「まぼろしの石橋」が姿現わす(1)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

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「まぼろしの石橋」が姿現わす(1)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

長崎市本河内町にある。ダムの底から渇水期にだけ姿を現していた「まぼろしの石橋」。長崎市指定有形文化財に指定された。この石橋も平成18年春の新ダム完成により、ほとんど見ることはできなくなった。

その名のとおり「まぼろし」となった石橋。しかし、今までもこれからも、貯水池の中にたしかに存在する。石橋のHPによると、長さ8.0m、幅員2.8mの橋。
季刊「Web旅ムック」2007晩秋号 Ⅴol.7の16〜17頁の特集「石橋の旅 第4回」の記事は、 https://misakimichi.com/archives/405

何とこの「まぼろしの石橋」が、本河内高部貯水池できょう、上部だけではあるが写真のとおり見えていた。低部貯水池の改修工事が完成したため水を抜きはじめたのではない。ただ渇水のためとのことである。本河内高部貯水池の水位が今、非常に低くなっている。

石橋に関心がある方は、めったにない撮影のチャンスだろう。国道34号線「妙相寺入口」から入る。新日見トンネル高架橋の下あたりに石橋はある。
「長崎市の文化財」による説明は次のとおり。

本河内高部貯水池内石橋   市指定有形文化財
指定年月日:昭和53年12月20日  所在地:長崎市本河内3丁目 本河内高部貯水池内
一の瀬川の上流、妙相寺川には、自然石で築いたアーチ石橋が数多く見られた。これはその一つで、明治22年(1890)に造成された水源地にそのまま水没し、現在まで遺ったものである。石の隙間には小石を充填(じゅうてん)し、橋面には土かぶりを施したと思われるが、水没中に洗い流され、現在は骨格的石組だけとなっている。平時は水中に没し、渇水時にだけ姿を現わす。架橋の年代は不詳であるが、明治2〜3年(1869〜70)頃現川の住民が、本河内の野石造りアーチ石橋を真似て、現川にも架けたという記録があるから、恐らく幕末期のものであろう。