明治5年明治天皇の西国巡幸における「長崎港のパノラマ写真」の問題
「フェイスブック版 古写真研究こぼれ話 —真実を求めて—」など発刊されている高橋信一氏(元慶応義塾大学工学部准教授。定年後の現在、向学のため文学部3年に入学し勉学中)から送られてきた研究資料。
明治5年明治天皇の西国巡幸における「長崎港のパノラマ写真」の問題。この写真は本当に内田九一が撮影したのか?
本年7月3日、同先生が東京の青山学院大学で洋学史研究会の講演をした時の配布資料である。私の前記本の3冊でずっとやってきたテーマの総決算ということで、地元長崎の人の意見をぜひいただければとのことである。最終結論は8頁にあり、各位の意見がありましたら、コメントでお聞かせください。
この項は、本ブログ次の記事など参照。
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか
https://misakimichi.com/archives/1589
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか
https://misakimichi.com/archives/2192
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6260 飽の浦からの汽船と南山手(3) ほか
https://misakimichi.com/archives/2186
「長崎港のパノラマ写真」関係は、次のHPに独特な考察がある。manu画面で青色色調の関係記事を参照。
囂庵(GOUANN)の幕末明治の古写真 http://www.gouann.org/
高橋先生の見解は、「春日」は外輪船であり、そのようには見えません。「龍驤」には舳先マストがあるはずですが、それがありません。主マストに錦旗がなければなりません。この船は万国旗を飾っています。それは可笑しい。