長崎と近県の山野歩き」カテゴリーアーカイブ

船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (2)  2014年3月

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船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (2)  2014年3月

2014年3月16日(日)快晴。長崎市東長崎地区の船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。
JR肥前古賀駅9:47—古賀ラカンマキ9:55—船石「下大野橋」11:39—並松翠鯉の苑12:00(昼食)12:35—「千歳橋」12:38—二双舟タブの木13:05—旧本田家住宅13:38—藤棚13:51—つつじが丘入口バス停14:05(徒歩距離 約8km)   

時津町に続く船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。所在場所は、本ブログ次を参照。次回は4月20日に喜々津町を予定。 https://misakimichi.com/archives/604
午前(1)からの続き。第二のアーチ式石橋「千歳橋」は、昼食をとった「並松翠鯉の苑」のすぐ先にある。標石によると明治45年3月架設。県営バス古賀木場終点前を通り、二双舟まで行く。高い石垣の旧家の入口にタブの大木がある。石垣を背景に樹形が見事な木だったが、今は幹先がだいぶん伐採されていた。

川沿いの市道へ戻り鞍部の峠を越し、下って行くと長崎自動車道に出る。左側へ向い高架下のトンネルをくぐって、国指定重要文化財「旧本田家住宅」を訪ねる。すぐ手前のところで、花が白・赤・紅白の珍しい椿の木があった。ハマグリそっくりの石もあった。
「旧本田家住宅」から「古賀の藤棚」までは、遊歩道を歩くとすぐ近くである。日本三大土人形とされる「古賀人形」工房はここにある。旧長崎街道を長崎へ少し戻り、つつじが丘入口バス停へ出た。バスの便は団地発着なのでここが良い。

船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (1)  2014年3月

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船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (1)  2014年3月

2014年3月16日(日)快晴。長崎市東長崎地区の船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。
JR肥前古賀駅9:47—古賀ラカンマキ9:55—船石「下大野橋」11:39—並松翠鯉の苑12:00(昼食)12:35—「千歳橋」12:38—二双舟タブの木13:05—旧本田家住宅13:38—藤棚13:51—つつじが丘入口バス停14:05(徒歩距離 約8km)   

時津町に続く船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。所在場所は、本ブログ次を参照。次回は4月20日に喜々津町を予定。 https://misakimichi.com/archives/604
長崎駅9:24発諫早行乗車。「七つ星」は駅事務室前のポスター。肥前古賀駅から歩き出す。駅から下ると、赤瀬宅庭に日本一のラカンマキがある。親和銀行保養所「迎仙閣」正門庭には、滝の観音道「たきみち」の標石があるが、門を閉めていて見学できない。国道34号線を渡り、旧長崎街道の道を歩く。古賀殉教地の碑やキリシタン墓石(水樋石?)がある。

石橋調査で和仁会病院の谷間を登ったので、福端寺は訪問もれ。病院から下ると、古賀庄屋屋敷跡の民家玄関前に、藩境石「大村領」が2本ある。水害で移設している。
いよいよ船石町に入る。現在の木場橋をまず見て、干束野へ上がる。九州新幹線(西九州)のトンネルがここにできるのか、測量表示があった。集落へ向うと、第一のアーチ式石橋「下大野橋」がある。昭和35年架設。

運動公園へ回って並松へ下ると、田嶋邸「並松翠鯉の苑」がある。かつての石橋「木場橋」を架けた当家。長崎大水害で流された橋の欄干片側をここに移設し保存している。
水苑脇で昼食。ザボン漬はいつものO氏宅特製。以下(2)に続く。

深堀城山の陸軍省要塞標探しと新ルート整備  2014年3月

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深堀城山の陸軍省要塞標探しと新ルート整備  2014年3月

2014年3月2日(日)晴。深堀城山(標高350.4m)の陸軍省要塞標探しと新ルート整備。みさき道歩会の例会。参加7人。
江川総合運動公園9:35—船舶装備尾根9:42—小ピーク10:36—炭焼き釜跡10:46—城山登山道出合12:35—愛宕神社跡12:40(昼食)13:20—竿浦下山路分岐13:30—竿浦14:50—江川総合運動公園15:10(徒歩距離 約 8km)

