長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 326 相撲(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 326 相撲(1)
〔画像解説〕
相撲は本来神事と深い関係を持ち、宮廷では、初秋の行事として相撲の節会を行った。これは、東西二手に別れ、何れが豊作であるかを占ったものである。江戸時代、武家で練武として普及した他、草相撲・辻相撲も盛んで、神社での奉納相撲も盛んに行われた。
目録番号: 529 相撲(3)
〔画像解説〕
相撲は、直径4.55mの円形で、40〜60cm盛り土された土俵で行われる。土俵は、東南西北に位置する四方柱(よもばしら)に囲まれ、方屋(かたや)といわれる屋根に覆われる。四方柱は春夏秋冬を表わし、その上部には水ひき幕が張られた。
目録番号:4288 相撲巡業
目録番号:3349 東京大角力協会の巡業
■ 確認結果
目録番号: 326「相撲(1)」、目録番号: 529「相撲(3)」、目録番号:4288 相撲巡業は、小屋掛けの相撲興行である。東京の本所「回向院相撲場」の本場所風景と思われる。資料及び古写真は、HP「森川和夫:廣重の風景版画の研究ー(1) 古写真で読み解く広重の江戸名所」から。
回向院の相撲は江戸時代に限ったことではない。明治42年(1909)両国国技館が完成するまでは、回向院で晴天10日の小屋掛けの本場所が行われていた。2階の桟敷席があり。「角力場は桟敷の梯子持ち回り」と詠まれた梯子が写っているのも興味深い。観客席には屋根がないので、帽子をかぶっている人が多い。
最後の目録番号:3349「東京大角力協会の巡業」は、写真が新しい。観客席には屋根があり、段差がある立派な桝席と変っている。これが明治42年(1909)完成した両国国技館ではないだろうか。「角力」は「相撲」か。