三重東樫山の天福寺へ移設されている藩境石
この項は、2007年7月13日記事”大村郷村記の三重東樫山「藩境石塚」の存在を確認”を参照。 https://misakimichi.com/archives/84
「大村郷村記」三重村に記す「櫻の首白眼」に建てられた銘のある大塚「従是 東北大村領 西南佐嘉領」は、東樫山町836番地新道宅前の空き地に放置されていたのを、私たちの調査により判明したのを記事にしているが、この藩境石はその後、地主の希望により2007年11月頃、同宅上部にある天福寺の正門横へ移設されている。
私たちは、郷村記による元々建っていた「櫻の首白眼」に戻すのが、地域の歴史がわかり良いのではないか。天福寺に置けば目立つかも知れないが、これから価値がでる史跡の保存方法としてあまり感心できない。
寺に移すにしても、長崎市三重支所前の藩境石とも連合自治会に相談し、費用をあまりかけずに簡単な説明板を付け、いきさつが良くわかるように考えてほしいと願っていたが、それは叶っていないようである。
天福寺の正門横へ移設されている藩境石を早く見に行かなくてはならないと思っていたが、ついつい遅れていた。先日、川上氏と三重を訪ね確認してきたのが、上の写真である。
なお、4月11日(日)長崎学さるく”三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり”では、天福寺のこの藩境石と、法要がなかったら同寺の秘仏「金のマリア像」を拝見できる。