今回の目的は、次を参照。「長崎要塞第二地帯標」の竿浦の八郎岳側「第十一号」「第十二号」の現存が判明したから、深堀城山側の「第九号」「第十号」の調査である。
2−特 竿浦町大山祇神社北上の尾根  (確認 長崎要塞第二地帯標 第十二号)
https://misakimichi.com/archives/3853
2014年1月19日(日) 竿浦から八郎岳一周とかき焼き新年会
https://misakimichi.com/archives/3907

竿浦や平山から深堀城山へ登る道はあまり知られていないが、数ルートの昔からの赤道が残る。城山山頂八幡宮へ正月参りや、愛宕神社の毎年6月の祭りには、神楽が舞いかがり火がたかれる。竿浦や平山からも地元民はこの道を利用して、昔は参拝が多かったと思われる。
陸軍省要塞標探しを兼ねて、私は先般からこの赤道調査をしていたが、標石はまだ見つかっていない。

「第九号」「第十号」とも竿浦集落内里道に建っていた(戦後、撤去された?)可能性があり、山中に標石が残るのはあまり期待していないが、調査だけは進めていた。
最後に残ったのが、竿浦サイクリング道路脇の「第十一号」と、深堀城山山頂の「第八号」を線で結ぶと、船舶装備尾根となる。赤道こそないが、こればかりは歩いて調査してみないとわからない。

ナフコ先の船舶装備尾根から城山山頂へ登られるように、新ルート整備のつもりで少し切り開き、陸軍省要塞標探しをしたが、やはり見つからなかった。難路で急登な尾根が続き、登山には無理があるだろう。城山山頂から言うと、愛宕神社跡の少し手前の登山道に出て、昼食とした。
午後はお水場分岐のところから、反対側の斜面へ知られている竿浦下山路があり、赤テープを伝って竿浦へ下った。 

長与町に残るアーチ式石橋めぐり (2)  2014年2月

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長与町に残るアーチ式石橋めぐり (2)  2014年2月

2014年2月16日(日)晴。西彼杵郡長与町に残るアーチ式石橋めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。岡郷5橋、中尾城公園1橋、川平道路入口1橋を訪ねる。
(1)は午前、(2)は午後の写真。
岡郷下岡バス停10:25—旧国道現役の橋10:28—その上流小橋10:33—おこ川上流橋
10:45—四釜橋10:56—その上流橋11:05—舟津橋11:45—広瀬酒本舗煙突11:49(昼食)12:40—法妙寺12:53—長与焼古窯跡皿山13:02—中尾城公園14:03—ゆりの橋14:36—長与駅前—川平道路入口橋15:36—本木バス停15:55(徒歩距離 約12km)

(1)からの続き。名物煙突で昼食後、長与川左岸車道をなお遡る。寺の下バス停すなわち古刹法妙寺がある。背後の山が長与氏の居城睡飲城(浜城)跡。寺前に見えるのが、長与焼古窯跡皿山。有川石材ではゴジラが手袋していた。
皆前橋を渡り、長与町公民館、長与町役場の方へ入る。長崎西高長与分校跡が役場敷地である。裏通りを進むと中尾城公園が見えてくる。

中尾城公園は、JR長与駅の東側に位置する。中世の山城跡にできた公園。スパイラルスライダーは、らせん状のすべり台で、7階建てビルに相当。珍百景に出た。脇にミニモノレールが新設されていた(65歳以上は無料)。
梅の見頃とあって、人出が多い。山頂の山城跡には土塁が残る。谷間へ下ると、百合野団地から移設されたアーチ式石橋「ゆりの橋」がある。

JR長与駅前の国道を道の尾方面へ黙々と歩く。途中から線路右側の遊歩道に入ったりして、本木の川平道路入口まで行く。きょうの最後の石橋が、ここの洗濯工房店裏の川に残る。
アーチ部分の礎石のみが、水害にも流されずにある。なぜここにかと思うが、昔の街道の位置だった証拠だろう。散歩の途中に発見した人は、2年前にすでに亡くなり、思い出の橋となった。道の尾までの予定は、午後4時近く。ここで終らせた。この石橋と「百合野橋」は、次を参照。
長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷
https://misakimichi.com/archives/708

長与町に残るアーチ式石橋めぐり (1)  2014年2月

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長与町に残るアーチ式石橋めぐり (1)  2014年2月

