深堀陣屋跡の現況 (2)  長崎市深堀町5丁目

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深堀陣屋跡の現況 (2)  長崎市深堀町5丁目

深堀5丁目の深堀陣屋は、御屋敷と呼ばれ、佐賀藩深堀領主の居城だった。春先頃から深堀陣屋跡の周囲立木のほとんどが伐採され、遠くから石垣が望まれ、居城跡の全容がわかる。
先日、現地の高台広場を訪ねたところ、整地工事中。現在の中段にある「深堀カトリック教会」をここに新築し、来年秋の今頃、完成予定と聞いた。長崎市文化財課による史跡調査は、行われたのだろうか。以上は、本ブログ前の記事(1)を参照。
https://misakimichi.com/archives/3862

この記事をブログで見た芦屋市平幸治氏から突然、電話を受けた。平氏は「みさき道」の関寛斎日記原本の解読などでたいへん協力いただいた。地元深堀出身で、長崎新聞社刊「肥前国 深堀の歴史」著者である。
私はこれまでまったく知らなかったが、10月初めから「深堀陣屋遺構の適正かつ完全なる保存維持をはかり、まちづくりへの積極的活用を検討されるよう」関係先へおひとりで陳情活動をされていた。

「歴史的文化財の保存の時機を逸すれば破壊損失につながる事例は深堀町5丁目の武家屋敷跡石塀の状況に鑑みれば明白であります。今回の機会を逸することなく関係各位のご尽力を切望いたします」と、長崎市文化財の史跡に早く指定するよう嘆願している。
さて、長崎市や教会側の対応である。きのう再び現地を訪ね、少し調べてみた。

「深堀陣屋跡」については、平成3年5月、長崎市南公民館どじょう会「城郭他遺構調査書」がある。遺構の詳しい調査まで実施されていないが、図面など参考となる。
きのう、現地を訪ねると、長崎市文化財課の発掘調査が行われていた。陣屋跡の最上段南西側を掘っており、当主の居間と思われる御座?の礎石が連なって発見され、写真を写してきた。
陣屋下の門柱?も現存。慶応年間の深堀日記に記録がある堀底道は、有海の波止内から続いて登っていることが確認できた。

現在の中段にある深堀カトリック教会前の掲示板には、小教区広報紙「ひろがり」第120号があった。工事の日程、手順と報告があり、特に三、四、五は、遺構にふれているので拡大した。
整地工事中と書いたのは、発掘一部調査の見誤りだったようである。
私はこの件に何も関わることはできないが、過日、長崎市政への提案で「長崎市文化財課による史跡調査は、どの程度行われたのでしょうか」と、疑問は質している。

なお、隣地の市有地広場は、平氏調査によると「おそらく渡辺聞櫓の別荘豊睡園跡地であろうと思います。…江藤新平が佐賀の役の直前に逗留した場所であり、陣屋跡と一体的に歴史公園として整備してもしかるべき歴史的場所」である。
深堀町5丁目の武家屋敷跡石塀の解体石は、この広場に積まれ保管されていた。
最後は、有海にある「波止崎標識?記念碑」と、長崎市立博物館編「長崎学ハンドブックⅡ 長崎の史跡(南部編)」平成14年発行24頁の資料。