月別アーカイブ: 2008年1月

大村市中里のカキノキ  大村市中里町

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大村市中里のカキノキ  大村市中里町

国道34号線が鈴田峠を過ぎ、長崎高速道の高い陸橋下をくぐるやや手前、鈴田交差点から左へ入る。JR大村線ガード下を通り、まっすぐ進むと大神宮がある。この道は長崎街道の道。ずっと案内標識がある。街道がやがて右へ折れ、坂道を上がると数軒の集落がある。

大カキノキは、この集落の右かなり後方奥、高速道を向いた斜面地の畑地にある。朝永畳店の上道から歩いて行くが、少しわかりにくい。軽自動車なら畳店のすぐ先の家の石垣に「中里町」の住居表示板があり、ここから右へ家や牛舎の間の急な農道を登って行く。上で下からの道と合ったら下へ下って行くと、大カーブの畑地に大カキノキが見える。
農道を戻ってそのまま登ると、長崎街道の道と再び合う。

Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。同氏が最近見つけられた木。昨年12月16日にHPを更新されていた。位置図はHPにある。
畳店で聞くと、ここは同集落の田中宅の前の屋敷が、50年くらい前まであった。カキノキはこのため残ったのではないだろうか。屋敷跡には地蔵と別のカキノキもあった。
最後の写真は、途中の大神宮において石段を上から。

大カキノキ

大村市中里町の斜面の畑の隅にある。主幹は途中で折れて、そこから枝がでていて、実をつけている。幹には洞がある。樹高は7〜8mほどで高くはないが、四方に枝を広げた樹形はいい。幹周りは2.2m。
カキノキの巨木をネットで調べたら、
幹周り4.4m  市指定(樹齢300年以上)
幹周り3.2m  町指定(500年)
幹周り2.4m  ………(370年)
幹周り2.3m  県指定(260年)
幹周り2.0m  市指定(260年)
幹周り1.8m  市指定( 不明 )がある。
このカキノキは巨木と言えそうだ。樹齢は250年ほど…か。

明教寺のイチョウ  諌早市下大渡野町  

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明教寺のイチョウ  諌早市下大渡野町

国道34号線の鈴田峠の手前、諌早市本野入口交差点から右へ入る。この道は富川渓谷へ行く。JR大村線の踏み切りを渡り、しばらく行くと左山手に明教寺と大イチョウがすぐ見える。
JAガソリンスタンドの真上となる。左隣は年神社で、ここにもかなり大きいクロガネモチやクスノキがあった。
最後の写真は、平成20年10月14日に写した葉をつけたイチョウ。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

明教寺の大イチョウ

諫早市上大渡野町にある。幹周り5.17m。樹高15m。諫早市の名木のひとつ。道路の両側は斜面になっていて、斜面の途中に寺があり、イチョウは町を見下ろすようにそびえていて、遠くからでも目立つ。

長崎市西山川に残るアーチ石橋  中島川上流の川

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長崎市西山川に残るアーチ石橋  中島川上流の川

長崎市の中島川石橋群はよく知られている。これは桃渓橋から上流の西山川に残っているアーチ石橋。新大工入口から西山ダム上の仁田口にかけての4橋。(馬町交差点にある「鎮西橋」は、後項)
木場入口から西山ダム河川公園へ行くとき、アーチ橋が木場入口分岐の県道下とその先に西山町1号橋があるが、この橋は最近のコンクリート橋である。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。同HPも参照のこと。

写真 1  第 27 番  大 手 橋    長崎市新大工町入口
慶安3(1650)年  長さ12.5m  幅員4.5m(現在は拡幅)
上からは、ここが橋であることさえ忘れてしまいそう。
寛永6年27歳で渡来した唐通事の高一覧の私財と募った浄財で架橋された。高一覧は後に桶屋町の一覧橋も架橋したという。
親柱が、暫らくは付近にあったが、無くなってしまったと聞いていたが、電車通りの向うの曹洞宗光雲寺の門柱になっていると聞いて見に行ってきた。残念ながら文字は確認できなかった。
ばってん亀さんのご好意で昭和8年8月12日撮影の大手橋の写真をお借りしました。当サイトでは50%に縮小して掲載しています。
大手橋は昭和7(1982)年ころ、交通に不便ということで、それまでの階段付きの上部を車が通れるように改造されたので、上部がフラットになってガードレールとでも言いたくなるような白い手すりが付いていることがわかる。これまでの大水害でも崩落することもなかったが、昭和57(1982 )年の大水害の災害復旧の河川改修工事に伴い、現在の橋の上部は改修されたが、ア-チ部分は建設当時のまま残っている。

