大村郷村記に記す黒崎村出津郷「とひ崎飛地」の藩境石が見つかる
新年早々、友人川上氏からうれしいメールが入った。彼は柚の新種である「ゆうこう」発見のきっかけをつくり、昨年のトリノ大会で「世界のスローフード」に認定された。「ゆうこう」の木の分布とともに、三重・外海地区の佐嘉領飛地藩境石や藩境塚も調査している。
今回、新しく見つかった藩境石は、長崎市西出津町の「とひ崎」という海岸。後日、川上氏から詳しく報告してもらうが、概要のみ知らせておきたい。
国道202号線により出津大橋を渡り「出津教会」と食事処「日浦荘」前を通り、しばらく行くと、道路公園の手前に物産販売所「菜園」がある。
左方に海岸へ下る車道があり、途中の分岐は左へ行くと、村崎宅の前で車道は終る。コンクリート坂道を海岸へ下る。長い防波堤があり、角力灘の大角力・小角力の岩礁が見える。
これより磯伝いに出津側へ300mほど戻る。小さな先端となり、「日浦荘」の建物が見えてくる。ここが「とひ崎」と郷村記に記されている海岸と思われる。
ちょうど物産販売所の高台の下くらいとなる。
沖の先へは岩礁が飛び飛びに浮かんでいる。手前の磯の岩下を探すと、白い石柱が不釣合いに転がっている。寸法は23cm角、高さ80cm。刻字は1面のみ「従是 東大村領 西佐嘉領」。まぎれもない藩境石。
石の存在は、地元の人が前から知っていた。昨年4月、地元の研究家、前外海こども博物館長松川先生に話があり、川上氏は松川先生から本年1月4日、現地へ案内してもらっている。
川上氏からメールが入り、先日、同海岸を訪ねた。波が洗う海岸に、藩境石はよく残っていたものだ。刻面が上向きなのは、同氏らが1月4日写真を写したためらしい。
少し調べてみた。この藩境石のことは、藤野保編「大村郷村記」第六巻(図書刊行会 昭和57年)101頁の黒崎村「當領佐嘉領大境并傍爾石之事」出津郷の中に、次のとおり記している。
とひ崎飛地
一傍爾石文化十酉年(1813)熟談之砌、新規相建、銘書左之通
従是 東大村領 西南佐嘉領 西北大村領
(以下、文政11年(1828)大風により相損、元修復したことも記している)
最後の図絵は、長崎歴史文化博物館蔵「文久二年(1862) 彼杵郡紙津村図」から。「とひ崎」(青線囲み)海岸の位置に凡例とおりの「舫塚」(もやいづか:両藩で建てた藩境石と塚)の記号が表示されている。やはり、昔からこの近くの岩間に建っていたのだ。
平成20年3月の「大村郷村記に記す黒崎村出津郷の藩境石塚の調査」は、次を参照。
https://misakimichi.com/archives/715