古賀と船石地区に残るアーチ石橋  長崎市古賀町・船石町

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古賀と船石地区に残るアーチ石橋  長崎市古賀町・船石町

昭和57年長崎大水害から残ったアーチ石橋が長崎市古賀町に1橋、船石町に2橋ある。滝の観音境内にある羅漢橋、普済橋を除き、集落の里道で今も使われているこの橋を訪ねた。
その外に、船石地区の木場橋は存在が貴重である。水害により損壊し橋は新しくなっているが、近くの田嶋邸庭(並松翠鯉の苑)に旧橋欄干の片側が移設され、立派に保存されている。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真 1   第118番  正念の橋(念橋 善八橋) 長崎市古賀町正念
年代 大正5年との近隣の住民の話   長さ 6.3m 幅員 2.0m
長崎バイパス市布古賀入口近く。付近には正念公民館や長崎市消防団第29分団6部詰所がある。もとは長崎へ山越えで抜ける間道に架かる橋のようだが、現在は下流に新しい橋が架かっている。
この橋は「2000年の東長崎」という郷土史によれば、「善八橋」として記載されている。著者が現地で橋の名前を、そのように取材されたそうだ。「善八橋」の名を併記する。

写真 2   第154番  下 大 野 橋  長崎市船石町千束野
年代 昭和35年  長さ 5.0m 幅員 4.0m
石垣バス停から右折し船石ポンプ場より左折。数多くの石橋が有った船石地区で57年の水害に残った石橋。親柱も欄干も架橋当時のまま残る。多少白い手すりが気になるが現役の橋としては安全の為にはいたしかたないだろう。このままでも充分美しい。

写真 3   第177番  千  歳  橋  長崎市船石町並松
年代 明治45年架橋、昭和12年拡幅  長さ 4.0m 幅員 4.4m
数多くの石橋が有った船石地区で57年の水害に残った石橋。古賀木場バス停から右手に入ってから更に右手に下る。拱環石もしっかりしている。周辺の風景に溶け込んで美しい。

写真 4           木  場  橋  長崎市船石町並松
近くの木場橋も水害で損傷は受けたものの残っているかも?との情報で近くを歩いたら、こんな所で遭うことが出来た。木場橋は千歳橋から少し下ったところにある田嶋邸の池の手摺に姿を変えていた。何でも大正3年に田嶋家のご先祖様の顕徳を記念して架橋したのが木場橋であったとかで、水害後の復旧工事の際に田嶋家が手摺部分を譲り受け、田嶋倉治翁の100回忌に親族の手で手摺だけが残されたものだそうだ。

57年の水害時の被害とし木場橋の上流、木場川に架かっていた石造アーチ橋で流出した橋は下流側から、すすき橋(市道中川内線、長さ6m、幅3.6m、単アーチ)・山下橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)・山口橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)、また更に支流となる二双船川の二双橋(市道曲田線、長さ5.3m、幅3.5m、単アーチ)で有った。

また木場橋から下流には都通川と名前が変わって千束野橋(市道上戸石千束野線)が現在コンクリート橋として架かっているが水害時半壊し、その後解体した。
さらに下流で本流の八郎川となって角橋(市道木場線)、鎧橋が石造アーチ橋であった。