写らないのではないか。

(2010年4月22日修正)
この作品は、実は朝日新聞社『写真集 ”甦る幕末” オランダに保存されていた800枚の写真から』1986年刊14〜15頁に掲載があった。タイトル及び説明は「長崎・出島。海側から見た」とあるだけである。同写真集を確認しなかった私が悪いが、4月18日に [ satemosatemo2008 ] 様から下のコメントどおり指摘を受けた。

「撮影方法は、カメラの三脚を使用できる小型の漕船(和船か大型船の救命用ボート?)を干潟に漕ぎ入れて固定する。撮影位置は現在の長崎税関付近と推定しています。
背景の山並みは右に英彦山、中央に烽火山、左端は立山付近だと思われます。金比羅山はもっと左に位置し、写っていません」

という見解である。参考のため『甦る幕末』から14〜15頁「長崎・出島」と、22〜23頁「長崎パノラマ」の掲載写真を後ろに載せる。鮮明な大きい写真を目にすると、背景中央のぼんやりした山がはっきり写っており、武功山・烽火山・健山である。左端は諏訪の森と立山付近と確認できた。出島の同じ建物は、撮影方向が違うが、「長崎パノラマ」が写しており、海上の撮影地点を推定する手掛かりとなるだろう。(4)の疑問は更に解明してほしい。

「幕末長崎古写真展 -龍馬と彦馬、維新のまなざし- 」  長崎歴史文化博物館で開催中

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「幕末長崎古写真展 -龍馬と彦馬、維新のまなざし-」 長崎歴史文化博物館で開催中

「幕末長崎古写真展 -龍馬と彦馬、維新のまなざし-」が、長崎歴史文化博物館の3階企画展示室において2010年4月10日(土)から5月31日(月)まで開催中である。
長崎大学附属図書館、江崎べっ甲店などが所蔵する貴重な古写真コレクションを一挙公開。幕末から明治初期の長崎の風景や庶民の暮らし、そして坂本龍馬や上野彦馬をはじめ、歴史にその名を残すことになる人物の写真と関連資料およそ400点を展示している。

4月11日(日)夕方、観覧に行った。観覧料、大人500円。その時代と彼らのまなざしを感じていただける幕末長崎古写真展の決定版らしいが、人物写真が大半で古写真展として企画内容がうなづけない。
興味がある50点くらいの数少ない長崎の風景写真のみ丹念に見た。相変わらず撮影場所や背景など写真解説の疑問と思われるものがある。場内は撮影禁止だったため具体的な指摘はできないが、10点ほど疑問を博物館学芸員へ説明してきた。

長崎歴史文化博物館と長崎大学附属図書館が主催する古写真展である。展示の特に風景写真については、もう少しきちんとした現地確認と研究を行い、公開してほしい。
古写真展パンフレットの表裏は、ズーム拡大。

長崎学さるく”三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり”  平成22年4月

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長崎学さるく”三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり”  平成22年4月

平成22年4月11日(日)曇り。三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり。参加28人。講師は長崎楽会・ゆうこう研究 川上正徳氏ほか。
三重バス停10時発ー西樫山ー三重崎ー天福寺ー樫山公園(昼食)ー三重田ー永田湿地公園ー黒崎ー黒崎中登り口ー夕陽が丘そとめ15時着(徒歩距離約12km)

佐賀藩深堀領の飛び地・三重樫山などに残る藩領石や塚を「大村郷村記」や「くにざかいの碑」の記録により訪れる。また同コースにある“世界のスローフード”に選ばれたゆうこうの古木を見る。
藩境石は、長崎市役所三重支所前(移設)、西樫山の天福寺前(移設)、夕陽が丘そとめ上の稜線の3本。藩境塚は三重崎の高台で2基。ゆうこうの木は黒崎の前伊藤市長の墓上で2本(写真17枚目1本は今回新発見)を見学した。

この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/84
「くにざかいの碑」の記録は、 https://misakimichi.com/archives/337
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/24358166.html
次回学さるくは、5月16日(日)に”江戸期の「みさき道」1日歩き”。 7時30分新地湊公園集合。十人町から脇岬観音寺まで約30kmの超健脚コース。

四郎ケ島台場跡の草刈り整備  長崎市神ノ島町3丁目

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四郎ケ島台場跡の草刈り整備  長崎市神ノ島町3丁目

長崎港口にある四郎ケ島は、江戸時代後期となり佐賀藩が長崎港警備のため、総力をあげて築いた台場跡である。台場として国第一級の史跡にかかわらず、事情があり指定されずにいて荒れ気味である。
佐賀の人が史跡保存にかえって関心があり、このため2年前4月に続き今回も佐賀側から3人が史跡見学を兼ねた草刈りに来崎された。

