古写真に残る石橋風景  (6)現川自然石アーチ式石橋群

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古写真に残る石橋風景  (6)現川自然石アーチ式石橋群

現川焼で知られる東長崎の現川地区に、小さな自然石アーチ式石橋が少なくとも6橋あったそうである。
石橋群として長崎市指定有形文化財に指定されていたが、JR長崎本線の新線工事で2橋が消え、昭和57年(1982)7月の長崎大水害により4橋が流失、すべての石橋が消失している。

長崎市現川町へは、矢上から県営バスがあるが、JRでは長崎駅から15分足らずですぐ着く。
現川駅のそばに「じげもん市 現川物産館」があり、中に長崎大水害で流失した石橋の古写真(樫ノ木渡瀬橋・山川橋・小藤橋・山の神橋)を展示している。
架橋されていた場所の位置図はない。諫早郷土館の織田先生や地元の野口幸徳氏に確かめたところ、最後の図のようになるようである。

「樫ノ木渡瀬橋」とは、現在の「屋敷橋」の場所に架かっていた石橋を、以前にそう呼んでいたようである。
JR長崎本線の新線(市布経由)は、大水害前の昭和47年(1972)10月開業。現在の現川駅ホームのところに「尾崎橋」、トンネル口近くに「正納屋橋」という小さな橋があった。新線工事で撤去。アーチ式石橋だっと聞くが、まだはっきりした確認がとれていない。

東長崎地区連合自治会「2000年の東長崎」平成13年刊、東長崎の石造物42〜43頁による説明は次のとおり。小藤橋の写真も同頁にあった。
本河内の橋とは、高部ダムの湖底に眠る「まぼろしの石橋」などと思われる。

② 現川の石橋

アーチ橋の生命は、砕石にあるが、現川の石橋は自然石に近い石を使っていて、石橋の常識を破っている。
架橋は、明治2〜3年頃(1869〜70)長崎の本河内で山石を集めて架設した橋を見た中島土市が、現川の住民と共に5橋を架けました。
1982年(昭和57年)7月の長崎大水害で、市指定有形文化財であったが流失しました。

なお、高城台小現川分校(当時は矢上小の分校)先にあった「小藤橋」は、道口辰三郎先生が油絵に描き、現在は矢上町長崎市東公民館に飾ってあり、美しいアーチの姿をとどめている。
後ろの写真は、その油絵と現在の小藤橋。「現川物産館」の石橋写真も道口先生の撮影らしい。
それに物産館に展示されている現川の古絵図。杉澤翁昭和7年図で、表題は「現川維新前後の面影」とあり、「樫ノ木渡瀬橋」のみ、アーチが描かれているようだ。