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専念寺のラカンマキ  南島原市有家町山川

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専念寺のラカンマキ  南島原市有家町山川

南島原市有家町の専念寺は、国道251号線有家交差点から入る。島鉄有家駅・南島原市有家総合支所前など通り、2つ目の信号機がある4叉路を右方へ曲がるとまもなく寺に着く。平成7年に全国一の指定を受けたらしいが、そんな巨樹と感じられない。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

有家町・専念寺のラカンマキ

樹高13m、幹周り4.22mあり、樹齢350年ほどらしい。二本に枝分れしているように見えるが、二本の寄せ植えとある。ラカンマキとしては、類を見ない巨樹で、平成7年に、全国一の指定を受けた。
案内板によると、島原の乱(1638年)後、人心鎮撫のため1645年に大谷山千年寺を復興し、藩主忠房がこのラカンマキを本堂前に植えたとある。
幹周りでは専念寺のラカンマキが大きいが、くっついた二本であり、樹齢360年なので、長崎市古賀町の樹齢600年のラカンマキが日本一である。

(追 記 平成20年3月3日)
専念寺のラカンマキについて、有家町在住リンデン氏HP「スウガクとくガウス」がプルフィール中の「島原半島の写真」で、次のとおり貴重な記事と写真を掲載されていた。この木は、2004年の台風により片方の1本が折れたのである。そのため、現在の残っている幹は、幹を包み添え木で手当てし、幹周りは小さくなっているようである。
折れた直後の貴重な写真であるため、借用し掲載しておきたい。記事は次である。

【有家町の専念寺のマキ(槇)の木】
2004年の台風で半分に折れ、現在は添え木つきですが元気になっています。
上の写真は 2006年4月に撮影、下の写真は2004年の折れたときの様子です。それまでは、この種のマキの木では大きさでは日本一のマキの木の巨木だったのですが…。

八幡宮のスタジイ  南島原市北有馬町乙

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八幡宮のスタジイ  南島原市北有馬町乙

南島原市北有馬町の八幡宮は、諏訪の池から北有馬へ県道30号線を下ると北有馬幼稚園や歴史民俗博物館の建物があり、その先に鳥居が車道の左上と右下に見える。元平橋石橋の案内標識がある近くである。石段の急な神社。社の右奥にスタジイがある。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

スタジイの巨木

北有馬町坂上下名の八満宮にある。社の右手に斜めになったスタジイがある。幹周り4.5mほどはある。幹の途中から二つに分かれていて、それぞれの幹の上部は台風で折れたのだろうか、そこから、いくつかの枝が伸びている。
細いしめ縄が張られていて、神木である。

北・南有馬町に残るアーチ石橋  (2)  南島原市北有馬町・南有馬町

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北・南有馬町に残るアーチ石橋 (2)  南島原市北有馬町・南有馬町

南島原市北有馬町・南有馬町に残るアーチ石橋は、11橋である。このうちの(2)。
ここも石橋の宝庫である。諏訪の池から北有馬へ下る県道30号線から少し入ると見学できる。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。同HPも参照。

写真 7  第 43 番  荒 田 橋    北有馬町坂上下名下田中
明治末期       長さ 13.0m  幅員 2.5m
有馬川にの支流、三八川上流。荒田バス停から入る。
田中橋を訪ねて、諏訪の池から県道30号線を北有馬に向かっていたら、田中公民館の先の荒田バス停の先を、なんとなくカンが働いて入ってみた。偶然であったアーチ橋。名前が判らないので「荒田橋」としてみた。
アーチ部分は小さく、側面は石垣のように積み上げている。比較的新しい橋のように感じる。山口祐造氏の著書で名前と架橋年代が判明した。

写真 8  第 40 番  ショウベ川橋   北有馬町折木名折木(堤下)
明治期        長さ 15.0m  幅員 1.8m
堤のホテイアオイの花に誘われて、ふと下流を見て気が付いた橋。有馬川の支流坂山川に架かる。
面無橋ほどではないが、この橋も丸石が多用されている。植物で見えないが…。付近の景観ともマッチした良い橋だ。