平成22年4月2日(金)曇り。四郎ケ島の海道入口に10時集合。江越先生からの依頼により長崎側は10人が参加。計13人で12時30分まで草刈りをした。
台場跡の井戸から中央広場へ上がる道及びトンネルを抜け長崎港口の香焼側を向いた大砲の砲口の場所を重点的に実施した。2門の砲口の場所は前面の竹薮を伐ったので、海が見え入港する船などの見通しが良くなった。
他の場所はどうした進展があったのか、直前にどこかの手で大々的な全般の草刈りが行われていて助かった。

当日の草刈り作業の様子は、宮さんのブログ記事を参照。私はデジカメを持参忘れ、携帯により作業後の島内の主な個所を写してきた。 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/24234099.html

長崎港松が枝国際ターミナルビルが完成   松が枝埠頭

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長崎港松が枝国際ターミナルビルが完成  松が枝埠頭

4月6日、長崎港松が枝国際観光埠頭に「レジェンド オブ ザ シーズ 」が入港した時、新しく完成したターミナルビルを見学してきた。屋上は緑地化され、遊歩道が敷かれている。屋上に上がると高い位置から船を見ることができる。
西日本新聞2010年3月27日付記事は次のとおり。

長崎県が長崎港松が枝国際観光船埠頭に整備を進めていた国際旅客船ターミナルビルが完成し3月26日、竣工式があった。第1号として豪華客船「サン・プリンセス」(バミューダ船籍、77、441トン)が入港し、関係者約100人がテープカットで祝った。

ビルは平屋で延べ床面積約2千平方メートル。入管手続きの窓口は国内最多の12ブースが開設でき、窓口手前の通路壁面には長崎の映像を流して旅客を迎える。建物は周囲の景観と調和するよう、斜面状の屋上を緑化し、両端から上れるデザインとなっている。客船寄港時以外はイベントスペースとして県民が利用できる。総事業費は約8億5千万円。…

「レジェンド オブ ザ シーズ」の長崎寄港

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「レジェンド オブ ザ シーズ」の長崎寄港

「レジェンド オブ ザ シーズ」(Legend of the Seas)が4月6日、長崎港松が枝国際観光埠頭に入港していた。16時頃、通りかかり出港まで写した。上海発の日本クルーズか、中国人客が多かった。出港は17時5分頃、鹿児島へ向かったよう。

朝の入港の様子は、女神大橋からの宮さんブログにあり。船の紹介は次のとおり。
http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/24285990.html

Legend of the Seas(レジェンド・オブ・ザ・シーズ)     <wikipedia>より引用
総トン数:69,130t 船客定員:2,706名 乗組員:720名
全長:264.0m 全幅:3.02m 喫水:7.7m 航海速力:24.0ノット
進水:1994年9月4日 竣工:1995年4月28日 初就航年月日:1995年5月1日 船籍:バハマ
レジェンド・オブ・ザ・シーズ級の1番船。
3タイプ6隻建造されたヴィジョン・シリーズと呼ばれる7万総トン級の第1船でもある。1995年4月28日、フランスのアトランティーク造船所で竣工。船価は3億2,500万ドル。
6月よりアラスカクルーズに就航した。2008年よりアジア地域に配船され、日本への来航は2009年4月21日福岡に寄港したのが初。2010年5月からは横浜発のクルーズも実施予定。また、同型の2番船が1996年に建造された。

長崎外の古写真考 目録番号:1435 飯山の橋(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1435 飯山の橋(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1435 飯山の橋(1)    関連作品 目録番号:6323 同(2)
〔画像解説〕
F.ベアトアルバムの写真である。厚木から宮の瀬へ向かう道に架かる飯山の橋である。藁葺き屋根の家や木橋が撮影されている。

■ 確認結果

目録番号:1435「飯山の橋(1)」と、関連作品 目録番号:6323「同(2)」は、ベアトアルバムにある同じ作品。「飯山の橋」とは、具体的にどこだろう。
神奈川県の厚木市HPで、厚木市立郷土資料館が所蔵している写真集をスキャナで複写した「フェリックス・ベアトとその写真集(F・ベアト)」があり、次を参照。
http://www.geocities.jp/hayashidai4jichikai/jichikai/old-photo.htm
厚木市飯山の「庫裡橋」であると解説し、現在の橋の写真と対比させている。