写真 2  第 50 番  拱(こまねき)橋  長崎市西山 
明治36年       長さ17.3m  幅員9.4m
長崎大学経済学部正門に架かる橋。中島川の支流、西山川に架かる。緩やかなアーチと丁寧に加工された部材。要石には他の枠石とは異なる加工がされている。
「拱橋」は、平成19年(2007)12月、文化庁の登録有形文化財となった。現地説明板は次のとおり。
拱(こまねき)橋 (旧長崎高商拱橋)

石造単アーチ橋、橋長17m、幅員9.1m
長崎大学経済学部の前身である長崎高等商業高校は西山川左岸東側に造成されたため、西山川を横断して道路と接続すべく明治36年(1903)11月30日に拱橋が架設された。高商設立当時の構造物である。拱橋上流には明治39年(1906)に西山橋。大正13年(1924)に片淵橋、すぐ下流には矢場下橋(大正13年)が建設されたが、すべてコンクリート橋である。
トラス形式の鉄製橋梁では学校正門前の橋梁には相応しくないため、上部空間が開かれた上路式アーチ橋が選ばれたと考えられる。石材の表面は細かく加工され、日本の石造橋が持つ土着性から離れた、端正な近代的設計がなされた石橋である。

途中の写真2枚は、木場入口分岐県道下と西山町1号橋の最近アーチ橋

写真 3  第 81 番  高 麗 橋      長崎市西山ダム河川公園
承応元(1652)年に中島川上部の伊勢町に架橋されたのが最初。長さ 15.5m 幅員 4.8m
河川公園を散策できる、西山のご近所の方がうらやましい。
慶応2(1866)年に拡幅改架され、昭和57年7月の大水害後の河川改修により昭和60年に解体し平成5年3月に現在地に移築。

写真 4  第 99 番  西山無名橋     長崎市西山の貯水池上流
大正7年ごろ      長さ 約7.0m 幅員 約3.0m
仁田口バス停から右へ入る。東洋商会のまえ。西山貯水池上流。
下流側はコンクリートで囲まれてアーチ橋とは見えない。僅かに上流側からわかるだけの状態。

西山ダム河川公園に移築復元されている高麗橋  長崎市西山4丁目・木場町 

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西山ダム河川公園に移築復元されている高麗橋  長崎市西山4丁目・木場町

長崎市東部。国道34号線の諏訪神社前から長崎バイパス西山トンネルへ行く県道に入る。バイパス道と分岐する木場入口交差点から左折。バイパス道の下を通り、西山ダムの堰堤下に行くと河川公園がある。
高麗橋の石橋は、もと中島川の伊勢の宮前に架かっていた。大水害後の河川改修のため解体し、平成5年に西山ダム河川公園に移築復元されている。長さ15.5m、幅員4.8m 。
現地説明板は次のとおり。
高 麗 橋

この橋は、もと、中島川上流部の伊勢町、八幡町間に架けられていた石造アーチ橋である。承応元年(1652年)明国人によって創架されたと伝え、慶応2年(1866年)に拡幅改架された。昭和57年7月の大水害後の河川改修のため、昭和60年に解体し、平成5年3月、現在地に移築復元した。移築にあたっては、アーチ石等の主要部は旧材を用いたが、川幅が広がったため端部には石材を補足し、また失われていた高欄も復旧した。

河内神社のムクノキ   長崎市芒塚町

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河内神社のムクノキ   長崎市芒塚町

国道34号線の網場道バス停から日見へ入る。右方谷沿いに日見峠へ上がる車道(旧長崎街道)があり、5分ほど行くと右手に河内神社の鳥居がある。
ムクノキの大木が、入口ほか境内に5本ある。境内は駐車場となり、左側に新しい2階建の芒塚公民館が建っている。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

河内神社のムクノキ

河内神社は日見新道沿の芒塚公民館近くにある。山門入口の道路傍にそびえている。根元の幹は板根になって、幹周り3mはある巨木。境内にはムクノキの大木が数本見られた。

住吉神社のクスノキ  長崎市住吉町

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住吉神社のクスノキ  長崎市住吉町

長崎市北部の住吉商店街の奥にある住吉神社。住吉電停で下車。商店街の中を通り住吉中央公園の方へ行く。この通りが参道口で石段を登る。
高台の神社は、爆心地から北2.1kmのところ。石段下の鳥居と狛犬だけ残り、狛犬は左足が欠けている。現在の社殿は平成3年再建。

神木のクスノキは境内広場にある。根元はこぶと小さな空洞があり、大きく見えるが、目通りでは幹周り3.8m、樹高15mほど。被爆の状況は調べてない。
社殿右の空き地に、不思議な大石が祀られかけられていた。

渕神社のクスノキ  長崎市渕町

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渕神社のクスノキ  長崎市渕町

稲佐山ロープウェイの麓の駅が渕神社。JR長崎駅前から稲佐橋を渡るとすぐである。境内にかなり大きなクスノキがある。社務所横のが一番大きいようだ。幹周り4.5m、樹高15m位。このクラスが6本ほど見られた。原爆落下中心地に近く、説明板の古写真に木が倒れている様子があった。いずれも被爆クスノキと思われる。