2014年2月16日(日)晴。西彼杵郡長与町に残るアーチ式石橋めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。岡郷5橋、中尾城公園1橋、川平道路入口1橋を訪ねる。
(1)は午前、(2)は午後の写真。
岡郷下岡バス停10:25—旧国道現役の橋10:28—その上流小橋10:33—おこ川上流橋
10:45—四釜橋10:56—その上流橋11:05—舟津橋11:45—広瀬酒本舗煙突11:49(昼食)12:40—法妙寺12:53—長与焼古窯跡皿山13:02—中尾城公園14:03—ゆりの橋14:36—長与駅前—川平道路入口橋15:36—本木バス停15:55(徒歩距離 約12km)

大波止9:34発堂崎行乗車。長与町下岡バス停から歩き出す。総合公園後ろとなる旧国道へ入り岡郷に集中して残るアーチ式石橋5橋(旧国道現役の橋、その上流小橋、おこ川上流橋、四釜橋、その上流橋)をまず見学。地元の人や長与町教育委員会も、その存在はあまり知らない。町文化財に小さな石橋群として指定して良い。石橋の詳細と所在地図は、次を参照。
長与町に残るアーチ石橋  西彼杵郡長与町岡郷ほか
https://misakimichi.com/archives/628
岡郷「四釜橋」及び「旧国道の現役の橋」上流のアーチ式石橋
https://misakimichi.com/archives/2855

旧国道から舟津へ出る。途中の住宅地内の旧家、森宅庭で、同じ幹から下は紅、上は白と2段咲きした珍しい枝垂れ梅を見た。こんな品種があるのだろうか。ここにはガレージを利用した写真ギャラリーがあった。
舟津橋の対岸へ渡り、長与川沿いの車道を行くと、広瀬酒本舗の煉瓦煙突が立つ。「鶴乃港」の酒造元だった。長崎県のまちづくり景観資産に指定されている。「長与町郷土誌 上巻」による紹介は、次を参照。この釜跡は原爆被災者の救援炊き出しに活躍しているが、これも記録してほしい。古写真の右側木橋は、酒造りの水を対岸の山手から引いていた自前の橋という。
名物煙突? 広瀬酒屋「鶴乃港」の煙突  長与町斉藤郷
https://misakimichi.com/archives/2850
煙突の後ろの庭で昼食。以下、午後は(2)へ続く。

八郎岳登山口の登山者用駐車場などの整備と、手造りアーチ式石橋「乙女橋」

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八郎岳登山口の登山者用駐車場などの整備と、手造りアーチ式石橋「乙女橋」

長崎市へのご意見・ご提案等の紹介
ご意見(要旨) 八郎岳登山口の登山者用駐車場、公衆便所などの整備 【2013年12月受信】
長崎市南部の山、八郎岳は標高589.8m。長崎市内の最高峰。野母半島県立公園で、九州百名山の1つです。市内外から訪れる登山者が多く、2011年8月から、再三、長崎市平山町の八郎岳登山口に登山者用駐車場、公衆便所、国道側案内標識などを設置するよう、長崎市及び長崎県にも要望しましたが、納得できる進展がありませんでした。
周辺案内図が設置されただけで、ほかはそのまま放置されています。財政的な理由は、たしかに理解できますが、あまり予算をかけず実現できる方法をぜひ考え、実行してください。今回このことを再要望したのは、最近、市民農園関係者が休みのたびに、農園駐車場に張り込み、登山者の駐車を厳しくとがめていると聞いたからです。
登山や農作業は、お互い気持ち良く楽しみたいはずです。このような険悪な事態は、長崎市政の評判と評価を落すだけです。公衆便所は、農園利用者も必要としていると思います。以上のことを良く理解し、長崎市において早急な実現をぜひお願いします。

回 答  農林整備課・農業振興課 【2013年12月24日回答】
平山市民農園は、駐車場も含めて長崎市が地権者から土地を借り上げ、入園者は使用料を負担して市民農園を利用しておりますので、入園者以外が農園駐車場を利用することは、ご遠慮いただいています。登山者の方も駐車されている場合がありますが、植え付け時期や収穫時期は多くの方が来園されますし、また、仕事の都合上、土曜日、日曜日だけしか農園に来られない方もおられ、駐車区画が不足することもあり困っている状況ですので、農園利用者以外の駐車はご遠慮いただいております。
登山者のための駐車場及びトイレ等の整備は、財政的に困難でありますので、国道沿いなど周辺駐車場などをご利用いただきますよう、ご理解とご協力をお願いします。また、案内標識などにつきましては、前回、回答いたしておりますとおり、八郎岳登山における必要な情報を判りやすく表示する観点から、山岳連盟などの専門家のご意見をお聞きしながら、引き続き検討しており、必要に応じてできるものから修正、新設を行っていきたいと考えています。

