茂木河平の「戸町二至ル」標石

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茂木河平の「戸町二至ル」標石

茂木へ下る途中の「河平」バス停から、コンクリート舗装の急坂道路を100mほど下ると、河平川谷間の旧県道(明治新道の茂木街道)へ出る。出合い口の両脇に標石はある。
左は「戸町二至ル」「昭和三年十一月 御大典記念 河平青年団」。寸法は、16.5×14×53cm。この標石は、茂木街道から分岐し、現在の唐八景の市民の森入口(八郎岳縦走東登山口)を越え、戸町に至ることを指す。
標石の写真は、どじょう会「長崎の碑(いしぶみ) 第四集」に載せられ知られている。

気づいたのは、道路の反対右側。別に苔むした古いコンクリート石柱が石垣に倒れるように立てかけられていた。上の方に「指差し」マークの凹みがあるが、下部は摺り減って字がわからない。寸法は、18×11×87cm。
鶴見台森田氏の記憶では、これは茂木地区によくあるバス停上の「四国茂木八十八ヶ所第七十九番霊場」札番所へ行く道案内標石である。

(追 記  平成21年9月11日)
「戸町二至ル」標石が指すルートについて、宮さんの本日付ブログ記事があったので次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21001284.html
当時のルートの参考のため、明治34測図国土地理院旧版地図を最後に掲げる。現在の地形と比べてもらいたい。

旧版地図の右端、水車小屋のマークがある下の分岐が「戸町二至ル」標石がある所である。唐八景の鞍部へ向かって登り、道が交差する所が現在の市民の森入口(八郎岳縦走東登山口)。この鞍部はまっすぐ越し戸町側の谷間へ入る。
ちびっこ創作村・立岩大師を通って、星取山手前から下ってきた小径と合い、現在の小ヶ倉水源池の湖底に明治時代から戸町へ下る街道があったことがわかるであろう。
昔の戸町への街道跡は、唐八景の鞍部からも以下湖底へ消えるまで、まだ残っているのを確認している。