長崎港の対岸地区の歴史ある神社。大石燈籠は、昔は神社前の海中に建てられていたと絵図がある。

野母権現山のクチナシと社叢  長崎市野母町  

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野母権現山のクチナシと社叢  長崎市野母町

長崎半島最南端の野母権現山。標高198m。大海原が広がる展望台と椿公園は有名。展望台手前に日山神社がある。
野母崎町「野母崎町郷土誌」昭和48年刊35頁に、外山三郎氏が町にある「巨樹」を記しており、次のとおり「権現山のクチナシ」を紹介していた。

○権現山のクチナシ
権現山の日吉(日山が正)神社の社叢中に1本のクチナシがある。10年前の観察であるが今もあるであろう。地上60cmの幹囲が110cm、その直上が、まわり80cmずつの二大幹枝に分かれ、そのうえは、それぞれ数本の枝に分かれている。高さはおよそ8cm、おそらく日本一のクチナシの巨樹であろう。

書かれていることがよくわからない。高さ「8cm」は誤字で「8m」?だろうか。クチナシは常緑低木。だいたい大木でも3mどまり。日本一の巨樹らしいから、野母権現山の日山神社へ見つけに行った。
1月でもクチナシは、赤黄色の実が残って着けているのがある。何とかわかろうかと出かけたのだが、もう30年以上経過している。木はまったく見あたらなかった。
そこで、「野母崎郷土誌 改訂版」昭和61年刊を念のため調べた。同じ内容の「巨樹」の項はあるが、「権現山のクチナシ」は削除され記されてなかった。枯れて絶えたか。しかし、一度目にかかりたかった謎の巨樹である。

ところで、この日山神社社叢にはまた別の樹種の大木がある。外山三郎氏は同郷土誌の昭和48年版・昭和61年改訂版とも、「森林の植物」の中に次のとおり記されている。

○野母権現山
権現山は権現山地塊の最高峰で高さ198m,山頂には日山社がある。このお宮は戦中戦後、いろいろな事情で荒廃していたが、近年りっぱに社殿ができ復旧した。軍のこしらえた道路もあって頂上まで楽に登れる。山上のながめも美しく、また適当な休み場もあって将来は観光客などが登山を楽しむようになるであろう。最近、公園計画があるというが、自然の荒廃をおそれる。
幸にして神社付近にかなり広い樹叢が残っている。その主な樹木はスタジイ(目通り約2m)・イスノキ(2.5m)・シマクロギ(2.5m)・マサキ・ヤブツバキ・カクレミノ・ホルトノキ・クスドイゲ・ハマクサギ・アオモジなどでかなり大きいものもある。…
場合によっては天然記念物に指定して社叢全体を保護するのが適当とも考えられる。まず町で指定してはどうか。

歳月が経過した。社叢にはかなりの大木がある。倒木も多い。外山氏が記したスタジイなどの木が今どれかわからないから、大きな木を写してきた。社叢全体の中まで入って探してはいない。専門の方が調査してほしい。

坂上のムクノキ  南島原市北有馬町乙

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坂上のムクノキ  南島原市北有馬町乙

県道30号線は、諏訪の池南のガソリンスタンドから北有馬へ下る。カーブが連続するところに島鉄坂上バスがあり、傾斜面に水道施設がある。これから左方へ上がる車道があり、この道を行くと原山ドルメンへ出る。
ちょうどその中間くらい。坂下川上流の橋を渡った3叉路角の民家の石垣に生えている大木を通りかかって見かけた。ムクノキとシイの2本が根元からくっついて生えているようでもあり、何とも言えないがとにかく大木に見える。このあたりで目立つ木である。

深堀城山の史跡めぐり  平成20年1月

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深堀城山の史跡めぐり  平成20年1月

平成20年1月27日(日)曇のち晴。長崎市南部の深堀城山(じょうやま 標高350m)へ登る。中世山城の遺構など見られる。
江川運動公園9時30分集合。参加16人。鶴洋高校前から江川尾根を上がり、愛宕神社跡11時着。展望がよく経ケ岳まで見えた。東城塁など山城跡を一周。城山山頂11時30分着昼食。

午後は少し下り亀石と柱状節理の俵石を見て、ルルドのある善長カトリック教会へ。山奥のキリシタンの里。この教会は苦難の歴史がある。集落の横道を行き、山腹の菩提寺六代和尚の座禅石と脇の大タブノキを確認。善長お水方の水場も見る。
後は一の鳥居へ一気に下り、菩提寺前14時着。ここで一応解散とした。9,000歩位歩いた。