金石城跡 対馬市厳原町今屋敷
厳原港から国道382号線により厳原の町の中央通りに進み、今屋敷の交差点から左折して対馬市役所の方へ行くと、道先の右に「金石城跡」の復元された櫓門がある。
万松院へ向かうと金石川沿いに城壁が残る。万松院前駐車場から橋を渡って広大な城跡に入ると復元された庭園が見られる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
金石城跡 史跡(国指定)
指定年月日 平成7年3月28日 所在地 下県郡厳原町大字今屋敷670番地1
所有者 厳原町
金石城は、山を背にした平城で、南側の堀の役目を果たしていた金石川が流れている。築城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵時の出城として築かせた清水山城の天正19年(1591)より古く、享禄元年(1528)とされる。
『宗氏家譜』によると、享禄元年10月に宗氏一族の間で内紛が起き、それまでの屋形が焼失したため、島主の宗将盛が、もと国分寺のあった金石の地に移って、屋形を築いたとされる。
延宝6年(1678)、桟原に屋形が完成し、新たな府城となるまでの150年間、宗家の居城であった。明治24年(1891)に解体されるまで屋形は存在し、文化8年(1811)、朝鮮通信使来朝時には、建物の一部を増築して宿舎に充てている。
現在でも、城壁・城門の壁・庭園の跡等が残っており、中世から近世にかけての貴重な遺構として価値が高い。指定面積は、23,503.53㎡。