月別アーカイブ: 2008年9月

小ヶ倉水源池の洪水吐トンネル  長崎市上戸町4丁目

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小ヶ倉水源池の洪水吐トンネル  長崎市上戸町4丁目

長崎市南部の戸町岳の麓、鹿尾川水系鹿尾川にある「小ヶ倉水源池」は、大正15年(1926)完成した。粗石コンクリート重力式ダムで、表面に御影石が張られている重厚な堤体。
完成当時は、日本で堤体が一番高い水道用ダムだった。土木学会の「日本の近代土木遺産〜現存する重要な土木構造物2000選」に選ばれている。
参 照  https://misakimichi.com/archives/1196

ほとんどのダムは堰堤や脇に、洪水の流入に対しダムと貯水池の安全を確保するため、「洪水吐」(こうずいばき)が設けられているが、小ヶ倉水源池は、本来の堰堤とは別のところにも、地形をうまく利用したもう1つの洪水吐トンネルが設けられている。珍しいダムと思われる。

別のところとは、ダム周辺地図のとおり、B地点のダム岸に設けられた洪水吐。尾根下にトンネルや水路を掘って反対側斜面の谷へ水を流す。そうすると湾曲した鹿尾川とまた合流する。もちろん、最初にダムが完成した当時からあったものではない。

昭和57年(1982)7月、未曾有な長崎大水害にダム下周辺の住宅地も見舞われた。治水と新たな水道用水確保のため、下流に昭和62年(1987)「鹿尾ダム」が造られた。
この場所の「洪水吐」は、鹿尾川が大水害に遭った上戸町や新戸町の住宅地を流れるため、ここを避けて直接、鹿尾ダムの上部に流すことによって、きれいな上水道水が鹿尾ダムも得られる。

鹿尾ダムは、長崎県が洪水調整やかんがい用水、水道用水供給を目的として建設した多目的ダム。昭和62年(1987)5月に完成した。
鹿尾ダムにある現地説明板が、「小ヶ倉水源池の洪水吐トンネル」を次のとおり説明していた。

鹿尾川総合開発事業の概要

鹿尾川総合開発事業は、上流にある既設の小ヶ倉ダムに洪水調節容量を確保し、洪水調節を行うため洪水吐トンネルを設置して鹿尾ダムと一帯となって、洪水調節、都市用水の供給及び不特定用水の補給等を目的とするものです。
洪 水 調 節
小ヶ倉ダム地点においては、計画高水流量毎秒110㎥のうち毎秒40㎥の洪水調節を行い、鹿尾ダム地点においては、計画高水流量毎秒270㎥のうち毎秒60㎥の洪水調節を行って、それぞれダム地点下流の水害を防除します。
流水の正常な機能の維持
小ヶ倉ダム及び、鹿尾ダム地点下流の鹿尾川沿岸の維持用水の補給を行う等、流水の正常な機能の維持と増進をはかります。
上水道用水
長崎市に対し、鹿尾ダム地点において上水道用水として1日当たり約7,600㎥の取水を行います。

対馬の風景

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対馬の風景

平成20年9月11日から14日まで対馬へ行く。
万関橋と瀬戸、対州窯、豊の海岸、異国の見える丘、湊浜海水浴場、唐州のセメント細工塀、根緒の前島、久和浦、龍良山、小茂田浜、洲藻浦、厳原出港。
主な史跡・巨樹・石橋などは、前項までを参照。

金石城跡  対馬市厳原町今屋敷

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金石城跡  対馬市厳原町今屋敷

厳原港から国道382号線により厳原の町の中央通りに進み、今屋敷の交差点から左折して対馬市役所の方へ行くと、道先の右に「金石城跡」の復元された櫓門がある。
万松院へ向かうと金石川沿いに城壁が残る。万松院前駐車場から橋を渡って広大な城跡に入ると復元された庭園が見られる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

金石城跡  史跡(国指定)

指定年月日 平成7年3月28日  所在地 下県郡厳原町大字今屋敷670番地1
所有者 厳原町 
金石城は、山を背にした平城で、南側の堀の役目を果たしていた金石川が流れている。築城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵時の出城として築かせた清水山城の天正19年(1591)より古く、享禄元年(1528)とされる。
『宗氏家譜』によると、享禄元年10月に宗氏一族の間で内紛が起き、それまでの屋形が焼失したため、島主の宗将盛が、もと国分寺のあった金石の地に移って、屋形を築いたとされる。
延宝6年(1678)、桟原に屋形が完成し、新たな府城となるまでの150年間、宗家の居城であった。明治24年(1891)に解体されるまで屋形は存在し、文化8年(1811)、朝鮮通信使来朝時には、建物の一部を増築して宿舎に充てている。
現在でも、城壁・城門の壁・庭園の跡等が残っており、中世から近世にかけての貴重な遺構として価値が高い。指定面積は、23,503.53㎡。