写真 9  第 64 番  上長平谷橋    北有馬町折木名長平谷(堤上) 
明治末期       長さ 6.8m   幅員 3.0m
ショウベ川橋から坂山の別れ道に上る二倍ほど上流に登る。
棚田の奥に、石橋が現われた集落の最上部になる。すぐ手前の水神さんで、顔を洗わせていただいた。

写真10  第 65 番  小 谷 橋    北有馬町折木名小谷
年代不詳       長さ 3.0m   幅員 4.0m
小谷の旧道から山に入る。普通車ではチョッと辛い。
九州自然歩道を登る。地元の人たちは軽自動車でなら入っていく。この橋が近年教育長自身が見つけた橋。

写真11  第 86 番  深谷(ふかだん・ふかたに)橋  南有馬町菖蒲浜
明治中期       長さ 約5.0m  幅員 約4.0m
旧国道に架かる。

北・南有馬町に残るアーチ石橋  (1)  南島原市北有馬町

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北・南有馬町に残るアーチ石橋 (1)  南島原市北有馬町

南島原市北有馬町・南有馬町に残るアーチ石橋は、11橋である。このうちの(1)。
ここも石橋の宝庫である。諏訪の池から北有馬へ下る県道30号線から少し入ると見学できる。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。同HPも参照。

写真 1  第 39 番  面 無 橋    北有馬町今福名面無 タカエ川
江戸末期〜明治初期   長さ 12.0m  幅員 3.4m
棚田の中に見える橋は、元の往還に架かる橋 有馬川の支流、高江川に架かる。
岩屋川のアーチ橋が自然石組だと感心してたら、この面無橋には驚いた。枠石の外側だけは多少の加工がしてあるが、それ以外は加工の跡が余り見られない石ばかりで組まれている。よくこれで綺麗なアーチが保てるものだ。付近の景観ともマッチした良い橋だ。

写真 2  第 52 番  西 平 橋    北有馬町西正寺名西平 西正寺川
明治30年8月     長さ 28.5m  幅員 5.0m ハツメ石
石工 森田清次郎。肝心なアーチが見えないのが残念。
山本教育長のお話では、なんとここは「ゴミ捨て場」になってしまっていたそうだ。手前の橋があってアーチを簡単に見ることができない。

写真 3  第 66 番  桶口橋(テイグチ橋・坂下橋)北有馬町坂上下名坂下桶口 大丸川
明治28年       長さ 20.2m  幅員 5.1m ハツメ石
坂下小学校前の県道を下り、大丸バス停の川下側に架かる。
枠石はしっかりとした切石だが、側面は自然石を野面で積んだ状態。標柱には石工の名前が刻まれていて、北高来郡上戸村の上戸栄助とある。
橋底から見ても、まだまだしっかりとしていることが見て取れる。

写真 4  第 45 番  元 平 橋    北有馬町坂上下名田中
大正10(1921)年 長さ 18.7m  幅員 2.8m
有馬川にの支流、坂下川。上流側に新元平橋がかかる。
橋の横には公園整備がなされている。
北有馬町には沢山のアーチ橋が残っているそうだ。この橋も偶然に出会えた。

写真 5  第 44 番  田 中 橋    北有馬町坂上下名田中 
明治36(1903)年 長さ 13.7m  幅員 3.9m
馬川にの支流、坂下川。坂下小学校から入る。
柿ノ木谷への案内板の先に、田中橋は現われた。川底を見ると橋の材料になりそうな砂岩の層が見える。北松の佐々川と同じように石に恵まれているのかもしれない。
美しさを感じさせる良い橋だ。

写真 6  第 49 番  荒 田 下 橋  北有馬町坂上下名下田中 
明治35年        長さ  5.6m  幅員 3.9m
有馬川の支流三八川に架かる。田中橋のすぐ上流。
田中橋を渡らずにそのまま50m程上ると、有馬川の支流の坂下川の、さらに支流となる三八川の合流点に出る。この荒田下橋を越えて坂を登ると、荒田橋に行き着く。