以上がその回答だが、単なる現状問題点の解決先送りである。再回答を求めたところ、長崎市農林整備課長から、次のとおり個別回答があった。

平成26年1月22日  農林整備課長
長崎市におきましては、中期財政見通しにおいて、厳しい財政状況が続くと予想されることから、事務事業の抜本的見直しや収入増対策を徹底することにより、歳入歳出両面から収支不足の圧縮に努めることとしています。(詳しくは、長崎市のホームページをご覧ください) このため、選択と集中の観点から、市民生活に直結する事業について、緊急度や重要度を考慮した上で十分な検討を行い、優先順位をつけて計画的に事業を進めることとしています。
ご提案の登山者用の駐車場や公衆便所につきましては、日常的に市民生活に直接関わる施設とは言い難く、八郎岳登山ルートが数多くあるなかで、平山からの往復を限定するものであり、土地の確保や維持管理も困難であることから、現状におきまして、整備はできかねますので、ご理解いただきますようお願いいたします。
また、長崎市内の多くの山でも、登山者自らが、登山ルートや交通手段等を検討されておられますので、八郎岳への登山者におかれましても、自家用車を使用される場合は国道周辺の駐車場などをご利用いただくか、公共交通機関をご利用いただき、登山を楽しんでいただきますようお願いいたします。
一方、長崎市内の各所において、地域の皆様や志を共にされる仲間の皆様が、あらゆる分野で様々な活動をされていますが、このうち、多くの市民の皆様に有益な活動につきましては、長崎市として内容等を精査した上で、支援させていただいている事例がございます。
したがいまして、貴方ご提案の内容につきましても、登山に関わる組織や仲間の皆様と自ら活動される内容を含めてご検討され、皆様の総意として活動されることとなりましたら、長崎市としてご協力できることもあろうかと思われますので、ご相談いただきますようお願いいたします。

これが長崎市長の見解であり、最終回答として理解して良いのだろう。その後、回答はない。これを公表し、みなさんの判断を仰ぎたい。市政への提案回答として、私だけではなく、市民全体のみなさんへわかるよう、必ず公開をお願いしたい。
財政上の理由はわかるが、必要性はやっと理解されたようだから、今後、実現に向けて財政当局とぜひ折衝していただきたい。

当面の措置として、市民農園や元宮公園の駐車場は、どうしても開放はできないのだろうか。上記の回答文の後段は、おかしな回答である。
本来ならば、長崎市が当然しなければならない施策の実現を、私へ活動を押し付けている。財政上の理由は別として、必要性はやっと認めたのだから、皆の総意があっているものとして、事業を先へ進めて良いはずである。
何も私ひとりの要望ではない。協力できることは、相談がなくても早急に実現できるということではある。こんな回答はしないようお願いしたい。

少しはましな回答となったが、いつまでも市の見識のなさにあきれる。現状ではとにかく、長崎市政の評判と評価を落しているだけである。長崎市長がまずこのことを深く認識して、早急な対応をお願いしたい。つまらない回答はさておき、八郎岳の沢に手造りした石橋へ話題を変えよう。

「今晩は。今日後半は好天予報でしたので、平山墓地前を午前10:15に出発して、八郎岳・小八郎岳・乙女峠を回ってきました。山頂は残念ながら雲におおわれて視界はあまりよくありませんでした。乙女峠を下ってから、自然石の石橋「乙女橋」がしっかり健在であることを確認できました。完成後何年経過しましたかね? 堅牢な出来栄えですね。写真を撮りました」

きのう2月2日(日)、八郎岳へ登った○里氏からのメール。道歩会の仲間。駐車場の最近の実状を知らせてくれたのも、同氏である。
手造りの自然石アーチ式石橋「(第2)乙女橋」(仮称)の記事と場所は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/2911
「(第2)乙女橋」は2011年10月完成だから、完成後、2年3か月経過している。
久留米市の「美幸さんの日記」も参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/a10412007/34212523.html

