鎮西橋・西山橋(西山川)と鳴滝橋(鳴滝川)  長崎市馬町ほか

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鎮西橋・西山橋(西山川)と鳴滝橋(鳴滝川)  長崎市馬町ほか

先項において、桃渓橋から上流の西山川に残るアーチ石橋4橋を訪ねた記事を載せた。うっかりしていた。諏訪神社前の国道34号線馬町交差点にある「鎮西橋」をもらしていた。
資料は、石橋を最も詳しく調べられている諫早在住の方のHP「長崎県の石橋を訪ねて」。このHPに「鎮西橋」は出てこない。それで私ももらした。他の人のHPでは、石橋として紹介されている。

(1)鎮 西 橋
鎮西橋(ちんぜいばし)は、昭和9年(1934)架設と銘板がある。欄干から下部を見るとアーチ石橋のようだ。桃渓橋側から全体が見える。最近の工事で石が新しく白っぽい。馬町交差点に地下歩道を造ったとき、改修されたのでないか。
川の景観に調和させるため、表に見えるところだけ石を張り、下のアーチ部分は全面コンクリート。近代工法の橋である。
そのため、同氏HPの石橋の範囲に「鎮西橋」は該当しなかったようだ。ほかにも理由があるかも知れない。すぐそばの大手橋側の川底から見た2つの橋の写真。大手橋は石橋が残っている。

(2)西 山 橋
大手橋のすぐまた上流の「西山橋」。今の橋に銘板があるので、橋は間違いない。長崎バイパスへ行く西山通りの県道を挟んで、正面に料亭富貴楼と松森神社のクスノキが見える。
この橋も昔は石橋だったようである。同氏HPの中に読者などからの情報に基づく「調査中の石橋」があり、「長崎市下西山の西山橋は現存するという。 07/01/2007消失を確認」とある。これは同氏が現地を見に来た日。現在の橋が架け変えられた時期はあくまで大水害後であろう。が、水害前もすでに石橋ではなかったという人もいる。
その人の話によると、長崎大学経済学部裏通りのリンガーハットへ出る橋も、昔は石橋だったそうである。

(3)鳴 滝 橋
鳴滝川の「鳴滝橋」。やはり同氏HPの中「調査中の石橋」に、「鳴滝橋が57年の長崎水害では被害を受けていなかったという。 06/30/2007架け替えを確認」とある。
「鳴滝橋」と言われるのは、現在、3つの橋がある。
①鳴滝の滝の上に架かる本来の鳴滝橋。自然石の橋名が残る。②鳴滝高グランド横から車道を進み、次に川を渡るところの橋。コンクリートの橋名がある。③鳴滝入口の石橋が残っている「古橋」(ふるはし)。これも一名「鳴滝橋」と呼ばれる。

現在の鳴滝橋は②だが、これは石橋でなかったようだ。HPの情報は③のことでなく、やはり本来の①のところの鳴滝橋であろう。今はここは暗渠橋で片側しか見えない。鳴滝高グランド横のここは、大水害前のまだ前、昭和30年代末頃までは、街のシシトキ川のような開渠であった。その年代には石橋が架かって、川を渡っていた。名残りが今の橋脇の標石であろう。改修されたのは暗渠工事の際でないだろうか。
地元で石橋のこんなことを聞いても知らない人が多い。関係官庁の保存資料もなくなっている。