長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 3943 皇居吹上御苑(4) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 3943 皇居吹上御苑(4)
〔画像解説〕
かつては江戸城の西の備えとして大名屋敷があったが、明暦の大火(1657)以後庭園化された。庭園内には木石の配置まで人工の妙を尽くしていた。滝は中央大池の南岸と瀧見御茶屋の近くに2ヶ所あったらしい。本写真は樹木が生い茂っているので瀧見御茶屋近くの滝ではないかと推察される。明治10年代か。
目録番号: 5709 皇居吹上御苑(5)
■ 確認結果
目録番号: 3943「皇居吹上御苑(4)」と、目録番号: 5709「皇居吹上御苑(5)」は、同じ庭園を写している。目録番号: 3943「皇居吹上御苑(4)」には、「本写真は樹木が生い茂っているので瀧見御茶屋近くの滝ではないかと推察される」と画像解説している。
撮影者・撮影年代はさておき、皇居吹上御苑内庭園の推察した撮影場所は正しいのだろう。
HP「囂庵の幕末明治の古写真」の次の記事に、この古写真を調査した撮影場所の考察があり、「キャプションが正しいとしてと(?)強調しておく」と述べている。
http://www.gouann.org/new_box/fukiage/fukiage.html
●吹上御苑の古写真について
内田九一が明治天皇の肖像写真を撮影したことは有名である。撮影は明治五年と六年の二度にわたって行われるが、撮影の場所は何れも現在の吹上御苑内の写場である。ここで撮られた肖像写真については様々な方々が書籍・論文で発表なされているのでここでは述べない。…
今回庵主がレポートするのは、明治天皇肖像写真の「写場についての謎解き」である。
内田九一が庭先でひれ伏しているとされる写真がある。初見は分からないが、それにはたいてい、「吹上御苑瀧見茶屋」のキャプションが附いている。そして「畏まるは写真師内田九一」とある。
ところが、明治十年代に測量された地図によると、瀧見茶屋の前庭は池の端まで数十メートルの距離がある。その様子は長崎大学附属図書館蔵の着色された「吹上園」のロングショットの写真で確認できる。さらに、同館蔵のもう一枚の「吹上園」というキャプションの着色写真も、瀧見茶屋前の庭園をロングショットでとらえている。これらの写真によって瀧見茶屋の前方は、廣い芝庭の平地があり、その先に、鬱蒼とした樹木に囲まれた瀧のある池水庭園の様子が見て取れる。「図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京 決定版 (歴史群像シリーズ):絶版 」
庵主は、この二枚の「吹上園」写真と地図のおかげで、瀧見茶屋付近の状況を容易に知ることができたわけだ。むろん長崎大学附属図書館蔵の写真のキャプションが正しいとしてと強調しておく。