長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5317 樺島湊
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5317 樺島湊
■ 確認結果
長崎半島の南端、野母崎の「樺島湊」。昔から海上交通の要所で、鎖国時代は唐船の風待ち港となった。また漁業が盛んである。
古写真は、今の「樺島港」に間違いない。当時の樺島湊海岸線の最奥部から、湊の出口を写し、背景は脇岬の方の山である。
昭和61年(1986)「樺島大橋」が架かり、脇岬と陸続きとなった。長崎バスの「樺島」終点がその最奥部にあり、樺島小学校の方へ向かうと、すぐ「金比羅神社」の鳥居がある。
古写真は、鳥居をくぐってすぐ上の参道あたりから撮影されている。
1年ほど前、東山手町の「長崎市古写真資料館」へ見学に行った。この古写真が「居留地の海岸」のようなタイトルで展示されていた。
「居留地」となると「大浦海岸」あたりである。どうも違う。漁港のようであり「樺島」でないかと感じた。撮影場所の明らかな間違いと思われる展示写真がほかに2点あった。
「長崎市古写真資料館」は、東山手・南山手一帯の居留地古写真を展示している。帰宅して古写真HPを調べると、同じ写真でやはり「樺島湊」とあった。現地へ出かけ、山の稜線を確認した。
長崎大学は、撮影場所が新たに判明するなどして、古写真のタイトルや説明を変えても、それを展示している館に、通知はしないようである。
「長崎市古写真資料館」も、全国の観光客へ有料で見せているので、展示写真はきちんとチェクし、正確な展示をしてもらいたい。
その時に間違いを「古写真資料館」へ知らせていたが、先日再び行くと、タイトルを「樺島湊」と変えただけで、まだそのまま展示されていた。
野母崎の「樺島」なら、タイトルだけでなく場所の説明が必要である。居留地関係の展示コーナーから外した方がよいのではないか。