長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5140 日見トンネル(2)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5140 日見トンネル(2)
■ 確認結果
前項で「本河内水源地」を見たので、次に大正時代の国道「日見トンネル」の絵葉書写真も見てみる。国道34号にある「日見トンネル」。日見バイパスと「新日見トンネル」ができて、通る車は少なくなった。
土木遺産「日見隧道」を参照。 https://misakimichi.com/archives/1195
この古写真は、「日見トンネルは大正8(1919)年に着工し、同5(1920)年4月3日に開通した」と説明している。しかし、大正8年は道路法の施行年であろう。
次の建設記念碑や文化庁登録有形文化財説明板(東口にある)から、正しくは「大正13(1924)年に着工し、同15(1926)年4月3日に開通した」となるのではないか。
とすると、「大正中期の…絵葉書写真」とも言えない。
古写真の撮影場所を、以前は日見トンネルの「東口」(日見側)と説明していた。指摘により変わったが、トンネル入口の右道脇に写っている白い工作物を考えなかったものと思われる。
これは長崎県の「日見隧道建設記念碑」。「東口」にはなく、右道脇にあるのは、日見トンネルの「西口」(本河内側)の方である。「東口」は、道路もカーブしている。
もっとも記念碑は、昭和33年佐藤県知事名の銘板に取り替えられている。だが、碑そのものは、トンネルの完成当時からあったものと思われる。