鎮守明神祠堂の造営由来  佐世保市赤崎町庵崎 ( 長崎県 )

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鎮守明神祠堂の造営由来  佐世保市赤崎町庵崎

佐世保市高橋輝吉氏から送付された。佐世保市赤崎町庵崎の「鎮守明神祠堂の造営由来」碑文と、高橋氏稿「同石文を読んで」は、次のとおり。祠堂と石碑所在場所は、軍用タンク群がある航空写真のあたりだろう。

祠堂造営由来
大正七年七月ヨリ庵崎ニ於テ海軍ノ工事始マリ職員職工二百余名此ノ地エ居住由ツテ一同記念ノ為メ鎮守明神ノ祠堂ヲ造営シ恵比須神ヲ合祠ス
大正十年四月十日

高橋輝吉氏稿  「鎮守明神祠堂造営由来の石文を読んで」

軍の仕事。海軍は秘密の事が多い。事に此の地での仕事は、僻地の所であった。重油タンクを「コンクリート」で造る事で、大変だったと思う。さて、工員の方は、どこからどうやって来たのかなー。三年有余。現在はウラ道より行けるが、当時は海からだけです。
海軍式で、五?分前となー。体も一回り大きな人が。後はどうなったのかなー。コンクリートだけで重油タンクの造り。並の仕事ではない。当時は「ミキサー」なんてなく、手造りだったと思う。針尾無線塔も人海造りだ。同じような事かなー。
今にして思えば当地方、地震帯がなく完成した。工事関係者は安堵にて、石文の事となったと思うが、一つ洗脳の事もあったと思うので、恵比須神と二つの神を祀ったと思う。