竿浦から八郎岳一周とかき焼き新年会

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竿浦から八郎岳一周とかき焼き新年会

2014年1月19日(日)快晴。竿浦から八郎岳(標高589.8m)一周とかき焼き新年会。参加6人。みさき道歩会の例会。
江川総合運動公園9:45—竿浦サイクリング道路10:11ー落矢ダム尾根10:57—八郎岳
13:10(昼食)13:50—平山分岐14:28—竿浦大山祇神社15:11—土井首中学校前15:45(徒歩距離 約9km)

今回の目的は、竿浦サイクリング道路脇やその上の尾根で見つかっている陸軍省長崎要塞第二地帯標2本の紹介。佐世保市から高橋氏も同行。途中まで歩いた。
落矢ダムからの尾根道と出合い、そのまま八郎岳山頂まで直登する。快晴のため眺望が良い。
平山方面へ下り、竿浦大山祇神社への道を行く。サイクリング道路を歩き土井首中学校前まで出て、かき焼き店へ入る。生ビールを飲んで、1人2000円で済んだ。

八郎岳登山口の駐車場などの整備について  長崎市政への提案と回答

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八郎岳登山口の駐車場などの整備について  長崎市政への提案と回答

長崎市平山町の八郎岳登山口に、登山者用駐車場・公衆便所・国道側案内標識などを設置するよう、長崎市へ再び要望した。提案と回答の内容は、次のとおり。
これが長崎市長の最終見解と回答なのだろうか。単なる解決の先送りである。登山者用駐車場や公衆便所などの必要性は、やっと認めたようである。財政的な理由なら、2011年当時から、そう回答するべきである。この項は、本ブログ次も参照。
https://misakimichi.com/archives/3091

それから、もう3年近くなる。財政当局とこれまでどう折衝したのか。地元自治会などとどう話し合いを持ったのか。市民農園入口近くの市有地道路脇や、農園用地の一部転用をすることはできないのだろうか。公衆便所は、市民農園利用者やサイクリング道路利用者も必要としていると思われる。
長崎市長の姿勢がまったく見えない。もう少し気のきいた回答をお願いしたい。

(提案内容  2013/12/9  メール送信)

八郎岳登山口の登山者用駐車場、公衆便所などの整備について

長崎市南部の山、八郎岳は標高589.8m。長崎市内の最高峰。野母半島県立公園で、九州百名山の1つです。市内外から訪れる登山者が多く、2011年8月から、再三、長崎市平山町の八郎岳登山口に登山者用駐車場、公衆便所、国道側案内標識などを設置するよう、長崎市及び長崎県にも要望しましたが、納得できる進展がありませんでした。
周辺案内図が設置されただけで、ほかはそのまま放置されています。財政的な理由は、たしかに理解できますが、あまり予算をかけず実現できる方法をぜひ考え、実行してください。
今回このことを再要望したのは、最近、市民農園関係者が休みのたびに、農園駐車場に張り込み、登山者の駐車を厳しくとがめていると聞いたからです。登山や農作業は、お互い気持ち良く楽しみたいはずです。このような険悪な事態は、長崎市政の評判と評価を落すだけです。公衆便所は、農園利用者も必要としていると思います。
以上のことを良く理解し、長崎市において早急な実現をぜひお願いします。

(回答内容  2013/12/26 長崎市HP掲載) 

平山市民農園は、駐車場も含めて長崎市が地権者から土地を借り上げ、入園者は使用料を負担して市民農園を利用しておりますので、入園者以外が農園駐車場を利用することは、ご遠慮いただいています。
登山者の方も駐車されている場合がありますが、植え付け時期や収穫時期は多くの方が来園されますし、また、仕事の都合上、土曜日、日曜日だけしか農園に来られない方もおられ、駐車区画が不足することもあり困っている状況ですので、農園利用者以外の駐車はご遠慮いただいております。
登山者のための駐車場及びトイレ等の整備は、財政的に困難でありますので、国道沿いなど周辺駐車場などをご利用いただきますよう、ご理解とご協力をお願いします。
また、案内標識などにつきましては、前回、回答いたしておりますとおり、八郎岳登山における必要な情報を判りやすく表示する観点から、山岳連盟などの専門家のご意見をお聞きしながら、引き続き検討しており、必要に応じてできるものから修正、新設を行っていきたいと考えています。   (関係所属) 農林整備課・農業振興課