金田城跡  対馬市美津島町黒瀬ほか

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金田城跡  対馬市美津島町黒瀬ほか

厳原港から国道382号線により万関橋の方へ向い、手前となる美津島町鶏知交差点から左折して下対馬を一周する県道24号線に入る。
洲藻を過ぎて箕形への下りにかかると、前方に岩峰の鉾ヶ岳と奥に城山(標高275m)が見える。県道右に「金田城跡入口」(城戸)の案内標識があり、この車道を行き止まりの駐車場がある「登山道入口」まで進む。

これから急な道を歩いて「三ノ城戸」まで30分、山頂(旧軍施設跡)までは50分を要する。フェリー便の時間に合わせ「三ノ城戸」までしか行けず、写真はその間で写したもの。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

金田城跡  特別史跡(国指定)

指定年月日 昭和57年3月23日  所在地 下県郡美津島町大字黒瀬ほか
管理団体 美津島町
浅茅湾の南辺にあり、天智天皇の天智6年(667年)11月に築造された対馬国金田城(かなたのき・かねだじょう)の跡である。標高275mの山頂は天然の絶壁で、それに石垣を配した遺構がある。これを起点に、尾根伝いに城壁をめぐらし、三つの谷をかかえる。いわゆる朝鮮式山城の形式をとっている。
この形式は、天智4年(665)8月にできた筑前の大野城(おおのき)、肥前の椽城(きのき)と同一形式である。金田城は、新羅の日本進攻を防ぐ目的で築かれたものである。

太祝詞神社社叢  対馬市美津島町加志

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太祝詞神社社叢  対馬市美津島町加志

厳原港から国道382号線により万関橋の方へ向い、手前となる美津島町鶏知交差点から左折して下対馬を一周する県道24号線に入る。浅茅湾沿いまで出てしばらく行くと、加志トンネルがあり、入口に「加志橋」がある。

橋横が加志集落への入口。左折してこの道に入り集落へ進むと、谷奥に道は続き「太祝詞神社」へ着く。ムクノキやケヤキの大木は、車道側鳥居の左にすぐ見える。
対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。

80 太祝詞神社社叢  (美津島町加志)

境内に美しい板根のムクノキや、下島最大のケヤキがあり、カヤ、タブノキなどの巨木や素晴しい太さと高さをもつ数本のヤブツバキも楽しめる社叢です。
80 太祝詞神社社叢   ムクノキ   幹回り 5.66m  樹高 31m
80 太祝詞神社社叢   ケヤキ    幹回り 5.00m  樹高 27m
80 太祝詞神社社叢   カヤ      幹回り 4.29m  樹高 18m
80 太祝詞神社社叢   タブノキ   幹回り 3.46m  樹高 20m
80 太祝詞神社社叢   ヤブツバキ  幹回り 1.65m  樹高 17m

阿連雷命神社社叢  対馬市厳原町阿連

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阿連雷命神社社叢  対馬市厳原町阿連

下対馬を一周する県道24号線により、石屋根倉庫で有名な厳原町椎根から小茂田を通り、西海岸部を北上すると、次に阿連漁港へ着く。阿連橋を渡って右手の川沿いの道を上流へ行くと、「傳教大師入唐帰国着船之地」の碑があり、その先に「阿連雷命神社」はある。

イチョウやカヤの大木は、社殿へ上がる参道石段の両脇と社殿右奥に立つ。
後ろの2枚の写真は、神社先の川岸で見た川中の工作物?と、枯れている何かの大木。
対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。

88 阿連雷命神社社叢  (厳原町阿連)

阿連川の川畔にあるイチョウやカヤの巨木を含む社叢です。周辺の地域の人の憩いの場となっており、静かな集落と田畑に溶け込んでいます。
88 雷命神社社叢   イチョウ(雄)  幹回り 4.43m  樹高 52m
88 雷命神社社叢   カヤ        幹回り 3.64m  樹高 40m
88 雷命神社社叢   カヤ        幹回り 3.21m  樹高 42m

椎根の石屋根倉庫  対馬市厳原町椎根

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椎根の石屋根倉庫  対馬市厳原町椎根

「椎根」の集落は、厳原港とは島の反対側、西海岸にある。いろいろ行く道があるが、今回は、県道192号線により豆酘瀬に出て、島を一周する県道24号線に入り、西海岸を北上して椎根へ行った。
厳原から直接行くなら、町の中央通り国道382号線を厳原トンネル入口まで行き、左の県道44号線に入り、若田経由で小茂田に出、県道24号線を少し戻ると椎根に着く。

「椎根の石屋根倉庫」は、椎根川に架かった「石屋根橋」の両岸に5棟ほどまとまって見られる。2棟に長崎県の「まちづくり景観資産」の銘板が付いていた。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

