佐世保市愛宕山に残る戦前の炭鉱標石 ( 長崎県 )

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佐世保市愛宕山に残る戦前の炭鉱標石

佐世保市高橋輝吉氏から送付された。2015年2月7日(土)付読売新聞佐世保地域版の掲載記事あらましと、高橋氏稿の資料は次のとおり。

尾根中心に20本 「日炭」や「相浦炭坑」刻印  採掘示す貴重な資料  (読売新聞)

佐世保市の愛宕山(259m)で戦前のものとみられる炭鉱の標石が見つかった。同市木宮町の高橋輝吉さん(87)が「日炭」や「相浦炭坑」などと刻まれた20本を確認した。旧日本軍の要塞地帯を調べている高橋さんは「軍事施設を一望できる愛宕山は戦前、立ち入りが規制されていた。炭鉱開発を円滑に進めるため置かれたのではないか」と推測している。

高橋輝吉氏稿  「第二要塞地帯内の愛宕山炭坑標石」

地元、佐世保市愛宕山の西側に有った。陸第25号を探していたとき、「相浦炭坑」と刻したコンクリート柱を発見す。10年前である。陸軍の石が一息ついたので、思い出してみた。調べている内に「日炭」とも刻された石も有り「コンクリート」。元は昭和14年頃。発電所、日産炭坑と佐世保西側の町が揺れ動いた時代。炭坑史誌の記録あり。
昨年4月より、愛宕山の中を廻り廻った。棚方町の新住宅地あたりが境とみた。石の間隔は30m〜50mの間が有ります。一部は崖崩れで石なし。10月に一歩踏み出し、山の上方面へ。有りましたぞ。4本の石発見。これより下方面を探す。航空写真の図を参照。
昭和14年、朝鮮の方が「相浦中学校」へ入校して来ました。吉田君、ガク君、周君と入って来ました。吉田君の父は「ヤンバン」でした。町にもチョゴリの方が。鱈の干物等も有りました。朝鮮の方は、伍=コ、拾=チと、発音してました。炭坑の石より、当時を思い出してみた。