大村藩・佐賀藩境界石柱(二基)の本来の場所は  長崎市東樫山町 ( 長崎県 )

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大村藩・佐賀藩境界石柱(二基)の本来の場所は  長崎市東樫山町

長崎市三重地区郷土誌編さん委員会編「長崎市三重地区郷土誌」が、2013年9月発行されている。
別冊(写真集)の「史跡・文化財・伝承」の項71頁、現在は東樫山町天福寺前と長崎市三重支所玄関横スロープ庭に移設されている「73 大村藩・佐賀藩境界石柱(二基)」は、(本来の場所は不明)と説明している。

この標石は、本ブログ次を参照。私たちが大村郷村記三重村144頁「佐賀領境傍爾石之事」の記録により、本来の場所は、長崎県立長崎図書館所蔵「彼杵郡三重村東樫山 佐賀領御境絵図」をデジカメ写真に撮って見当をつけ、平成17年9、10月の2日間現地調査のうえ確認している。

その場所は、説明図の「桜の首」Hと「三重崎」A地点の藩境である。地元史談会でも研究をお願いしたい。
大村郷村記の三重東樫山「藩境石塚」の存在を確認  https://misakimichi.com/archives/84
三重東樫山の天福寺へ移設されている藩境石      https://misakimichi.com/archives/2307