椎根の石屋根倉庫  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 昭和52年1月11日  所在地 下県郡厳原町大字椎根字浦原689
所有者 桐谷熊善
石屋根倉庫は、この地方独特のもので・米・麦及び雑穀・衣類・什物と、それぞれ格納する部分が、内部で区画されている。床は高床式となっており、物品の貯蔵に適する。
長方形断面の主柱を平に立てるのは、この地方の特徴の一つで、見込12cmに対し見付46cm平均である。
屋根材が特徴のある大型厚石坂で、島内産の頁岩。石屋根とした理由としては、農民に瓦葺が認められなかった、食糧や貴重品を火災から護る、強風による倒壊を防止するなどが考えられる。主屋から著しく離して建てるのも防火上の配慮からである。
指定の石屋根倉庫は、大正15年完工ではあるが、他が次第に改造あるいは解体されていくなかで古制をよく遺し伝えたものとして貴重である。

椎根の桐谷邸のケヤキ  対馬市厳原町椎根

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椎根の桐谷邸のケヤキ  対馬市厳原町椎根

石屋根倉庫で有名な「椎根」集落は、厳原港とは島の反対側、西海岸にある。いろいろ行く道があるが、今回は豆酘瀬から入った。
厳原港からいったん南下、県道24号線により豆酘方面へ行く。久田トンネルを抜けると、安神の山上に三叉路があり、右上手の豆酘瀬へ向かう県道192号線へ入る。
同県道は山手を越し、鮎もどし公園入口を通って豆酘瀬へ下るので、これからまた島を一周する県道24号線に入る。今度は西海岸を北上して行くと椎根へ出る。

椎根「桐谷邸のケヤキ」は、石屋根倉庫を見に行く時、そのすぐ手前で目にした木。ちゃんと巨木リストに載っていた。桐谷邸の後ろの林にマキの大木も見えた。
対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。
93 桐谷邸のケヤキ    ケヤキ    幹回り 3.88m  樹高 13m

今リストを見て、椎根集落へ入る前、山手へ行くと椎根の「豊和多都美神社」があり、その社叢に万松院の大スギを越す、幹回り7.91m、樹高32mのスギがあることに気づいた。
「厳原町誌」は全然、記してなかったこと。完全な見忘れとなった。誤字か、誤計測か、根元が2本の合体スギと考えられそうだ。

銀山上神社社叢  対馬市厳原町久根田舎

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銀山上神社社叢  対馬市厳原町久根田舎

久根田舎は厳原港とは島の反対側、西はずれにあるので、厳原港からいったん南下、県道24号線により豆酘方面へ行く。久田トンネルを抜けると、安神の山上に三叉路があり、右上手の豆酘瀬へ向かう県道192号線へ入る。
同県道は山手を越し、鮎もどし公園入口を通って豆酘瀬へ下るで、これからまた島を一周する県道24号線に入る。今度は北上して椎根方面へ向かうと、途中の久根田舎に着く。

「銀山上神社」は集落の北はずれにあるので、集落内はそのまま通過。県道沿い右の大きな「御所橋」に出たところで、この橋を渡ると神社へ着く。
鳥居をくぐると苔むした参道があり、わが町の大樹「大スギ」の手前に一見、煉瓦造のアーチ石橋があったが、下を覗くと板石の桁橋だった。石橋の項を参照。
対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。

106 銀山上神社社叢  (厳原町久根田舎)

苔むした参道と参道右側のカゴノキやスギの巨木が美しい。また、社殿奥にはスタジイの巨木があり、ゲンジボタルが多く棲む清流も流れています。
106 銀山上神社社叢   ス  ギ     幹回り 4.37m  樹高 44m
106 銀山上神社社叢   スタジイ    幹回り 4.30m  樹高 28m
106 銀山上神社社叢   カゴノキ    幹回り 3.09m  樹高 28m

鮎もどし自然公園と滝  対馬市厳原町内山

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鮎もどし自然公園と滝  対馬市厳原町内山

厳原港から南下、県道24号線により豆酘方面へ行く。久田トンネルを抜けると、安神の山上に三叉路があり、右上手の豆酘瀬へ向かう県道192号線へ入る。
同県道は山手を越し、豆酘瀬へ下っていくが、その途中に「鮎もどし自然公園」の入口があり、駐車場と吊り橋がある。滝はまだ下流にある。

公園入口の吊り橋を渡って、上部の「龍良山自然公園センター」まで行くと、駐車場の外から未舗装の林道を通り、「龍良山登山入口」から龍良山山頂(標高558.5m)へ約2時間で登山できる。途中の龍良山原始林の板根スタジイ巨樹までは約30分である。
社団法人長崎県観光連盟HP「ながさき修学旅行ナビ」による説明は次のとおり。

鮎もどし自然公園

鮎もどし自然公園 自然体験 対馬エリア/ 清流のそばの公園で楽しく体を動かそう
対馬市厳原町のほぼ中心に位置し、対馬の最高峰矢立山(648.5m)と原始林に覆われた龍良山に狭まれた内山盆地にあり、中央を流れる清流瀬川沿いに整備された自然豊かな公園。
盆地内を西に向かって流れる瀬川は、川全体が天然の花崗岩からできた1枚岩で覆われ、全国でも珍しい景観をつくり出している。
その他、26haを整備した公園内には、スポーツスライダー、パットゴルフ、ソリスキーなどの遊具やキャンプ場などがあり、自然を思いっきり満喫して楽しく過ごせる。