陸軍省標石探しの裏話  その1

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陸軍省標石探しの裏話  その1

陸軍省要塞地帯標や海軍省軍港境域標の標石探しと、研究をされている佐世保市高橋輝吉氏から寄せられた資料である。
最近の新規発見は少なくなり、本文はこれまでの所感をまとめられているようである。その2は次へ。「歴史散歩」の記事は、佐世保市広報資料と思われる。

高橋 輝吉氏稿   陸軍省標石探しの裏話  その1

佐世保市小佐世保町で、初めて陸軍省標石を発見する。みんな〇秘、〇諜、〇耳の話ばかりで、何か証拠らしき物はないかなーと思っていたとき、標石発見。
良く見ると「陸軍省」「長崎要塞第二地帯標」「第五号」で、日付は「明治三十二年七月十四日」(個人所有)。
友に話す。「イヤ、長坂町にも有るよ」と。「第一地帯標」「第三号」だった(個人所有)。このとき、第二地帯標の話もする。最初の標石を絵具で撫で、洗い流す。

標石発見のことを、市の広報課(Tさんという方)へ知らせた。「後で行きます」と。「どうでしたか」?…「そんな標石は有りません」と。彼はその後、標石を写真に撮り、〇〇に出す。
後で「日付が違います」と言うと、「イヤ…正しい」と言うので、私の写真を見せると、”シマッタ”たと思ったでしょう。役所の手口かなー。それっきり、〇〇は流さず、今日まで。
歴史散歩の2回目は、日付が「明治三十二年七月十四日」となりましたが、要塞法を「条例」、「S. M. シーレベル メーター(海抜)」の解説は、今日までそのままです。〇〇さんに言ったけれど、本人が直さないのは、時を待つしかないと。

そんなこんなしているときに、下関要塞地帯標の資料で「S.M. F.Z」が手に入る。これだなー。私はこのときまで「S.M.」は、「シークレット ミリタリー(戦略上重要な要塞化された地帯・区域)」が正しいと考えていた。佐世保に資料なし。標石探しに弾みが付きましたなー、今日まで。
下関では、「昔の大砲は役に立たない」と言ったら…大目玉。潜水艦の時代と、B29の時代になる。移動できる小型大砲と弾丸が多く有るのかなー。