金田城跡  対馬市美津島町黒瀬ほか

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

金田城跡  対馬市美津島町黒瀬ほか

厳原港から国道382号線により万関橋の方へ向い、手前となる美津島町鶏知交差点から左折して下対馬を一周する県道24号線に入る。
洲藻を過ぎて箕形への下りにかかると、前方に岩峰の鉾ヶ岳と奥に城山(標高275m)が見える。県道右に「金田城跡入口」(城戸)の案内標識があり、この車道を行き止まりの駐車場がある「登山道入口」まで進む。

これから急な道を歩いて「三ノ城戸」まで30分、山頂(旧軍施設跡)までは50分を要する。フェリー便の時間に合わせ「三ノ城戸」までしか行けず、写真はその間で写したもの。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

金田城跡  特別史跡(国指定)

指定年月日 昭和57年3月23日  所在地 下県郡美津島町大字黒瀬ほか
管理団体 美津島町
浅茅湾の南辺にあり、天智天皇の天智6年(667年)11月に築造された対馬国金田城(かなたのき・かねだじょう)の跡である。標高275mの山頂は天然の絶壁で、それに石垣を配した遺構がある。これを起点に、尾根伝いに城壁をめぐらし、三つの谷をかかえる。いわゆる朝鮮式山城の形式をとっている。
この形式は、天智4年(665)8月にできた筑前の大野城(おおのき)、肥前の椽城(きのき)と同一形式である。金田城は、新羅の日本進攻を防ぐ目的で築かれたものである。