岩屋山から十郎岳へ  2013年12月

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岩屋山から十郎岳へ  2013年12月

2013年12月22日(日)晴。九州自然歩道により岩屋山(標高475.2m)に登り、十郎岳(標高248m)へ縦走。参加8人。みさき道歩会の例会。
下大橋公園9:40—油木—九州自然歩道—休憩ベンチ11:08—岩屋山12:05(昼食)12:50—展望岩13:34—十郎岳14:28—かきどまり総合運動公園15:05(徒歩距離 約7km)

長崎市北部の山「岩屋山」へ。本年の登り納め。油木から九州自然歩道へ入る。植林地内の休憩ベンチを過ぎ、しばらく行く。山頂への石段登りにかかる所に、大正14年「福田村西浦上村境石」と刻んだ珍しい石がある。
https://misakimichi.com/archives/132

岩屋山頂で昼食。相変わらず登山者が多い。午後は、かきどまり総合運動公園上の十郎岳まで縦走。絶壁の十郎岳は、眼下の手熊・柿泊などの景色が良い。
岩屋山頂近くや十郎岳手前を除き、全体になだらかな植林地や雑木林内の登山道が続く。歩きやすいコースである。

戸町岳の天明藩境塚めぐり  2013年12月

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戸町岳の天明藩境塚めぐり  2013年12月

2013年12月8日(日)快晴。戸町岳(標高427.2m)の天明藩境塚めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。佐嘉領小ヶ倉村と大村領戸町村の藩境紛争が、天明七年(1787)解決し築いた藩境石塚を訪ねる。
鹿尾ダム公園9:36—海星学園グランド尾根9:48—戸町岳登山道出合10:54—戸町岳
11:50(昼食)12:50—大山林道13:25—大山カトリック教会13:44—鹿尾ダム公園14:
41(徒歩距離 約9km)

2013年10月20日(日)の大久保山(標高233.7m)の藩境石塚めぐりは、次を参照。
https://misakimichi.com/archives/3790
大久保山の藩境石塚に続き、その延長で今回は、戸町岳の尾根道に残る藩境塚を訪ねる。

大山入口バス停から入った鹿尾ダム公園に集合。橋を渡って西海建設の道路工事現場からすぐ上の尾根に取り付く。右下が海星学園グランドとなるところである。
藩境塚が尾根にはすぐ目につき、2つのピークを越して行く。この区間の塚の存在は、ほとんど知られていない。

やがて、戸町中学校前から上がった竹林の戸町岳登山道と出合う。藩境塚は登山道になおも続く。はっきりしたものは、T型金具に「天明藩境塚」と表示し、ブロック区分と連番号を付していたが、もう6年近く経過した。金具が引き抜かれたり、所在不明となっていたものがあった。

戸町岳山頂まで行って昼食。12月としては、きょうはポカポカ陽気で風もなく、展望が効いた。藩境塚は熊ヶ岳分岐まで続いているが、その縦走は行わず、戸町岳から同じ道を少し戻り、大山林道の小ヶ倉水源池地下隧道がある取水口へ下った。付近で大正二年三月「長崎県模範林」の標柱を発見。

大山カトリック教会に寄ると、クリスマス飾り準備中。教会下の里道には、長崎市立小ヶ倉小学校大山分校跡地があった。
「大久保山から戸町岳に残る天明藩境石塚の調査」は、本ブログ2007年7月記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/85

HP「キリシタンの里をたずねて—長崎の教会」による大山教会の紹介は、次のとおり。
大山教会の紹介<絶えざる御助けの聖母>
(1)現 勢(小教区内数)
世 帯 数 74世帯  信者総数 341人
(2)沿 革
この地の信徒は、嘉永年間、外海の黒崎地区からの迫害を避けて逃れてきたキリシタンの子孫で、明治4年(1871)配流のため佐賀送りとなり、明治6年(1873)太政官達により信仰の自由を勝ち取った信徒たちが、明治29年(1896)、建立した最初の大山教会も老朽化が激しく、昭和27年(1952)改築。5月25日山口大司教のてによって献堂・祝別された。その後、平成6年(1994)6月26日、42年ぶりに島本大司教司式により、教会堂の祝別・落成式が行われた。
当日は歴代のの主任司祭や大山出身のシスターをはじめ、各方面からも大勢の信徒が詰めかけ、新たな歴史の1ページをともに喜び合った。(記事の一部は1994年のカトリック教報を抜粋)
(3)特 色
町内に住む者総てがカトリック信者で、1つの家族のような雰囲気を持ち、住民の9割が大山姓を名乗っている。
(4)区域内修道院
*お告げのマリア修道会大山修道院