陸軍省標石探しの裏話  その2

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陸軍省標石探しの裏話  その2

陸軍省要塞地帯標や海軍省軍港境域標の標石探しと、研究をされている佐世保市高橋輝吉氏から寄せられた資料である。
最近の新規発見は少なくなり、本文はこれまでの所感をまとめられている。写真は、佐世保市山ノ田水源地上方面にあったという「第十一号」と、長崎市飽の浦峠手前道の「第十六九号」

高橋 輝吉氏稿   陸軍省標石探しの裏話  その2

昭和11年頃になると、軍縮の波が。艦の大砲が陸に。標石にも改刻があった。佐世保では4本(日付は同じ)。対馬では、明治三十六年、明治四十年、大正十三年、昭和十二年とバラバラです。最近、対馬でまた3本、新しく発見されたようです。「第〇〇号」と無号1本あり。後で知らせます。

長崎は、標石がバラバラです。飽の浦峠手前のが、「第十六九号」と謎?。壱岐の要塞標石は4本廃止と、石はコンクリートと丸石交じり。まずい標石だ。軍縮か。
大分佐賀関は、1号廃止と?。F.Z.標石、620mの山の上に。下関は、要塞地帯図から見ると、広い広い要塞地帯となるので、何千個の標石の数となるのかなー。

佐世保での標石は、日付は同じ「第一号」2本有り。地域によるのかなー。3本となると何と第一地帯標でも「第十一号」3本有り。区域標も3本有り。何とも?。
要塞地帯の資料、昭和十一年の通達によると、別紙を見てください。(掲載略)
山の上に海軍省の標石が6本。昔の艦船は石炭を使用した。ただし、陸、海に標石が多い。軍道200本、入江50本。