多良山系大花山の藩境塚 (1)

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多良山系大花山の藩境塚 (1) 平成18年12月

長崎・佐賀の県境となる多良山系の縦走路の線は、昔から佐賀(諫早)・大村藩領のせめぎ合いがあった。萱瀬ダム手前田下から五家原岳直下の横峰越までは、昭和44年国体コースとなり主に整備された。大花山はここにあり、富川渓谷から上がったりして、しゃくなげの群落を見ていた。

林先生著「長崎県の山歩き」を読んで、35年ぶりに昨年12月、会の行事を組んで行った。小川内渓谷はやまめ釣りや渓流遊びで、その後も数年かよっていたが、山に登ることはなかった。黒木小岳小屋辺りは、河川公園として整備され一新していた。

横峰越にやっと上がり、西へ小ピークを越え、大花山の方へと向かう。地籍調査の測量柱とともに、古めかしい石塚を6基ほどこの間に見た。上部に「+」を刻んだ古い石柱もあった。予定の鳥甲山は時間がなくなり、手前の峠から黒木へ下ったが、大花山の先には、塚は見られなかった。

後日調べた「大村郷村記 第二巻」萱瀬村の項181頁の記述は次のとおり。
「内三方境土器石より廣荷床一の塚まで四町弐拾壱間、境塚あり 塚数拾七、内壱ッ諫早領と大村領との最合塚と云 左右野なり、此間につるの岳と云ふ険阻の野岳あり」
地名の判断ができず、これかどうかわからないが、郡岳(野岳か)の西登山口近くでも見ている。大花山のも富川の方の尾根が藩境と思われ、一度尾根を歩いて調べてみたい。

長崎街道の鈴田峠から、大村に向かって右手に入ると、風観岳に上がれる。享保10年(1725)藩境石塚は、約30m間隔で三百数十基築かれたそうであるが、諌早西部のこの丘陵地帯に、60基ほど確認されている。詳しくはインターネットに、「今村川畔の藩境石」とともにある。

追 記: 2011年2月、宮さんが撮影した大花山の藩境塚写真は、次の(2)を参照。
https://misakimichi.com/archives/2558