高浜のイヌマキ  長崎市高浜町

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高浜のイヌマキ  長崎市高浜町

長崎市高浜町の長崎県立野母崎高校グランド右方。住宅の高い石垣が川沿いのためコンクリートで固められている。マキの根元が下にあり保護され立っている。
幹周り2m、樹高8mほど。さほど大きくないが、通りかかって珍しく写した。

熊野神社のアコウ  長崎市野母崎樺島町

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熊野神社のアコウ  長崎市野母崎樺島町

長崎市野母崎樺島町の熊野神社は、樺島大橋を渡り漁港左方の谷合いに屋根が見える。漁協の手前角から参道へ行く。
野母崎町「野母崎町郷土誌」昭和48年刊31頁の外山三郎氏稿「森林の植物」の中の説明は次のとおり。このアコウは町にある「巨樹」にも掲げられている。現在は幹周り4m、樹高15mほどに。タブの主幹を包み成長したとあるが、何となくそんな格好をしていた。
対岸の集落奥に、国指定天然記念物「オオウナギ生息地」の井戸がある。展示用水槽にいるウナギの顔はこんなものだ。

○ 樺島の熊野神社社叢

この社叢にはタブノキ・カクレミノ・ヤブニッケイ・スタジイ・イヌビワなどを主とした樹木が多いが、いずれも大木はなく森林は浅い。…
拝殿横にかなり大きいアコウがある。10年前までは、目通り3m余りのタブノキの樹上8mのところに着生していたものである。その後その気根が多数からみあってタブの主幹を包みかこんでしだいに下降し、今では完全に地下に下りて大木となり地上に安定したものである。

野母崎の街路樹 オキナヤシ・ホルトノキ  長崎市脇岬町

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野母崎の街路樹 オキナヤシ・ホルトノキ  長崎市脇岬町

野母崎で見られる街路樹のオキナヤシ・ホルトノキ。長崎市脇岬町で写した。オキナヤシは長崎県亜熱帯植物園”サザンパーク野母崎”の道すがら。旧野母崎町へ入ると各所に立つ。ホルトノキは脇岬の海岸埋立地通り。だいぶんと大きくなって景観がよい。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

野母崎町の街路樹

野母崎町は長崎県の最南端に位置する。街路樹は少ないが、所々にオキナヤシの街路樹がある。また、「町の木」であるホルトノキの街路樹もある。
野母崎町には、 県立亜熱帯植物園がある。多くの亜熱帯植物が温室ではなく、園内に植生されている。

普賢岳植物群落保護林  雲仙市小浜町雲仙

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普賢岳植物群落保護林  雲仙市小浜町雲仙

雲仙天草国立公園の雲仙仁田峠からあざみ谷にかけての光景。普賢岳植物群落保護林となって、ミヤマキリシマ・モミ・ブナ・カエデなど見られた。
標高は、仁田峠1080m。あざみ谷は横に這うので同じ位か。普賢岳1360m。撮影は、平成19年5月末。

坂下川の元平橋  南島原市北有馬町乙

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坂下川の元平橋  南島原市北有馬町乙

諏訪の池から南島原市北有馬町へ下る県道30号線沿い。人家や幼稚園に出たところに案内標識がある。坂下川に架かる。石橋の川からの高さが高く、多くの石を積んでいる。上流側の新元平橋と並ぶ光景は、見ごたえがあった。
県道沿いですぐ近く、通りかかりに寄って見る価値がある。夕暮れで写真が暗く、再度出かけたい。HP「長崎県の石橋を訪ねて」の中の説明は次のとおり。

第 45 番  元 平 橋    南高来郡北有馬町坂上下名田中
大正10(1921)年   長さ18.7m 幅員2.8m
有馬川にの支流、坂下川 上流側に新元平橋がかかる。橋の横には公園整備がなされている。北有馬町には沢山のアーチ橋が残っているそうだ。この橋も偶然に出会えた。