金浜眼鏡橋と萬松橋  雲仙市小浜町金浜・同千々石町石田 ( 長崎県 )

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金浜眼鏡橋と萬松橋  雲仙市小浜町金浜・同千々石町石田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。
加津佐からの途中で日没。小浜町「金浜眼鏡橋」はライトアップあり夜景を写したが、千々石町「萬松橋」は今回訪ねていない。2つの石橋の日中の写真は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/641 (金浜眼鏡橋)
https://misakimichi.com/archives/557 (萬松橋)

金浜眼鏡橋 かなはま
雲仙市 人道/金浜川 石アーチ橋 (太鼓型) 長14.5m(A) 弘化3(1846) WEB 平成5解体後、イメージ的再現 架設: 地元の有力者・岡右衛門 4 C

萬松橋 ばんしょう
雲仙市 一般道/下峯川 石アーチ橋 長6.5m,S4.4m A) 江戸末期 WEB 上流側は路面拡幅でアーチ隠れる/高欄ガードレール化 小規模な石アーチ 4 –

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,322 金濱眼鏡橋
雲仙市小浜町 金浜
金濱川
橋長:14.5m  橋幅:3.6m
架設:弘化3年(1846)
県道30号線を北上し、国道251号線へ右折、すぐ左手に金濱眼鏡橋専用駐車場があります。

金濱眼鏡橋由来記
「昔時、金濱川はしばしば氾濫し、洪水のたびに架橋は流失した。ために、人々は苦しみ、その復旧作業に難儀した。北串山の人、岡右衛門はこの窮状を見かね、石橋架橋によって人々の難を救わんと決意し、弘化三年(1846年)遂にこれを完成した。当時の架橋技術の最高を駆使したと言われる。
爾来およそ150年、この石橋は、よく風雪に堪え、橋畔のアコウの樹とともに生きて、時代の流れを見守り続けてきた。
しかしながら永い歳月の間に石材は風化し、欄干や橋底は落ちるなどして、往年の面影を止めないまでに傷みが激しくなった。
かつて、この石橋に通じる道路は「殿様道」とも称されて、藩政時代は重要な街道でもあった。平成の今日、生活道路としての意義は薄れたが、今、往年の金濱眼鏡橋を解体修理して平成金濱眼鏡橋を復元し、併せて河畔を整備する。
そのゆえんとするものは何であるか。それは、一つには、このすぐれた文化財を永く児孫に伝え、その郷土愛の魂に培わんとするためである。
平成5年(1993年)3月31日」 市教育委員会

№1,326  萬松橋
千々石町石田
下峯川
橋長:6.5m  橋幅:5m  径間:4.4m  拱矢:1.65m  環厚:0.4m
架設:江戸末期
旧千々石町役場前から国道389号線を1.3Km西進。橋を渡りすぐ左折。
150m先古松橋を渡り右折、200m先右手に架かっています。